Practice Makes Perfect/白峰三山往復(一泊二日/1日目)
二重山稜を持つ間ノ岳(標高3,189M/国内標高第4位)。西農鳥岳より臨む

夜叉神峠のゲート。5時30分まで通行止め
広河原バス停から登山開始
大樺沢の大雪渓
二俣から雪渓を避け、右俣ルートを登る
バットレス直下を迂回する右俣コース
小太郎尾根分岐より北岳を臨む
北岳肩の小屋 肩の小屋から山頂を目指す

ガレ場も登る
長い山頂尾根もようやくピークに
北岳山頂(標高3,193M/国内標高第2位)
北岳を降り間ノ岳に向かう
北岳と間ノ岳の鞍部に建つ北岳山荘
間ノ岳の肩的な中白根山(標高3,055M)
中白根山から北岳を振り返る
中白根山から間ノ岳に向かう
間ノ岳山頂まで緩やかな尾根が続く
間ノ岳山頂
間ノ岳から農鳥岳(標高3,026M)を臨む
間ノ岳から農鳥小屋を俯瞰する
農鳥小屋に到着

白峰三山往復(一泊二日/1日目/広河原〜農鳥小屋)

2010年7月22日(木曜日)

 平成22年7月17日、関東地方の梅雨もようやく明けた。
 今回の梅雨は雷雨を伴った局地的集中豪雨型で、九州や四国、広島などに甚大な被害をもたらしたが、明けた途端に今度は35℃を越える連日の猛暑日となり、熊谷や館林で40℃近くまで上昇するなど、近年の異常気象ぶりが継続している。各地で熱中症による死亡者が相次いでいる。
 熱中症は無論登山でも起こり得る。特に蒸し暑い秩父の低山などは、汗が蒸発しにくく要注意である。

 今回は、気温の低い南アルプスの三千メートル超級高山縦走である。
 富士山に次ぐ国内標高第2位の北岳(標高3,193M)から稜線伝いに、間ノ岳(あいのだけ/標高3,189M、国内第4位)、農鳥岳(のうとりだけ/標高3,026M、20位)までの連続する、いわゆる白峰(しらね)三山を一泊二日で往復する。
 単純に計算して、標高280メートルの甲府市と比べ、16〜17℃の気温差が期待できる。

 北岳の一般登山路は、北アルプスのような命懸けの断崖絶壁コースはないものの、山自体が非常に巨大で、登る標高差が大きく、登山行程もかなり長大になる。
 山小屋も適度な間隔を以って配置されているが、今回の一泊二日での三山往復を成功させるには、間ノ岳と農鳥岳の中間に位置する農鳥小屋に宿泊する以外選択肢がない。

 ネットで調べると、この山小屋の主人はなかなか評判の人のようだ。
 評判とは概ね悪口だが、詰まるところ、山のルールやマナーを守れない人に対しての『指導』が、いささか厳し過ぎるということらしい。
 無論主人擁護論も多く、どうやら昨今の登山ブームのマナー劣化問題と相まって、根は深そうである。
 山や山小屋という環境が、下界と違うのは当然であり、それが解らないと時には命にまで係わる問題となる。小屋の主人は単にそれを言っているだけであり、下界の観光ホテル並みのお客様待遇を求めてくる方がどうかしているという擁護論は尤(もっと)もである。
 私自身、今後も登山を続けていく上で、この小屋に泊まることは、そうした現実問題を目の当たりにするいい機会になるかもしれない。

 山のルールのひとつに、15時ルールがある。
 山では天気が急変しやすい。
 つまり、日中暖められた地表の空気が、山の斜面に沿って上昇気流となり、上空の寒気とぶつかって凝結し、短時間で積乱雲が形成され、雹や雷雨が発生しやすくなる。
 そのため、15時には避難所となる山小屋に到着しているべきというのがその根拠であるが、森林限界を超えた吹き曝しの稜線で、神々の容赦のない攻撃に、運のみで対抗しようとする愚劣さを想像すれば、この理屈の合理性は子供でも理解できる。
 そのため、山小屋到着のタイムリミットは15時であり、それ以上の遅滞は『指導』の対象となるのである。

 計算では、私の到着時刻は15時だった。そこで布石を打っておくことにした。前日に予約の電話を入れ、15時に到着する旨を伝えた。電話に出たおそらく主人と思われる人は、
「前日はどちらにお泊りですか?」
 と訊いた。
 意外な切り返しだった。
 山小屋では、登山者の行動を把握する目的から、どこから登るか?と訊くのが普通である。このことは農鳥小屋の所在地に関係がある。どの登山口からも奥深い場所にあるため、15時ルールを適用すれば、途中でどこかの山小屋を経由しなければ、いまどきの中高年登山ブームの常識から言っても、到達は不可能だからである。

 前日は自宅である。ロクに睡眠もとらずに午前2時に家を出て、朝5時の一番のバスに乗り、広河原から北岳までの標高差1,673メートルを登り、そのまま稜線を間ノ岳まで縦走し、それを越えて農鳥小屋まで行きます。到着時刻は15時です。とは言えなかった。
 実力の判っている者同士ならともかく、いまどきの中高年登山ブームの常識から考えれば、バカか?という行程内容であり、主人もおそらくそう思うに違いないからである。
「朝一番のバスで広河原から登ります。15時に到着します」
 と、それだけ念を押した。
「では、お待ちしております。気を付けていらしてください」
 と、主人も行程そのものには口を差し挟まず、ごく丁寧な返事だった。とにかくこれで、私が15時に着くということが小屋に予定された。

 夜中の2時に秩父の家を出発して、芦安の駐車場に着いたのが4時過ぎである。ここから登山口の広河原までマイカー規制されているため、バスかタクシーを利用しなければならない。始発は5時10分。所要時間は1時間である。
 この一般車通行止めの南アルプス林道は、急峻な山肌を穿った、バス幅いっぱいの狭い山道である。そのため、上り下りとも、バスとタクシーの運行管理は厳密になされているはずだが、昨年の北岳の帰り、本来15時に発車するはずの10人乗りタクシーが、定員に達するまで客待ちしたため、発車が16時近くになった。つまり運行管理上のアノマリー(乱れ)が生じた。
 運転手は一時間近く待たせた客の不満を気にしてか、猛烈なスピードで到着時刻を取り戻そうとした。
 その結果、当然そうなるだろうが、定刻通りに上って来た同業タクシーと、ブラインドコーナーの出合い頭で正面衝突しそうになったのである。
 この時はぶつかったと思った。双方急ブレーキを掛け、車内に悲鳴が飛び交った。もしガードレールを突き破って三百メートル下の谷底に転落すれば、間違いなく死んでいただろう。このタクシーに運行管理もへったくれもなかったのである。

 帰りのタクシーはヤバそうだが、朝一番の上りならどうだろうか。途中の夜叉神峠のゲートは5時半開通であり、ゲートが開かないうちはバスもタクシーも通れない。ゲート前で待機し、5時半の開門と同時に車列を成して発車するのである。
 タクシー1号車の運転手を見ると、前回の胡散臭そうなオヤジとは違い、比較的若手の穏やかそうな人だった。全車一斉発車とはいえ、先行するタクシー隊の方が、バスより10分ほど早く着くのは魅力である。
 まあ、帰りはバスに乗るとしても、行きは少しでも時間を惜しみたかったので、タクシーに乗り込んだ。

 50分のドライブの後、広河原のバス停に着き、6時ちょうどに登山を開始した。
 大樺沢(おおかんばさわ)を登ると、まもなく大雪渓が見えてくる。今回は対雪渓用にアイゼンとピッケルを携行しているのだが、二俣分岐から雪渓を避け、右俣コースに入って肩の小屋経由で北岳山頂を目指すことにした。
 二俣で10分休み、途中のお花畑で10分休憩し、尾根に上がったところで10分へたり込んだ。
 ちなみに前回は、山頂直下の吊尾根分岐まで無休憩で登っているが、今回は途中休憩せずにはいられなかった。原因は『暑さ』である。
 スタート地点の広河原からして、標高は既に1,520メートルである。秩父の山の頂上並の高さであり、本来なら涼しいはずである。現に昨年は涼しく登れたのだが、今回はひどく暑い。
 関東では梅雨明けして以来、連日の猛暑日が続いているが、この南アルプスにもその影響は現れているようだった。

 北岳山頂に到着したのが11時25分。所要時間は5時間25分だった。山頂では5分間休憩したのみで下山に移る。ターゲットを間ノ岳に変更し、北岳山荘まで下って20分の食事休憩をした。昨年の日帰り登山ではここから引き返したので、ここから先は未知の領域である。

 北岳山荘から登った最初のピークを中白根山という。山頂標識も立っているが、これは間ノ岳の肩といっても過言ではない。何故なら、北岳山荘からは結構な登りだが、間ノ岳へは緩やかな稜線が伸びているだけだからである。そのまま稜線伝いに間ノ岳に到達した。

 広い山頂にへたり込んだ。時計を見ると既に14時10分だった。途中で高山植物の写真を撮るのに執心し過ぎ、つい時間を費やしてしまった。約束の15時まであと50分しかないが、後は下るだけなので何とかなるだろう。
 地図上参考タイムではあと1時間とある。ここからは撮影を控え、ひたすら降りることに専念すれば、おそらく40分で降りられる。まだ10分の余裕があった。10分間休息充電した。

 間ノ岳山頂から農鳥小屋は見えなかったが、広い山頂の端の降下点まで来ると、はるか遠くにそれは見えた。
 これはまずい、と思った。
 とても40分では行けそうもないほど、それは遠く小さく見えた。
 とりあえず10分歩き、後ろを振り返り、進捗状況を確認する。20分歩き、また確認する。意外と歩けた。これは行けるかもしれないと思った。
 残り10分となった。なかなか小屋が近付かない。左腕の電波時計がカウントダウンを始める。14時59分10秒、11秒、12秒…
 小屋に着いた。時計を見ると15時00分00秒だった。
 小屋の従業員に、予約した者だが、と告げた。

 小屋の主人が部屋に案内してくれた。そこは二十畳ほどの大部屋で、女性3人と男ふたりの先客が居た。
 私は全身汗みどろの衣服をすべて着替えたかったので、一旦そこを出て、外のヘリポートのような場所で、全裸になって汗拭きシートで体を拭い、部屋着に着替えてから部屋に戻った。
 主人が宿帳を持って来た。
「いい時間です。山ではこれ以降は雷がありますから」
 と云った。
 それだけである。私はその言葉を額面どおりに受け取った。
 傍らから従業員の男が、
「夕べはどこに泊まられました?」
 と余計なことを訊いた。
 む?っと思った。それを訊いてどうするのか。何か意図的なものを感じた。
 私はこれ以上この茶番に付き合いたくなかった。
「夕べ夜中の2時に家を出て、朝一番のバスで広河原から登りました」
 と、無造作に答えた。
 部屋の中にいた登山客に動揺が走った。
 この行程が、中高年登山ブームの常識から言って『無謀』なのは明らかだった。
 私自身、『指導』を受けるかもしれないと思った。もう、来るなら来い、と思った。
 その従業員の男は、
「じゃあ、僕と一緒だ」
 と笑った。

 む?
 言われてみると、この男には見覚えがあった。歩いている私を抜き去った男が一人だけいたが、確かこの男だった。
 私は一番のタクシーで来ているので、バスで来たこの男より10分ほど早くスタートしている。それが序盤に抜き去られていた。歩いていて道を譲った唯一の人物であるし、この時明るい挨拶をしてくれたので、印象に残っていた。私は何時に着いたのかを訊いてみた。
「1時です」
 彼はケロリと答えたが、これは尋常なタイムではなかった。私より2時間早かった。
 雪渓を登ってきたのか?と訊くと、
「とんでもない。肩の小屋経由で来ました」
 と云う。私と同じルートである。私は別段、自分の足が迅(はや)いとは思っていないが、ここまで差を見せ付けられると、さすがにショックは隠せない。山小屋の主人は傍らで黙って聞いていた。

 主人は続いて明日の予定を訊いた。
「農鳥岳を往復してから広河原に戻ります」
 と云った。
 他の登山客に再び動揺が走った。
 この白峰三山を縦走する場合、三山最後の農鳥岳に登ったら、そのまま奈良田に降りてしまうのが普通である。わざわざ越えてきた山に、次の日また戻るというのは、いまどきの中高年登山ブームの常識からは呆れた行為であり、ふざけるのもいい加減にしろという嫌悪感を抱かせるのに充分だった。
 私はそのことについて理由を補足した。
 奈良田から広河原に戻るバスは最終時刻が13時25分である。地図上参考タイムでは所要時間8時間15分となっており、私の計算では朝6時に出発したとしてもギリギリの到着となる。逃せば奈良田温泉に宿泊となる。それに対し、広河原の最終バス時刻は17時である。計算では16時に着くはずなので、私はこれに乗って帰るつもりである。という旨を云った。
 小屋の主人は、
「明日の朝食は4時です。広河原からここまで、この時間で来たアナタの足なら、奈良田のバスに間に合います。しかし、あの道は降りるだけで見るものもない。明日も天気は好い。せっかくここまで来たのだから、明日も山上の世界を楽しんでいってください」
と、ノートに『広河原』と書き込み、私の前から立ち去った。

 以後、この小屋の従業員は気さくだった。客が少ない所為もあってか、何かと話しかけてくる。私は今朝私を追い抜いた男に、明日あの雪渓を降りることをどう思うか訊いてみた。無論アイゼンとピッケルは持っている。それと、これは口にはしなかったが、千畳敷カールの極楽平の35度の急斜面で、グリセードと滑落停止も実習済みである。大樺沢の雪渓も昨年見ているし、何より私はスキーヤーであり、雪の急斜面には充分免疫が出来ている。正直なところ私は既にやれると見切っていた。
 彼と、もう一人のスタッフは即座に、登るのはいいが降りるのはやめた方がいいと懸命に止めた。
 しかし、いつの間にか傍らで聞いていた小屋の主人は、
「ピッケルでステップを切って行けば行ける」
 と、ジェスチャー交じりにアドバイスしてくれた。
 しかし、こうも付け加えた。
「滑落したらストックでは止まらない。今の登山者はストックは持って来るが、ピッケルは持っていない。ストックは登山道を荒らすだけだ」
 と、ここで初めて、この主人の片鱗らしい苛立ちを見せた。
 実際に滑落してみて、ピッケルでなければ止められないことは、私自身、身をもって体験済みである。しかし、そんな生兵法自慢をして、いらぬ怒りを購(か)うことは避けた。

 結局この日、宿泊者六人に対して何ら『指導』が発動されなかったばかりか、それ富士山が出たぞとか、やれ夕焼けしたぞとか、いちいち知らせてくれる世話焼き振りの主人だった。
 大部屋なので、布団の間隔も広く快適だったが、いかんせん外泊が苦手な私は、やはりほとんど眠れなかった。前夜から二晩続けての睡眠不足が、明日の強行登山にどう影響するだろうか。
 夜中の3時に外に出てみると、天空をぼんやり白く染める天の川に、満天の星が煌(きらめ)いていた。

※2014年4月1日、国土地理院は、最新の測量技術により、間ノ岳の標高をこれまでより1メートル高い3,190メートルとした。これにより奥穂高岳と並ぶ国内標高3位タイとなった。

キツリフネ モミジカラマツ タカネグンナイフウロ
ハクサンフウロ タイツリオウギ タカネバラ
ミヤマハナシノブ ミヤマダイコンソウ バイカウツギ
オオヒョウタンボク ミヤマキンポウゲ ハクサンチドリ
コイワカガミ チシマヒョウタンボク シナノキンバイ
ミヤマシオガマ ハクサンイチゲ イワウメ
チョウノスケソウ ミヤマオダマキ イワベンケイ
テガタチドリ ミヤマキンバイ ミヤマムラサキ

●登山データ
2010年7月22日(木曜日)
広河原バス停(標高1,520M)→北岳山頂(標高3,193M)、標高差1,673M

広河原バス停(6時00分出発)→大樺沢二俣(7時40分/休憩10分)→右俣コース(休憩10分)→小太郎尾根分岐(10時20分/休憩10分)→肩の小屋(10時40分)→北岳山頂(11時25分)、所要時間:5時間25分
山頂滞在時間:5分
北岳山頂(11時30分出発)→北岳山荘(12時25分/休憩20分)→中白根山(13時15分)→間ノ岳(14時10分/休憩10分)→農鳥小屋(15時00分到着)、所要時間:3時間30分
1日目全行程:9時間00分
農鳥小屋宿泊

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