Practice Makes Perfect/槍ヶ岳(第1日目)
北アルプスを代表する一座、槍ヶ岳(標高3,180M/国内標高第5位)

上高地から梓川沿いのコースを行く
昼間は賑わうブロードウェイも早朝は閑散としている
コース途中の徳沢園
梓川を挟んだ左手には穂高岳が聳立する
水しぶきでつるつるに凍っている橋
二ノ俣に架かる橋
落石危険箇所も随所にある
槍ヶ岳の姿は、途中の槍見での一瞬以外に見えない
天狗原分岐まで来てもまだ槍ヶ岳は見えない
歩くこと5時間。やっと山頂が見えてきた

10センチの雪が積もった槍沢カール。やっと槍ヶ岳らしい雰囲気になってきた
シンプルなディテールの槍ヶ岳。直下には殺生ヒュッテが佇む

播隆窟(ばんりゅうくつ/坊主岩小屋)
山頂直下の落石が怖い
槍ヶ岳山荘に到着。荷物を置いて山頂を目指す
ペンキマークに沿って進むが、雪溜りが怖い

山頂までかなりの急勾配だ
上りと下り、別々に設置されている梯子
最後はほとんど垂直に近い
梯子を昇りきった所が山頂
山頂はL字型に8畳くらいな広さ
山頂に寄り添う道祖神。播隆とおはまか?
山頂から槍ヶ岳山荘を覗く

槍ヶ岳(上高地ルート第1日目)

2009年10月22日(木曜日)

 登山趣味をはじめた当面の目標を槍・穂高縦走に置き、昨年(2008年)第一回目の挑戦を試みた。
 上高地の岳沢から前穂高・奥穂高・北穂高と、穂高エリアは縦走したものの、大キレットを越えた南岳まで行ったところで風雨に遭い、槍ヶ岳を断念して天狗原へと下った。あえない敗退となった。
 今年は仕事の都合で9月の連休が取れず、なんとか10月6日から8日まで3日間の休みを取得したが、無情にも10月としては5年ぶりに上陸したという台風18号をピークとした9月下旬からの秋雨前線に見舞われ、登ることなく今年の挑戦を見送った。多くの山小屋が今季の営業を終了したのは、その数日後のことである。

 その後、10月22、23日と連休を取った。
 縦走は無理としても、まだ営業を続けている槍ヶ岳山荘に泊まって、槍ヶ岳まではやれる。翌日は稜線を大キレットに向かい、北穂高岳まで縦走して涸沢(からさわ)カールに降りるコースを考えたが、この計画も数日後には反故(ほご)に帰した。
 雪が降ったのである。

 10月に入れば、三千メートル級高山に雪が降ってもおかしくない。槍ヶ岳山荘のブログによると、10センチ以上積もったという。
 その後天候は快復しているが、そうやすやす融けるとは思えない。前日に山荘に電話してみると、標高二千五百メートル以上で積もっているが、槍ヶ岳の山頂まで今日も登っています、という返事だった。
 予報では明日も明後日も晴天が続くという。電話を掛けたついでに宿泊の予約をし、出発の決意とした。ターゲットはとりあえず、槍ヶ岳(標高3,180M/国内標高第5位)の登頂である。

 夜中の1時半に家を出発し、沢渡(さわんど)の駐車場に着いたのが4時半だった。5時40分のバスで上高地に入り、6時20分に登山を開始した。
 山上の紅葉の時期も過ぎ、山小屋の営業も終了とあってか、河童橋にカメラマンが数人いる他、そこから先に入る人影は前後誰も見当たらない。
 昨年は河童橋を渡って岳沢に入ったが、今回は梓川の流れを左手に見てのブロードウェイを行く。昨年天狗原からの下山に使った道で、勾配は緩いがとにかく距離が長い。
 登山客のみならず、一般観光客にも絶大な人気で、昼間だと平日でも結構な喧騒を呈し、それを押し分けて山小屋関係のクルマも走るなど、それが上高地らしいのか、それともらしくないのか、意外とも取れる雰囲気がある。

 一般観光客のターニングポイントである明神館から奥も、登山道らしからぬ平坦な道が続き、上高地から天狗原分岐まで、なんと15キロほども続く。
 そのため、上高地から槍ヶ岳までの標高差1,675メートルのうち、半分は勾配を意識することなく登れてしまう。地図上で計算すると、この区間の標高差は843メートルあるが、平均斜度は概ね3度でしかない。
 登山で疲れるのはとにかく登る行為であり、平地を歩く行為というのは、歩きながら疲れを癒す区間でしかない。それが15キロも続くのである。ここまで5時間歩いても、大した疲れを感じないのはそのためである。

 槍ヶ岳を目指すこのコースだが、途中の槍見という場所での一瞬以外、目的の槍ヶ岳の姿を見ることはできない。ようやくそれの見えるのは、標高2,348メートルの天狗原分岐を過ぎてからで、そこは既にこのコースの終盤に差し掛かってしまっている。
 これはカール地形によるもので、カールとは山腹をスプーンで抉(えぐ)り取ったような台地を言い、台地の下にいる限りは台地の上が見えないという理屈による。そのため、やっと台地の上に登って頂上を見た時には、既にゴールは間近という、期待が大きかった分、拍子抜けするほどのあっけなさなをも伴うのである。

 槍沢カールは10センチの積雪に覆われていた。雪は適度に緩く、ストックがあればアイゼンなしでも充分登れる。雪原をステッチしたようなジグザグを十回も繰り返し登れば槍ヶ岳山荘に着く。
 この槍沢カールだけは登山らしかったが、時間的にはすぐ終わり、ただ何となく、長いこと歩いてきたなぁという、奇妙な徒労感だけが残った。昨年、岳沢から登った穂高岳の過酷さとはずいぶん違う。

 山荘に着いたのが14時ちょうどだった。10分の休憩後、荷物を置いて山頂に向かった。
 山荘から山頂までの標高差は100メートル、20分の距離である。
 上りと下りでそれぞれ鎖と梯子が設置されているが、足許の雪溜りのため、思うコース取りは難しい。こういう場合、アイゼンを履いたほうがいいのかとも迷ったが、露岩や梯子を昇りにくいかと思って履かなかった。垂直に近い二段の梯子を昇りきれば、そこが槍ヶ岳山頂である。

 無人の山頂は八畳ほどの面積があるだろうか。L字型になっていてそう広くは感じない。
 ここまで、高山に登ったという実感がなかったが、ここに立って突如、標高3,180メートルの寒々しい現実に身を曝(さら)された。北鎌尾根、東鎌尾根、西鎌尾根、そして穂高岳へと続く南の尾根が、狭い足許から急峻な断崖のアーチとなって四方に落ち、まるで四方へ落ちるジェットコースターの頂点に立ったようだが、無論その比のスケールではない。

 この槍ヶ岳は、播隆(ばんりゅう)上人が開いた山だということは、新田次郎の小説『槍ヶ岳開山』を読んで予備知識としていたが、当時、梯子もハーケンもなく、これを登ったというのは、まったくもって脅威でしかない。何故なら、岩は登るよりも降りるほうが難しく、もし登った後で降りられなくなったらと考えると、登るのは容易なことではないからである。
 今日、近代整備のお蔭で難なく登り降りできる槍ヶ岳だが、最初に道を開いたり、また後世その整備に当たる人たちの苦労なくしては、一般登山者の登頂はありえない山である。それを胸に刻んで、下山の梯子を握った。

 電話での予告どおり、15時前にチェックインした。
 さて、今日はもうこれ以上進めない。明日どうするかである。
 穂高岳へ続く縦走路の積雪は微妙だが、経験不足からいっても、やはりやめたほうが無難だろう。アイゼンがあるにしても、鎖は凍った雪の下になっているかもしれず、途中から下山するにも、南岳から天狗原に下るルートには直径2メートルほどもある巨石・巨岩ゾーンが待ち受けている。岩の表面が凍結した鏡面状態になっている可能性が高く、そうなっていてはとても降りられない。当初予定していた北穂高から涸沢に降りる南稜に到っては未知のルートである。
 半ばそう計算しつくして決めていたことだが、山小屋の人に一応意見を窺ってみた。もちろん期待していた答えは「やめた方がいいですよ」というもので、それを聞いて納得の上、明日は気持ちよく降りようと思っていた。ところが、彼が発した答えは案に違っていた。
「自信があれば行ってもいいんじゃないですか」
 というものだった。

 頭から水をブッ掛けられたような返答に、或いは肚(はら)を見透かされたかもしれないと思ったが、言っていることは尤(もっと)もである。本来、山では自分の能力以外、何ものも充てにしてはならない。行けると思えば行くし、行けないと思えばやめる。それだけのことである。自己の能力を省みず、他人を頼っての登山では遭難も当然だろうと、日頃の持論としていたことである。
 余程今日はどうかしている。何を今更うろたえていたのだろうか。要らざる愚問を発してしまった後悔に、明日は大人しく下山と決めた。

 よく、山小屋はホテルと違うというが、山小屋宿泊経験二度目の私は、この日それを思い知らされることになった。
 シーズン終盤の平日とあってか、この日の宿泊客は私を含めて4人だった。
 夏の週末など大変な混み様で、一枚の布団にふたりで寝ることも珍しくないという。遭難防止の観点から、来る者は拒まずの原則がそのような結果を生むわけだが、それが物理的限界に達すれば、外で凍死するよりマシだろうという、時に人間の尊厳すら維持できない事態も想像されなくもない。それを避けるために私は時季外れの平日を選んでいるのであり、宿泊客の少ない今夜はゆっくり眠れるだろうと当然の期待もしていたのである。
 ところが、案内された部屋には先客が3人いた。

 何かの手違いだろうとしばし呆然としたが、つまり今夜の泊り客4人すべてが相部屋だったのである。
 昨年泊まった北穂高小屋は、お蚕(かいこ)棚とも揶揄(やゆ)される左右連続式二段寝床だったが、今回の槍ヶ岳山荘は六畳プラスアルファくらいの部屋だった。隅に布団が6セット積まれているところを見ると6人部屋らしい。
 部屋は他にいくつも空いているだろうに、九千円も支払ってこの配慮は一体なんだろうか。部屋には暖房が入っているわけでもなく、強いて言うなら照明の電力消費と掃除の手間くらいなものだろう。
 昨年の北穂高小屋はほぼ満室だったため、その処遇も致し方なしとしていたが、今日のこの仕様(しざま)を見て、山小屋の何たるかが、ようやく薄々とわかってきた気がする。
 山小屋があればこそ、テントや寝具を持参することもなく、極論すれば水も食糧も必要ない。
 私のような安直な登山者が、こうしてここまで登って来られるのも山小屋があったればこそであり、それに感謝こそすれ、苦情を出す筋合いなどないだろう。それが嫌なら日帰りに徹するか、必要なものすべてを担ぎ上げればいいだけのことである。
 おそらく、山小屋のスタンスとしては、何の装備もない登山者が連絡もなしに避難して来たとしても、一切拒絶しない代わりに、提供するのは寝床と食事のみであり、登山者同士の鼾(いびき)やら悪臭やらの些細な環境問題までは、一切関知しないだろうということである。
北鎌尾根
東鎌尾根
穂高岳へ伸びる縦走路(南の尾根)
西鎌尾根

●登山データ
2009年10月22日(木曜日)
上高地バスターミナル(標高1,505M)→槍ヶ岳山頂(標高3,180M)、標高差1,675M

上高地バスターミナル→(6時20分出発)→明神館(6時55分)→徳沢園(7時35分)→横尾山荘(8時25分)→槍沢ロッヂ(9時35分)→天狗原分岐(11時25分/10分休憩)→播隆窟(12時25分)→槍ヶ岳山荘(14時00分/10分休憩)→槍ヶ岳山頂(14時30分到着)、登り所要時間:8時間10分
山頂滞在時間:10分
槍ヶ岳山頂(14時40分下山)→槍ヶ岳山荘(14時55分)
第一日目全行程:8時間35分
槍ヶ岳山荘宿泊

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