Practice Makes Perfect/穂高岳・槍ヶ岳縦走(第2日目)
槍ヶ岳上空に暗雲が立ち込めている
振り返れば北穂高小屋が灯台の様に見える
蝶ヶ岳上空の雲の底が抜け、猛烈な勢いで巨大な漏斗が形成される。タッチダウンしたら竜巻になるかと思われた
漏斗に巨大な火球が出現しタッチダウン前に破壊された。容易ならぬ天気の前兆か?
大キレットに降下。岐阜側から猛烈な風が吹き上げてくる
飛騨泣き。長野側で風を退避しつつ岐阜側に乗越す
キレット中間の難所、長谷川ピーク
ナイフの刃を立てたような長谷川ピーク
長谷川ピークより南岳方面を見上げる
キレット最後の難関・獅子鼻。南岳小屋まで岩登りが続く
獅子鼻は岐阜側のため風が強い。視界も悪くなってきた
大キレットを無事突破し、南岳小屋に到着
雲の中の南岳山頂(標高3,033M)。展望は何もない
稜線には雨交じりの横殴りの強風が吹き荒れる

縦走を断念し、南岳稜線から天狗原へ下る
天狗原への降下も結構急だ
天気がよければ槍ヶ岳のビューポイントである天狗原

穂高岳・槍ヶ岳縦走(第2日目)

2008年9月25日(木曜日)

 朝起きたら小雨交じりの風が吹いていた。槍ヶ岳は全体がしっかり見えているものの、上空一面には墨を流したような不気味な雲が広がっている。それは高層雲を成していて、今はまだそこに留まっているが、イソギンチャクの触手の様に揺れる黒い雲が、今後の天候の行く末が決して明るくないことを予見させた。
 5時半に朝食を頂き、まだ薄暗い中、6時に出立する。奥穂高岳へ向けて出発するグループにひとり背を向け、大キレットへの孤独な降下を開始した。北穂高小屋の庭からほとんど垂直に見えるような断崖を降りて行く。しばらく降下して振り返って見上げると、昨夜泊まった窓明かりが命の灯台の様に見えた。

 それまでどうにかバランスを保っていた高層雲に変化が表れた。黒い筋状の雲がその触手を蝶ヶ岳に向けて伸ばしてきた。それが地表に達すると、それを呼び水にして高層雲の底がどっと抜けた。もの凄い速さで漏斗が形成され、まるでダウンバーストの様に蝶ヶ岳へと雪崩れ込んだ。
 あまりの勢いに巨大竜巻が発生するかと思った。もしそれが発生したら山にいる人間に逃げ場はない。
 更に信じられないことが起こった。
 漏斗の口に巨大な火球が現れ、見る見るうちに膨張していった。まるで映画『インディペンデンスデイ』の冒頭シーンのような、宇宙人の襲来か、この世の終末でも来るかのような恐ろしい光景だった。
 それは日の出だった。
 ちょうど北穂高から見ると、巨大漏斗と太陽の方向が重なったわけだが、不思議なことに太陽の輝きが増すごとに漏斗は膨張して、やがて破壊された。巨大竜巻の発生は阻止されたが、今後の天候が尋常でないと予感させるには充分すぎる神の演出だった。

 大キレット。穂高・槍稜線縦走ルートを分断する大空隙である。その最低鞍部の標高は2,748メートルであり、3,106メートルの北穂高岳から標高差350メートルを降下し、3,033メートルの南岳まで280メートル登り上げなければならない。簡単に言えばV字谷である。
 大キレットを降下して最初に現れる難関が飛騨泣きである。この稜線は長野と岐阜の県境で、交互にこれを乗越す(登山用語でのっこすと言う)わけだが、穏やかな長野側に比べ、岐阜側の猛烈な断崖からは泣き叫ぶような強風が吹き上げてくる。稜線は非常に狭く、ひとたび強風でバランスを崩して転落すれば間違いなく即死である。無風の状態ならまだしも、この状態でこれが一般登山道と言えるのだろうか。またも北アルプスの格の違いに泣きたい気分にさせられた。

 飛騨泣きと長谷川ピークの鞍部であるA沢のコルで先行者ふたりに追いついた。すぐ後ろをついていって落石を食らうのも馬鹿げているので、距離を措いて彼らが安全圏に離れるまで待った。彼らが見えなくなってから長谷川ピークに取り付く。少し行くとまた追いつく。また距離を開ける。また追いつく。しばらくそうしていたら向こうでも気付いたのか、風を避けられるところで待っていてくれた。
 私が挨拶をして抜かそうとしたら、ふたり組のリーダーは私を無視して、よし行こうかと、いきなり私を遮るように立ち上がった。狭い稜線なので、そうされるともう抜かせない。それならサッサと行ってくれればいいのに、人を馬鹿にした様にだらだら歩きで、再び追いついては止まるがはじまった。甚だ迷惑だった。

 一体どういうつもりなのか。
 強風に加え雲の中に入ったようで視界もかなり悪くなっている。先行する二人はガイドと初心者に見えた。後ろの男は岩場の足取りが明らかに慣れていない。このガイド風のリーダーは単独の私を無謀な登山者と見たのか、好意的に見るならば、自分の見える範囲に置いておきたかったのかもしれない。最後の難関の獅子鼻を登りきると彼らはそこで休憩したので、ここでやっと追い越した。
 濃霧に包まれた南岳小屋に到着したのが8時15分。2時間15分で大キレットを突破した。
 予定では昨日のうちにここまで到達するはずだったが、意外な不調で3時間20分のビハインドを負ってしまい、今日の槍ヶ岳到達に暗雲を落としていた。最初の区間で1時間取り戻せたことは今後のリカバリーにつながらないでもないが、この頃は既に縦走断念を決めていた。すっかり雲に没して何も見えない。小雨交じりの横殴りの強風の中、合羽を着てまで登りたい執着はまったくなかった。
 8時25分、南岳小屋からなだらかなスロープを登り、南岳(標高3,033M/国内標高第19位)山頂に到着。ここを最終到達点として下山することにした。南岳から天狗原への下山口分岐に8時45分に到着。何の未練もなく下山に移った。

 下山路に入ると馬鹿にしたように無風になった。地獄の強風は稜線から岐阜側だけのようだ。
 この天狗原への下山道、後はただ下ればいいだけだろうと多寡をくくっていたが、どうしてなかなか侮れない。鎖あり梯子あり巨石ありのハードコースである。雪渓と紅葉の中に雷鳥が遊び、普通の山だったら大々的に紹介されるべきアグレッシブなコースである。ただ悲しいかな、ここが槍・穂高エリアであることが、このルートをマイナーなものにしてしまっている。槍ヶ岳が逆さに映るという天狗池も、今日はどんよりとしたただの池だし、槍沢に合流して見上げても、やはり槍ヶ岳は雲の中だった。

 この槍沢・天狗原分岐から上高地までは、だらだらのコースをただ下るだけである。穂高岳の裾野を大きく迂回するこの人気コースは、勾配こそないものの、距離が長大なため、地図上参考タイムは下りでも6時間20分となっている。ここを下りに使うことでどれくらいの時間短縮ができるかも縦走成功の鍵だったわけで、とにかく18時の最終バスに間に合わせるのが絶対条件だった。
 この槍沢・天狗原分岐をスタートしたのが10時15分だったので、バスには余裕で間に合うが、どのくらいの時間で降りられるかは検証しておく必要がある。途中のババ平のキャンプ場では、荒れた天気の痕跡なのか、テントがひっくり返っていて、今まで穏やかだった長野側にも小雨がぱらつきだした。

 実際に歩いてみるとひどく辟易するコースである。終盤になると道幅いっぱいのクルマは入ってくるし、横三列に広がった高齢登山者の一団が我が物顔で道幅いっぱいに登って来るし、どうも下部エリアのマナーや秩序はあまりよくないようで、途中まで登ってくる人や追い抜いた人に挨拶していたが、上高地が近付くにつれそれもやめてしまった。
 上高地バスターミナルに14時35分に到着した。槍沢・天狗原分岐からの所要時間は4時間20分で、この区間の参考タイムを2時間縮められた。
 14時45分のバスで上高地に別れを告げ、沢渡駐車場に着いた途端、本降りの雨となった。

●登山データ
2008年9月25日(木曜日)
北穂高岳(標高3,106M)→上高地バスターミナル(標高1,505M)、標高差1,601M

北穂高小屋(6時00分出発)→大キレット長谷川ピーク(7時00分)→南岳小屋(8時15分)→南岳山頂(8時25分)→天狗原への下山口分岐(8時45分)→槍沢・天狗原分岐(10時15分)→上高地バスターミナル(14時35分到着)
第2日目全行程:8時間35分
2日間の全行程:19時間25分

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