Practice Makes Perfect/立山・剱岳縦走(一泊二日/第1日目)
みくりが池から臨む立山。立山は大汝山(標高3,150M)、雄山(標高3003M)、富士ノ折立(標高2,999M)から成る総称

扇沢駅から関電トロリーバスに乗って黒部ダムへ。有料駐車場は2日間で2,000円だが、下層には無料駐車場もある。平日の初電は7時30分
昭和38年に多大な犠牲を払って完成した黒部ダム。当時の技術力でこれだけのものを完成させた遂行能力に驚嘆しながら提体を徒歩で移動
立山黒部アルペンルート。ケーブルカーとロープウェイを乗り継いで大観峰へ。この辺りの紅葉がちょうど見頃だ
立山トンネルトロリーバスで室堂へ。扇沢からの所要時間は1時間55分。往復運賃9,050円
ようやく室堂に到着。9時30分から登山開始となる
観光地然としたコンクリート舗装の遊歩道が室堂一帯ぐるりと整備されている
一ノ越山荘と浄土山を振り返る 室堂。中央にみくりが池と、その向こうに大日岳
雄山山頂の社務所が見える コンクリートで蔽われた雄山山頂(標高3,003M)
雄山山頂へは500円払わないと入れない。山頂というより神社である。神職が加持祈祷してくれるので、それ目的で来る人が殆どだ
雄山を下って立山山頂である大汝山へ向かう。観光客は雄山から室堂に引き返すため、山頂へ向かう人は少ない
立山最高所の大汝山山頂(標高3,015M)。雄山の観光地然とした喧騒から一変した静寂さに、ようやく登山らしくなる 大汝山山頂からは黒部ダムとロープウェイが俯瞰できる
大汝山山頂直下に佇む大汝休憩所
富士ノ折立(標高2,999M)
立山を降り、真砂岳・別山へと向かう
真砂岳(標高2,861M)

真砂岳山頂
真砂岳から室堂を臨む。地獄谷から水蒸気が揚がっている
真砂乗越へ下る。ガスで剱岳は見えない
別山(標高2,874M)
別山山頂の祠
別山最高所の北峰山頂(標高2,880M)
剱沢の紅葉がちょうど見頃だ
1日目の目的地、剣山荘に到着

立山・剱岳縦走(一泊二日/第1日目)

2014年9月30日(火曜日)

 平成26年9月27日午前11時53分、長野・岐阜県境の御嶽山が噴火した。紅葉シーズン真っ盛りの土曜の昼時とあって、山頂にはおよそ250人の登山者がいた。
 NHKのカメラマンが偶然居合わせたことで、巨大な噴煙と逃げ惑う登山者の姿が、テレビで繰り返し報道され、生還者の持ち帰った映像で、弾雨と化した噴石が山小屋の屋根を貫く凄まじい様子が放送された。
 山小屋管理人の機転もあって多くの登山者が生還したが、その後の確認調査では死者57人、行方不明者6人を出す戦後最大の火山災害となった。当時の噴火警戒レベルは平常を示す1だったとのことで、噴火を想定したハイカーはいなかったであろう。
 平成23年の東日本大震災といい、今回の噴火といい、予知はまだまだ不可能といわざるを得ず、富士山をはじめとした多くの火山で登山が行われている実態を鑑みるに、今後の在り方に影響を及ぼすことは必至だろう。

 私がこのニュースを知ったのは、剱岳の山小屋に予約を入れた後だった。仕事の都合と天候の折り合いが悪く、なかなか遠くに出掛ける機会を得られなかったのだが、本州直撃コースを辿っていた台風17号が上陸寸前で逸れ、天候が安定したところに仕事の間隙が出来たのである。いつかは登らねばと思っていた剱岳に登るチャンスが俄かに訪れたわけで、疲れてはいたが、考え過ぎては機会を逸することになるので、先手を打って山小屋に予約を入れたのである。
 立山・剱の冬の訪れは早い。10月上旬には山小屋がクローズしてしまうため、絶好かつ最後のチャンスだった。

 立山の室堂には、日本一高所の温泉として有名な、みくりが池温泉に代表される地獄谷がある。水蒸気が濛々と立ち上り、硫化水素が噴出す火山地帯である。
 御嶽山の噴火は、マグマによって加熱された地下水が、急激な気化膨張を起こした水蒸気爆発だったとされるが、立山の場合、常に水蒸気が噴出しているため、ある程度ガス抜きされていると見ていいだろう。
 仕事から帰宅し、少し眠って夜中の2時半に出発し、扇沢駅の駐車場に5時半に到着した。
 駐車場は棚田のようになっていて、駅に近い三段ほどは舗装された有料駐車場だった。それより下に無料駐車場もあったが、せっかくなので一番近い上段に置いた。
 ここから立山黒部アルペンルートを使って室堂に上がるわけだが、平日の初電は7時30分なので、2時間ほどクルマで仮眠した。

 6時50分に券売所が開くと、既に三十人ほどの行列が出来ていた。
 室堂までの往復運賃が9,050円、手回り品の持込料が200円だった。手回り品は、容量50リットル以上、重さ10キロ以上、長さ1メートル以上の何れかに該当すれば払うのだが、あくまで自己申告制で審査はない。私の場合、45リットルのリュックだったが、重さが10キロあったので、正直に申告した。200円で室堂まで行けるのか訊くと、
「黒部ダムまでです。そこから先は別途料金です」
とのことだった。

 7時半の関電トロリーバスで黒部ダムへ向かう。
 トロリーバスは内燃機関ではなく、トロリー線からの電気でモーターで走る、ゴムタイヤを履いた電車である。トンネル幅は車幅いっぱいで、運転手の妙技と、破砕帯の音声ガイダンスが興味深い。
 破砕帯とは、太古日本列島がプレート運動によって中央からへし折られ、猛烈な力で地盤が隆起して北アルプスができた際に岩盤が粉砕された痕跡で、糸魚川静岡構造線として知られている。この破砕帯はスポンジの如く大量の雪解け水や雨水を含み、トンネル掘削時に洪水を伴って崩落し続け、作業に多大な被害をもたらした。
 現在では考えられないことだが、昭和38年当時、屍山血河を築いてでも目的を達成するという、或いは自分の命は途中で尽きようとも、後から続く者が必ず成し遂げるという不撓不屈の魂は、かつて抗いようのない強大な力の前に絶滅の危機に瀕しながらも、その後猛烈なスピードで再生を果たした、神懸り的とも言える戦後日本人の姿を象徴している。

 ダム手前のバス停で下ろされ、豪快に放水する提体上を徒歩で移動する。ケーブルカーの券売所で手回り品持込料金300円を支払い、認証札をリュックにぶら下げ、扇沢駅から1時間55分掛けて、ようやく室堂に到着した。

 室堂は、舗装された遊歩道が整備された観光庭園の様相だった。公園の周囲を三千メートル級の山々が囲繞(いにょう)しているが、威圧感はまるでない。室堂の標高は2,450メートルなので、山頂までの標高差は500メートル程度に過ぎず、観光客がごく軽い気持ちで登れそうに感じるのも無理からぬことに思えた。
 アルペンルートを初電で来ても、登山開始時刻は9時30分になる。まずは雄山(おやま)を目指して遊歩道を歩く。観光遊歩道とはいえ、10キロの荷物を背負っているため、亀のようなスピードである。ところがここは登山者以外の観光客が多く、後から軽装のカメラマンが兎のように軽やかに登って来たので、道を譲って追い越させた。
 ところが、カメラマンは追い越しざまに目の前に立ち止まって、風景の撮影を始めた。いささかうざく感じたが、致し方ないことなので、撮影している横をすり抜ける。しかし撮影が済むと再び迫ってくる。仕方なしまた道を譲る。再び目の前に立ち塞がって撮影する。これが一ノ越まで続いた。
 一ノ越の山小屋を過ぎると俄かに斜度が急になり、遊歩道もなくなり登山道に変わる。斜面には台風のような強風が吹き上げてきて非常に冷たい。俄かに三千メートル級の北アルプスの様相に豹変したことで、ここでは10キロ装備の登山者も、軽装の観光客もペースは変わらなくなる。しばらく登ると雄山の山頂に達した。

 異様な光景だった。
 コンクリートで四角に固められたプラットホームに社務所があり、その先に突出した小さな岩の塊を占拠する形で神社が置かれていた。神社下には門扉があり、ここから先は金を払えと書かれている。私の傍にいた単独登山のおじさんが、
「馬鹿らしい、俺は金なんか払わない、別にあんなところ登らなくもいい」
 と唾棄するように言っていたが、私はどうせもう二度と来ることもないし、入山料と思って社務所で五百円を支払った。
「山頂では何か作法がありますか」
 と訊いたところ、
「二礼二拍一礼すれば結構です」
 というので行ってみた。
 登ってみると、山頂では若い禰宜(ねぎ)が十人ほどの参拝者を地べたに正座させて祈祷していた。私は祈祷に興味はなく、ただ山頂に立ちたかっただけなのだが、この祈祷が終わるまで登頂は許されないようだった。
 しばらく下で待ち、団体が降りてくると、禰宜が上から、
「次の方どうぞ」
 と促した。結構な時間待たされたので、もはやどうでもいい気分だったが、もう二度と来ることもないからと、数人の参拝者と一緒に登った。八畳ほどの広さの山頂には祠があり、その前の地べたに座るよう促され、仕方なく祈祷を受けた。

 山に神はいるだろうか?
 それは人間に好意的だろうか?
 拝んで登山の無事が約束されるなら、御嶽山に登った人も、何も死ぬことはなかったろう。何しろ御嶽神社周辺に最も犠牲者が集中していたのである。まったく先刻のおじさんの言うとおり莫迦げていた。怒りすらこみ上げてきたが、せっかく山に来て嫌な思いをしても仕方がない。嫌なことは忘れて雄山を離れ、立山最高峰である大汝山(おおなんじやま)へと向かった。

 先ほどまでの喧騒が嘘のように人がいなくなった。どうやら先程まで軽装で登ってきた殆どの人は、神社で拝んでもらっただけで室堂に引き返したようだった。立山の山頂には別段興味は無いようだった。
 山にいる全員が登山者であるとの前提が、そもそも間違っていたのだ。もともとが立山信仰でいう極楽浄土であり、霊界とも交信できたということだが、今やロープウェイで気軽に来られるただの観光地であって、神社も温泉もその延長に過ぎないのである。あの参拝者達の願いが叶ったのかどうかはわからないが、ひどく莫迦な所に来たという失望感と、先程までの独りよがりの怒りがひどく滑稽で無意味なものに思えてきた。

 大汝山の山頂には誰もいなかった。
 信仰上の立山三山とは、浄土山、雄山、別山(べっさん)を指し、最高峰である大汝山は入っていない。立山そのものにしても、雄山、大汝山、富士ノ折立の三つのピークから成っているが、それらを結ぶ稜線はほとんど横一直線に平らで、仰々しく人工物で蔽われた雄山以外は、気を付けていないと、それと気付かず通り過ぎてしまうほど質朴としている。
 おやっ? と思い、登山道の右側にちょこんと飛び出た岩に登ってみると、『大汝山』と書かれた小さなプレートが置いてあった。それだけである。あまりの質朴さが却って嬉しかった。眼下の黒部ダムとロープウェイを眺めながら、リュックを下ろして昼食の弁当を広げた。

 徐々にガスが濃くなってきて、稜線から見えるはずの剱岳はまったく見えなかった。それどころか、このすぐ先にあるはずの別山さえ見えない。
 ガスの中を、真砂岳、別山、別山北峰と歩き、剱御前と剱沢の分岐点まで下った。そこで休んでいたおばちゃんパーティーからおもむろに声を掛けられたので、これから剱沢に下って剣山荘(けんざんそう)に行くと話した。
 剱沢への道は意外なほどの下りだった。辺りはすっかりガスに巻かれて視界が悪かったが、先程の分岐点で休んでいた単独の山ガールが、背後から距離を措いて尾いて来ているのは分かっていた。ガスの中の誰も通らない道を行く心細さから、偶然通り掛った無害そうなオジサンを道案内に立てたのかどうかは別として、私も彼女と距離が開き過ぎないよう、姿が視認できるギリギリの間隔を保って歩いた。熊ベルを取り付け、音を出して歩いた。少しすると山ガールもそうした。テントがいくつか張られた剱沢キャンプ場までそうして歩いた。

 剣山荘には予定より15分早い14時45分に到着した。
 受付で、予約した者ですと伝えると、三十人ほどが寝られそうな二段ベッドの部屋を案内され、ベッド番号を割り当てられた。満員ではなく、一床おきに場所があてがわれていたが、同じように四部屋ほど使われている様だった。
 驚くべきことに、ここには温水シャワーの設備があった。シャンプー石鹸は使用禁止だが、汗を流せただけで嬉しかった。トイレも水洗式で、施設は全般に清潔だった。
 山小屋はホテルと違うと言うのが定説だが、ここにはそれを覆す快適性が備わっていた。周辺にいくつかの山小屋が競合する人気エリアということもあるだろうが、ハード・ソフト両面に営業努力が感じられ、黒部ダム建設に通ずる不撓不屈の魂が息衝いているかのようにも感じられた。

●登山データ
2014年9月30日(火曜日)
室堂ターミナル(標高2,450M)→大汝山(標高3,015M)、標高差565M

立山黒部アルペンルート扇沢駅(7時30分)→室堂駅(9時25分)、所要時間1時間55分

室堂ターミナル(9時30分出発)→一ノ越(10時15分)→雄山(10時55分/祈祷休憩25分)→大汝山山頂(11時40分)、所要時間:2時間10分
山頂滞在時間:15分
大汝山山頂(11時55分)→富士ノ折立(12時10分)→真砂岳(12時40分)→別山(13時20分)→北峰(13時25分)→別山(13時35分)→剱沢キャンプ場(14時45分)→剣山荘(14時45分到着)
第1日目全行程:5時間15分
剣山荘宿泊

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