Practice Makes Perfect/立山・剱岳縦走(一泊二日/第2日目)
剱岳(標高2,999M)と剣山荘

剣山荘の夜明け。荷物を預けて剱岳に出発
風も弱く穏やかな天候だ
別山尾根最初のピーク一服剱(標高2,618M)
前剱への登りは浮石や落石に注意
別山尾根第二のピーク前剱(標高2,813M)
前剱目指してガラ場を登る
前剱頂上
北アルプスらしい凶悪な稜線になってきた
最初の難関、5番目鎖場前剱の門 剱岳の山頂が見えた
7番目鎖場、平蔵の頭 平蔵のコルへ下る

未踏峰とされてきた剱岳山頂に三等三角点を立てるべく挑んだ測量隊を撥ね返した絶対防壁。測量隊はここからの登頂を断念したが、現在では鎖が整備され、誰でも登れるルートになった

9番目鎖場、カニのたてばいは登り専用の一方通行
山頂までもう少し
1時間55分で山頂に到着 山頂にある祠

剱岳山頂から別山・剱御前・立山方面の雄大な眺め。最奥には槍ヶ岳が遠望できる

明治40年の測量隊の登頂から百年後の平成19年に設置された三等三角点
八ッ峰と測量隊が登った長次郎谷。その向こうに後立山連峰(白馬岳方面)が聳立する
10番目鎖場、下り専用のカニのよこばい
梯子を降りれば平蔵のコルで登りと合流する
一服剱から剱御前と剣山荘を臨む
別山を横目に別山乗越へ登る

剱沢の紅葉

別山乗越に建つ剣御前小舎
剱御前小舎から雷鳥沢キャンプ場へひたすら下る
雷鳥沢ヒュッテの温泉に立ち寄る
雷鳥沢温泉の露天風呂
日本最高所の温泉、みくりが池温泉

立山・剱岳縦走(一泊二日/第2日目)

2014年10月1日(水曜日)

 明治40年に初登頂した陸軍陸地測量部の柴崎芳太郎率いる測量隊を描いた新田次郎の小説『剱岳<点の記>』によって、剱岳は多くの登山者にとって憧憬の山となった。
 古来、立山信仰では人が登ってはならない地獄の針の山とされ、或いは弘法大師が草鞋三千足を以ってしても登れなかった、人が登れない山とされてきた。測量隊と、当時発足したばかりの小島烏水(うすい)率いる日本山岳会との間で熾烈な初登頂競争が繰り広げられて以来、その禁忌は破れ、昭和47年に立山黒部アルペンルートが開業すると、多くのハイカーや観光客が労せずして室堂に訪れるようになった。
 かつては測量隊を山頂直下で撥ね返した絶対防壁も、次々にアンカーと鎖を叩き込まれ、登攀不可能の伝説は潰え去った。

 剱岳直下に建つ剣山荘(けんざんそう)の夜は、静寂に包まれていた。暖かいシャワーを浴びたこともあって、安眠でき、体調は万全だった。
 同室となったおじさんの慫慂(しょうよう)もあって、荷物はこのまま山小屋に置いて行くことにした。どうせ剣山荘からの往復となるので、困難な岩場にわざわざ10キロの荷物を担いで行くこともない。天候も晴れて安定してるし、水の500ミリリットルも持って行けば充分だろうと、まったく山を嘗めきったひどい軽装で出発した。まるで散歩気分だった。

 小屋から20分ほど登ると、二箇所の鎖場を経て別山尾根に出た。その最初のピークが一服剱で、眼前にこれから登る峻険な山頂が姿を現した。しかしこれは剱岳本峰ではなく、その手前に立ちはだかる前剱である。
 鎖場には順路を示す金属製のナンバープレートが打ち込まれており、3番鎖で前剱大岩を越え、4番鎖を経てガラ場を登りきると前剱山頂に到着した。
 前剱からは鎖場が連続するため、渋滞緩和措置として、登り専用と下り専用にルートが分かれており、ナンバープレートの順番に沿って進む。
 前方にようやく剱岳本峰がその姿を現し、周囲は北アルプスらしい凶悪な岩場の稜線となってくる。ある程度岩場の経験があれば特にどうということはないが、そうした免疫のないハイカーにとっては、5番鎖の『前剱の門』が、まず最初の難関となるだろう。
 強風の吹き上げる足許が切れ落ちたナイフリッジの谷間に懸かる手すりのない鋼製足場板を渡り、鋭く隆起した岩壁をトラバースするのである。文字通り危ない橋を渡るわけで、高所恐怖症の場合、恐怖にすくんで思考停止に陥り動けなってしまう。鎖場の経験を積んだ者なら、まったくどうということもないのだが、ここを訪れる登山者は、イメージ先行で、本来ここに来る能力が備わっていない向きも少なくない。両手で鎖にすがるあまり、自ら動きを制限してしまい、次の動作に移れないのである。
 この日は平日とあって人数が少なかったため、さしたる渋滞は起きなかったが、人気の山ゆえ週末ともなれば、最早どうにもならない状況は容易に想像できる。
 年々増加の一途を辿る山岳遭難事故は、ほとんどの場合、登山者自身の能力不足に原因がある。剱岳というカリスマ性に惹かれるあまり、段階的な経験も踏まずに入って来る安直な登山者が少なくないという現状に憂慮を憶えた。

 7番鎖で平蔵の頭によじ登り、鋭く突き出たエッジを跨いで平蔵のコルに降りる。
 眼前に巨大な岩の壁が立ちはだかる。かつて測量隊を山頂目前で撥ね返した、高さ15メートル、斜度70度の絶対防壁である。
 測量隊はここからの登頂を断念せざるを得なかったが、現在では登り専用のカニのたてばいと、下り専用のカニのよこばいという鎖が打ち込まれているので、ある程度の練度のある人なら、拍子抜けするほど簡単に登れてしまう。要は片手で鎖を掴み、もう一方の手で岩を掴めば良いだけのことなのだが、これが出来るか出来ないかで難度は格段に違ってくる。
 カニのたてばいを登りきれば、山頂まではガラ場の緩い斜面が続くのみで、出発から予定通りの1時間55分で登頂できた。

 山頂には祠と三等三角点が設置されていた。
 柴崎隊は苦労の末に登頂はしたものの、重い三等三角点の運搬を断念せざるを得ず、軽量の四等三角点を設置した。測量記録<点の記>は三等以上からで、四等では記録に残らなかった。
 柴崎隊が登頂してから百年後の2007年、百周年記念事業として、ヘリコプターを使って三等三角点が埋定された。

 山頂には山小屋を朝食前に出発した早出組が数人いただけだったが、やがて後続の登山者が次から次へと登ってきたので、帰りの渋滞を嫌って、滞在時間30分で山を降りた。
 下り専用のカニのよこばいを経て剣山荘に戻り、預けておいた荷物を受け取り、少し土産を買って室堂に向かった。
 下山といっても、剣山荘からは登りになる。くろゆりのコルから剱御前をトラバースするルートを、剱御前小舎目指してひたすら登るのである。途中、剱岳が見えなくなるギリギリのところで荷をおろし、剣山荘で用意してもらった昼食弁当を使った。先程まで雲ひとつない好天だったのが、いつの間にか山頂に雲が懸かっていた。

 剱御前小舎が建っている場所が別山乗越(のっこし)である。剣山荘からひたすら登ってきたわけだが、ここからは雷鳥沢キャンプ場まで下りになる。これが意外なほど長い下りだった。昨日は立山の稜線を辿ってきたのだから登り降りは当然織り込み済みのことだったが、今日のこれほどまでの登り降りは、迂闊にもまったく予期しないことだった。
 室堂に着いたらアルペンルートを乗り継いで帰るだけなのだが、その前に日本一高所のみくりが池温泉に入りたかった。しかし人気のスポットゆえ、のんびり入れるかは期待していない。そこでもう一軒入っておくことにした。雷鳥沢キャンプ場への下りの道すがら、地獄谷周辺に見える三軒の山小屋を品定めしていた。何処も人影は見えなかった。
『天然流湯の雷鳥沢温泉、外来入浴入口』と看板が出ていた雷鳥沢ヒュッテに立ち寄った。
 内湯の大浴場は貸し切りだった。これは温泉ではないが、真水の貴重な山上にあって、これほど大きな風呂に真っ昼間から入れるのが驚きだった。
 あまりにくつろぎすぎたため、筋肉が弛緩してきた。これはまずい。このまま泊まりなら構わないが、まだ歩かねばならないのだ。
 一旦脱衣所を出ると、屋外の専用湯小屋に雷鳥沢温泉があった。こちらも貸切で、屋根付き壁一部なしの露天風呂に、硫化水素臭漂う白濁した熱いお湯が張られていた。正面には立山の雄大なロケーションが広がり、遊歩道には疲れきった大勢の登山者が、亡霊のように歩いていた。
 新しい衣服に着替え、みくりが池温泉を目指して遊歩道を登った。
 剱岳から室堂までの下山と言っても、前述した通り剣山荘から別山乗越まで標高差280メートルの登りであり、そこから雷鳥沢まで降りたはいいが、実は雷鳥沢は室堂より170メートル低く、つまり、また登りになるのである。温泉で弛緩しきった体には酷な仕打ちだった。

 ようやく辿り着いたみくりが池温泉のロビーは案の定大勢の観光客でごった返していた。風呂の利用者も多く、人気の割に脱衣所もカランもキャパオーバーの観がある。
 二軒の入浴で体はすっかり疲弊してしまい、或いは二日間蓄積された疲れがどっと出たのか、残りの登りは足が鉛のように重かった。遊歩道の階段を幽鬼のように登った。
 最後の力を振り絞るように室堂に辿り着くと、そこは昨日ここを発った時とは違う異様な雰囲気に包まれていた。
 中国人観光客がごった返していたのである。いたる所で中国人の団体が中国語でわめきながら記念写真を撮っていた。駅の改札も、乗り切れるのかというほどの中国人で溢れかえっていた。彼らは声量の抑制が利かないのか、大声で喚きまくり、改札に並んでいても、後ろからガンガン押してきた。
 日本人が観光地に来なくなり、閑古鳥の啼いていた地方経済を、今や中国人が支えているというニュースはテレビで見聞きしていたが、まさかここでそれにお目にかかろうとは思わなかった。
 かつて屈強な男達が命懸けで切り開いた絶界も、今ではすっかり形骸化され、同時にそれは日本そのものを象徴しているかの様でもあり、一抹の寂しさに包まれた。

●登山データ
2014年10月1日(水曜日)
剣山荘(標高2,470M)→剱岳(標高2,999M)、標高差529M

剣山荘(6時00分出発)→一服剱(6時20分)→前剱(7時00分)→平蔵のコル(7時30分)→剱岳山頂(7時55分)、所要時間:1時間55分
山頂滞在時間:30分
剱岳山頂(8時25分)→平蔵のコル(8時45分)→前剱(9時10分)→一服剱(9時40分)→剣山荘(9時55分/荷物受け取り休憩15分)→くろゆりのコル(10時25分)→昼食休憩(20分)→剱御前小舎(11時50分)→雷鳥沢キャンプ場(13時05分)→雷鳥沢ヒュッテ(13時15分/温泉入浴休憩35分)→みくりが池温泉(14時20分/入浴休憩20分)→室堂ターミナル(14時55分到着)
第2日目全行程:6時間30分
2日間の全行程:14時間10分

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