Practice Makes Perfect/釜伏山・登谷山・皇鈴山
釜山神社の狛犬
釜伏山への登り。前日の雨で濡れた蛇紋岩が滑る
日本水採水地は立ち入り禁止になっている
登谷山への登り。コンクリート舗装の上の濡れたコケが滑る
登谷山山頂に立つアンテナ塔
皇鈴山山頂。そこで見たものは…

釜伏山・登谷山(とやさん)・皇鈴山(みすずやま)

2020年9月14日(月曜日)

 仕事で腰を痛めてしまった。
 もともと腰痛持ちで、朝歯磨きしてうがいをした拍子に年に二度ほど痛めるのだが、これまでは放っておいても三日も我慢すれば治っていたところ、すでに二週間経っても治らなかった。湿布や塗り薬はかぶれるので使えず、鎮静化するまでコルセットで堪えて仕事を続けていたのだが、今回は痛めた翌朝布団から起き上がれないほど酷く、歩くにも腰を伸ばすことができない状態で、歩幅も10センチほどしか出せなかった。
 仕事に行くため、初めてロキソニンを服用したところ効き目は素晴らしく、痛みはすっかりなくなり、健常者のように腰を伸ばして駅の階段の一段飛ばしまで出来るようになった。まるで無痛覚兵士にでもなった気分だが、無論薬で腰が治るわけではなく、単に痛みを無視できるというに過ぎず、ここで無理すれば益々悪化させることは重々承知の上だった。
 二週間が経ち、まだ痛みは残るものの、薬がなくとも日常生活が送れるまでには恢復した。コロナ禍は一向に終熄しないものの、9月も半ばとあって、すっかり困窮した経済の立て直しに政策がシフトしたこともあり、越県自粛も徐々に緩和されつつある。スキーシーズン前の県外遠征登山を視野に入れた場合、やはりリハビリ程度の軽めのハイキングを少しはしておくかということで、釜伏山・登谷山・皇鈴山を歩いてみることにした。

 この三山は、秩父市街から見ると美の山の裏側にあるためよくわからないが、皆野の国道140号線から皆野寄居有料道路に乗って、美の山をトンネルでくぐり抜け、皆野長瀞インターを過ぎて次のトンネルを抜けた眼前に現れる低い山並みがそれである。料金所を過ぎてすぐに始まる長いトンネルは釜伏山の山頂直下を貫いている。
 三山縦走とはいえ、起伏の少ない穏やかな稜線には秩父高原牧場や登谷高原牧場の放牧地が開けており、それに沿ってきちんとした舗装道路が通っているので、クルマを使えばもはや登山でも何でもない、無理やり歩いてもほとんどが車道歩きという味気なさに終始する、コロナ自粛と腰痛さえなければ到底来ることもなかった山域である。

 有料道路を風布(ふうぷ)インターで降りて山に向かって道路を上って行くと、途中路肩の日本水(やまとみず)の水汲み場を経て山稜の塞神(さいじん)峠に出る。しばらく走ると観光案内看板のある釜伏峠の十字路が現れ、辻の右手の樹間に少し広くなった釜山神社の駐車場を認めることができる。前日の雨のため窪みに水溜りができ、全体的に泥濘(ぬかる)んでいるが、一先ずここにクルマを入れて、釜伏山を目指すことにした。
 やたらと狛犬の多い参道を歩くと釜山神社に着き、社の左脇を少し登れば釜伏山山頂である。山頂部は蛇紋岩の露岩で蔽われ、雨で湿っているため非常に滑りやすい。山頂標識はなく、石祠(せきし)と狛犬と注連縄(しめなわ)に占められた釜山神社奥宮となっている。
 山頂から反対側を降りれば日本水の採水地だが、ネット情報では崖崩れの恐れがあるため立ち入り禁止となっているようだ。
 ところが山頂にはこの先採水地の標識はあっても立ち入り禁止の標識はなく、試しに降りて行ってみると、鞍部のところで通行止めの看板とロープに行く手を阻まれた。看板の設置者は、寄居町、日本水保存会、地主の連名である。
 地主と書かれたらこれ以上入りようもない。看板を読むと『岩盤の崩落が予測されるので』とあるが、おそらくは関係者以外の輩に土足で水源を踏み荒らされたくないというのが本音だろう。
 看板の地図には、お知らせ看板の設置場所として釜山神社が載っているが、はて、そんなのあったかいなと神社に戻ってみると、境内の隅にちゃんと掲示されていた。
 何気なく境内の端の道を降りてから、はて、神社の鳥居って、帰りはくぐらないのが正解なんだっけか、とスマホを取り出しググってみると、くぐるべしとのことだったので、もう一度神社に上って正面の石段から降り直した。これがいけなかった。
 前日の雨で駐車場から山道まで一貫して濡れており、神社の石段も濡れていた。そしてあろうことか、これに見事に滑って尻餅をついてしまったのである。濡れて滑りやすくなっていた蛇紋岩の山頂でもコケなかったのに、何でもないただの神社の階段でこけるなど有り得ないことだが、これは何かの啓示だろうか。この先熊との対決が待っているのかもしれないが、おかげでリュックと尻がびしょ濡れになった。

 クルマに戻って尻とリュックをタオルで拭った。鎮痛剤が効いているので尻の痛みは無かったが、もともと腰痛も治ってないので、今ので腰にダメージを重ねた場合、薬が切れた時のことが心配だった。
 クルマで登谷高原牧場の駐車場まで移動して登谷山を往復し、クルマで茱萸(ぐみ)の木峠まで走って広い路肩に駐車し、道端の柵のある登山道から蜘蛛の巣を払って皇鈴山に登った。

 登るに連れて徐々に強くなる異音と異臭に嫌な予感を覚えたが、山頂に着いて目を疑った。
 皇鈴山の山頂は、なんと駐車場だった。クルマがぎっしりと埋まり、自衛隊のトラックまで来ていた。無線機のアンテナを立ち上げ、複数の隊員が靄の中で蠢(うごめ)いていた。発電機のエンジンによる不快な低周波振動と、反吐の出そうな排ガスの異臭が重く垂れこめていた。
 これは手持ちの2014年版の地図には記されていないことだったので、少なからぬショックだった。いつの間にやら山頂まで車道が開通したらしいが、前回の美の山のように、知ってて行くのと、知らずに来たのとではまるで心証が違っていた。
 クルマの後ろにクルマが詰まり、奥のクルマは出られない状態で、駐車場の端の展望台の柵の前には、平日にも拘らず大勢の人がカメラの三脚を並べて場所取りをしていた。あたりは丸っきりガスに蔽われた雲の中で、見晴らしの好いはずの登谷山からも何も見えなかったが、今後の天候の回復を待って雲海の写真でも撮ろうというのか、駐車場から僅かに歩くだけの登谷山ですら厭うカメラマン達が、クルマで横付けできる展望台には肩を抱くように仲睦まじく三脚を並べている様は、なんとも可憐で滑稽に見えた。
 人の趣味をとやかくいう筋合いの是非はともかく、この情景によって、この後予定していた次なる愛宕山へのモチベーションは完全に失われ、クルマに戻って山を降りる決断となった。
 この山は彼らのものであって、自分はここにいるべきではない、この山に自分の求めるものは最初から何一つなかったのだと思い、逃げるようにして山を駆け下った。
 山頂まで車道やロープウェイの通じている山に登る場合、ある種の割り切りが必要だが、今回はリハビリの散歩程度と、何の考えもなしに登ったことが、そもそもの間違いだった。こうして登山ブログにわざわざ認めるほどの内容は何もないのだが、登山趣味を始めて14年目にして、この程度の揺さぶりすら克服できない己の不甲斐なさを恥じ、今後の反省点として書き留めておくことにした。


 異変は翌朝起こった。
 目覚めると、全身が金縛りにあったように動かなかった。動かそうとするとひどい激痛に襲われ、腰ばかりか全身に影響が及んでいた。神社の石段で尻餅をついた程度の衝撃が果たしてこれほどひどいものだろうか。心霊など信じない私だが、この時ばかりは原因の割に合わない痛みに、何かに取り憑かれた以外説明のしようもないと思った。そう考えると、何でもない石段でコケたこと自体、こいつの仕業かと納得もゆく。
 まあいい。お祓いなどやりようもない。憑いてしまったものはしょうがないが、俺は安くないぞ。これは契約だ。取り憑く代わりに当然それに見合うだけの力を俺によこせ。そう開き直って考えればどうということもなかった。
 無論言うまでもないが、実際に効力を発揮したのはオカルトではなく、化学の結晶たるロキソニンである。スキーシーズンを控え、オフトレ登山で腰を壊していては何にもならないので、当面仕事以外はおとなしく療養するしかないだろう。

●登山データ
2020年9月14日(月曜日)
釜山神社駐車場(8時17分)→釜伏山(8時33分)→日本水入り口(8時42分)→釜山神社駐車場(9時14分)
登谷高原牧場駐車場(9時20分)→登谷山(9時27分)→登谷高原牧場駐車場(9時32分)
茱萸ノ木峠(9時51分)→皇鈴山→(10時02分)→茱萸ノ木峠(10時12分)

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