Practice Makes Perfect/穂高岳・槍ヶ岳縦走(第1日目)
北アルプス最高峰にして、国内標高第3位の奥穂高岳(標高3,190M)。前穂高岳より臨む

上高地河童橋から眺める奥穂高岳と、これから登る岳沢
岳沢登山道入り口
岳沢。このあたりはまだ余裕だ
奥穂高岳を見上げる。首が痛くなるほど高い
岳沢ヒュッテ跡。石垣しかない
岳沢ヒュッテ跡を過ぎると重太郎新道の急登がはじまる
重太郎新道の急勾配は紀美子平まで続く
重太郎新道から臨む乗鞍岳(正面)と焼岳(右)
前穂高岳への急登。不眠の体にはきつい
明神岳の鋭鋒
紀美子平から前穂高を見上げる
標高第11位の前穂高岳山頂(標高3,090M)
西穂高岳と岳沢
涸沢カールと遠く槍ヶ岳
紀美子平から奥穂高岳へ向かう
吊尾根から前穂高岳を振り返る
常念岳(奥)と屏風岩(手前)
涸沢カール
奥穂高岳山頂
奥穂高岳から臨むジャンダルム

奥穂高岳から臨む槍ヶ岳への縦走ルート。涸沢岳、北穂高岳と3,000M級の岩峰が間に立ちはだかる

奥穂高岳から臨む涸沢岳と、右奥に北穂高岳
涸沢岳から笠ヶ岳を臨む
涸沢岳から見た奥穂高岳と穂高岳山荘
北峰と南峰からなる北穂高岳
雲は大人しくしている
北穂高の岩壁
北穂高への登山道はいくつもの岩峰が立ち塞がる
北穂高岳と滝谷の岩壁
前穂高岳と涸沢カールを振り返る
北穂高岳山頂に寄り添うように建つ北穂高小屋

穂高岳・槍ヶ岳縦走(第1日目)

2008年9月24日(水曜日)

 国内標高第3位の穂高岳(3,190M)と同5位の槍ヶ岳(3,180M)。北アルプスの盟主的存在として君臨する二座の縦走に挑戦した。
 この縦走は三日掛けて行うのが普通であり、コース取りは上高地から梓川沿いをだらだらと穂高岳を迂回しながら槍沢に向かい、槍ヶ岳に登り上げてから稜線伝いに穂高岳に向かうのが一般的である。そのためこの縦走をいう場合、『槍・穂高縦走』となる。登山を始めて二年目となるこの年、この縦走が果たして一泊二日で成し遂げられるものかどうか、過去の登山に於いてその都度様々なテーマを課して己の能力を測ってきたが、今回それが可能であると判断し、遂にこれを決行した。
 地図上参考タイムの積算では27時間20分になるが、これを20時間程度に圧縮し、二日間に分配して踏破する。無論、雷雨や暴風雨等で計画が破綻する可能性はあるので、続行を断念して途中下山することも想定内である。

 一旦は9月上旬に予備日を含めた3連休を取得していたが、8月下旬から9月上旬に掛けて各地を襲ったゲリラ豪雨により、敢え無く断念。今回は2連休しか取れなかったので、悪天候を山小屋で一日調整する余裕がなく、故障が生じれば縦走を断念して降りるしかない。
 登山前日の仕事を終え、23時に就寝し、0時半に起床。1時に家を出発する強行軍となった。遠足前日の子供みたいに睡眠に失敗してほとんど眠っていないが、高速道路の運転に支障はなかった。
 予定していた沢渡(さわんど)松本電鉄車庫前の池尻駐車場に着いたのが4時。コンビニ弁当で朝食にし、バスが来るまで仮眠を取ろうと思うがこれがまったく眠れない。上空にはオリオンが瞬き、5時になってもあたりは暗いままである。今夜は山小屋に宿泊し、明日の朝危険な岩稜に挑むことになるが、さてこの暗さでは危険だな、などと思いながら、何時に明るくなるのか虚ろに観察していた。
 沢渡上バス停に改札員が来たのが5時25分。バスが来たのが10分後の5時35分である。この時期は5時半以降10分から20分間隔でバスが出ているようで、上高地バスターミナルから登山を開始できたのは6時ちょうどだった。
 上高地のホームページによると、初便でも6時25分着となっていたので、これはうれしい誤算だった。何しろこの計画の難しさは、スタート地点となる上高地にマイカーでは入れないため、時間的制約を受けるバスを使うことにあり、帰還にあたっては1分を争うことにもなりかねない。少しでも早くスタートできれば、ひとつでも先の小屋を目指す上での余裕になる。

 これまでの経験でわかったことは、地図上参考タイムの短縮というのは急登区間でこそ可能であり、平坦地や岩場の稜線では難しいということである。ほとんどの登山者は上高地から梓川沿いの長い平坦路を進むが、ここでの時間短縮は走らない限り難しく、そうすることを前提としていない場合、この区間は下りに使ったほうが多少は効果があると思われる。そのような机上の計画のもと、バス停から河童橋を渡ったのは私一人きりだった。

 上高地から眺める穂高岳の正面の谷津が岳沢(だけさわ)コースである。前穂高岳までの標高差1,600メートルをほぼ直登するこの急登コースは、ほとんどの登山者が穂高岳を右に迂回し、裏側の涸沢(からさわ)か槍沢へのルートに行列を成すのに対して、そのハードさ故かひどく閑散としている。
 最初、私しかいないと思ったが、それでも途中でふたりの登山者を追い越し、途中の岳沢ヒュッテ跡では、登山者一人と下山者一人に会った。まんざら誰も登らないルートでもなさそうだが、この岳沢ヒュッテ跡がルートの不人気ぶりを象徴していると言えるだろう。小屋は撤去され、石垣しか残っていない。
 この岳沢ヒュッテ跡までは順調なペースで登って来たが、ここから重太郎新道と名前が変わると、胸を突くような急登になり、梯子や鎖も出てくる。

 体調に異変が生じた。足が重く、上がらなくなってきた。脚に筋肉疲労が感じられる。まだ2時間しか登っていないのにこれは早すぎる。
 しかし、すぐに原因が睡眠不足にあることに思い至った。今回の登山に向けてトレーニングを積んできたつもりだったが、ほとんど一睡もせずに登山するのは初めての経験である。標高第3位の山に対してこれはいささか嘗(な)めすぎたかもしれない。岳沢ヒュッテ跡で出会った、夕べは上高地のホテルに泊まったという単独男性に道を譲った。
 ペースは一向に上がらないが、何とか無休憩のまま紀美子平まで到達した。
 紀美子平は奥穂高岳と前穂高岳の分岐点のテラスである。既に10人ほどが休んでおり、前穂高に取り付いている者も数人見られた。
 これらの人たちはほとんどすべてが私とは逆のルートを辿っているのだろう。これから狭い岩稜エリアに踏み込むにあたって、圧倒的多数で来る『順周り組』とのすれ違いに注意しなければならない。

 いわゆる穂高岳というのは、いくつかの山の集合体の総称で、最高峰・奥穂高岳(標高3,190M/第3位)を筆頭に、涸沢岳(からさわだけ/3,110M/第8位)、北穂高岳(3,106M/第9位)、前穂高岳(3,090M/第11位)、西穂高岳(2,909M/第34位)からなる。このうち槍ヶ岳への縦走路から外れる西穂高を除いたすべてを踏破するのが今日の予定である。
 紀美子平から前穂高へは岩をつかみながら四つん這いでの往復になる。ここまで4時間ノンストップで登って来たが、この疲弊したペースを改善しなければ、この先の計画遂行に支障をきたす。リュックを降ろし、座り込んでの食事休憩を容れた。
 20分休憩し、腹にも力が入るようになった。荷物をそこに置き捨てにし、前穂高への往復に取り付いた。

 穂高全般の恐ろしさは、一面草木の生えない森林限界上の岩山も、よく見ると岩というより大小無数の石を積み上げたような山で、そのひとつひとつは堅牢に固着しているものではなく、ただそこに置いてあるだけということである。石コロが3,000メートル積み上げられたようなもので、斜度30度の急斜面にかろうじてバランスを保って置いてある石は、蹴転がせば上高地までの落差1,600メートルを雪崩を打って転げ落ちて行きそうに見える。
 山全体がそんな感じで、それが普通に観光地化しているところが恐ろしい。無論、行政に事故の責任を課すなら山全体を立ち入り禁止にするしかないだろうが、これだけ多くの登山者が、自己責任においてこの恐ろしい山に入っていること自体恐ろしく感じられた。週末や夏休みなど、この日とは比較にならないであろう人数が押し寄せる状況で、人為的落石事故が発生しないはずがないと思えてならない。

 前穂高岳山頂は積み上げた石ころを平らに均(なら)したようで意外に広い。眼前に荒々しい奥穂高岳と明神岳が聳立(しょうりつ)し、奥穂高岳の背後に伸びる縦走ルートに沿って、涸沢岳、北穂高岳と続き、その最後には天空を突き上げる鋭鋒・槍ヶ岳の全容が見て取れる。この日初めて槍ヶ岳を見た瞬間だった。
 ここからの眺めは実にすばらしい。写真撮影を兼ねて15分も滞在してしまった。
 もと来た道を降りるが、これがよくわからない。登る時は岩に描かれたマーカーを辿ればよかったが、下りの場合はこのマーカーが角度的に見えずらく、怪しげな踏み跡を辿るとコースをロストする。
 天気がよければ眼下に紀美子平を臨めるが、それを目標にすると落石の巣のような谷筋に誘導されやすい。この好天にも拘わらず下りルートを見失った人から道を訊かれたりしたが、視界が悪い時には遭難者も出るのではないかと危惧された。いたるところにある怪しげな踏み跡がそれを物語っている。

 予定よりも少し早いが、状況打開のためにはもはや切り札を出さねばならない。それによって強制的に体力を引き上げる。ドーピングである。
 と言っても、市販の粒状サプリメント剤で濃い目の水溶液を作って飲むだけのことで、箱の但し書きにはアンチ・ドーピング機構認定品と書かれているので厳密にはドーピングではない。500mlボトルに半箱分入れて飲んでみると、ひどい味になる。
 昨年燕岳で出会ったある人の言葉が思い出される。
「まだ試したことがないなら、最初の一回は効きますよ」
 その言葉を信じて、次なる目的地である奥穂高岳へ向かうが、すぐに効果が出るものではない。女性ふたりにあっさりと抜かれた。
 しばらく行くと道端で男性が腰を降ろして食事を採っていた。岳沢ヒュッテで出会い、途中で道を譲ったあの単独男性である。彼の今日の予定は穂高岳山荘までとのことで、余裕の時間調整中とのことだった。
 彼には私が南岳小屋まで行くつもりだということを打ち明けてしまっている。彼は今、私の姿を見るなり、それは難しいだろうと云った。私自身無様な姿を晒しているので、それは否定できないが、幸いにも今日は天気が穏やかなので、出来るだけ歩いておきたい気持ちに変わりはない。南岳小屋が無理なら、そのひとつ手前の北穂高小屋までは、這ってでも行っておきたい。そう心に決めていた。

 奥穂高岳の山頂は狭い。狭い山頂に更に石を積み上げた祠と、風景指示盤が立っている。その祠の石積みの上こそが頂上だと言わんばかりに、争うように人が登っている。
 実にくだらない。何か見たくもないものを見た気分である。山頂滞在時間5分で山を降りた。
 山頂を降りると穂高岳山荘に出る。時間は14時10分。広い庭には今日の宿泊者達がのんびりくつろいでいる。このあたりが登山をやめて山小屋へ入れと言われている時間であるが、天気が崩れる様子はまったく見られないため、北穂高小屋を目指すことにする。

 涸沢岳を登る頃から体力が戻ってきた。ドーピングの効果はあったようで、これなら充分北穂高まで行けそうである。
 涸沢岳を突破すると、それまでの様相とは違ってくる。長大な痩せた岩稜は、特に岐阜側は非常な高度感のある断崖絶壁であり、もし強風が吹いていたらかなり危険な区間である。今日は穏やかだから問題ないが、こういう場所が観光登山のルートとして成立していると言うことが俄かには信じがたい。例えば妙義山の稜線縦走ルートは、一般登山道ではないので登攀(とうはん)用具と登攀技術のある人以外は立ち入らないよう注意書きがされているが、この穂高の稜線は、高度感から言ってそれを凌駕しているにも拘わらず、普通の登山ルートなのである。ここを闊歩するアルピニストというのは、それだけ格が違うということなのだろうか。少なからず切ない気分にさせられた。

 この時間に歩く人はもう誰もいない。
 およそ生気を感じさせない、風化と崩壊だけが支配する岩稜は、まるで地球の化石の中を歩くかのようであり、世界滅亡後にひとり生き残り、神の審判の前に引き出された罪人かのような気持ちにもなる。越えても越えてもその影から凶悪な岩峰が現れ、ちっぽけな私を見下すように立ち塞がる。ここで進退窮まり人生を終えるか、生存に向けて執念で活路を開くかの正念場にも思えてくる。この太古からの遺伝子的恐怖の向こう側に、人は何故山に登るのかという理由が隠されているのかもしれない。

 鋭利な岩で裂けた登山靴と、度重なる登攀によって負ったズボンの股間の裂け目が激闘を物語っていた。北穂高岳山頂に立ったのが16時50分。その頂の陰に強風を避けるように北穂高小屋の屋根が見えた。上高地を出発してからの全行程は10時間50分である。いつもの日帰り登山ならこのうちの半分は下山時間だが、この日はほとんど登りっ放しの10時間だった。
 北穂高小屋と南岳小屋の間には、稜線を断ち切る巨大な空隙、大キレットが待ち構えている。南岳小屋へ行くにはキレットの谷底まで一旦降りて、そこから向こう側へ登り返さねばならない。当初の予定ではそこまで行くはずだったが、予定を変更して北穂高小屋に宿を求めた。地図上参考タイムにして3時間20分が明日へのビハインドとなった。
大キレット越しに臨む槍ヶ岳
南岳から槍ヶ岳への縦走ルートの様子
北穂高岳と南岳の間を断ち割る大キレットの全容

●登山データ
2008年9月24日(水曜日)
上高地バスターミナル(標高1,505M)→奥穂高岳(標高3,190M)、標高差1,685M

上高地バスターミナル(6時00分出発)→岳沢ヒュッテ跡(7時55分)→紀美子平(10時10分/休憩20分)→前穂高岳(11時00分/休憩:15分)→紀美子平(11時35分)→奥穂高岳(13時25分到着)、所要時間:7時間25分
山頂休憩:5分
奥穂高岳(13時30分出発)→穂高岳山荘(14時10分)→涸沢岳(14時40分)→北穂高岳・北穂高小屋(16時50分到着)
第1日目全行程:10時間50分
北穂高小屋宿泊

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