Practice Makes Perfect/城峯山
城峯神社駐車場
城峯神社
将門の隠れ岩の警告看板
危険なので上級者・経験者以外は控えるよう書かれている
二段の鎖を18メートル登る
将門の隠れ岩。人ひとりやっとお尻が入る程度の狭さ
隠れ岩の天井に何か変な虫が沢山いる
何だこれっ!? 新種のゴキブリか?
天狗岩から城峯山山頂
城峯山山頂(標高1,038M)に建つ電波塔
電波塔中段の展望デッキ

石間峠
戦国時代の山城?鐘掛城

城峯山

2019年9月27日(金曜日)

 秩父には平将門(たいらのまさかど)伝説の残る地が幾つかあり、城峯山もそのうちのひとつである。
 将門は平安時代中期(西暦900年頃)下総(千葉県北部)の人で、桓武天皇の五世の孫にあたり、京都の天皇や朝廷に逆らい、まだ原始時代の名残ある坂東(関東)において新皇を名乗り、坂東八洲を独立国家たらしめようとした人である。
 西暦940年、朝廷は将門征討軍を発するが、その到着を待たずして、下野(栃木県)の押領使(警察)藤原秀郷によって討伐されてしまう。その最期の地も常陸(茨城県)であり、秩父は出てこない。
 京都で梟首となった将門の首は突然虚空に飛び立ち、胴体を探すため坂東に向かって飛行し、数々の祟りをなす大怨霊となった。

 関東の民衆の将門に対する評価は概ね好意的とされ、秩父地方は坂東平氏発祥の地であることから、城峯山や大血川に将門の言い伝えが残っている。
 その内容はというと、将門は秀郷との戦いに敗走して城峯山に逃げ込んだが、愛妾桔梗の裏切りにより敵軍に捕らえられ討たれてしまう。裏切りを知った将門は憤激し、以後城峯山に桔梗は咲かなくなったという。

 城峯山は秩父盆地を囲繞する北の主郭であり、陸地測量の基点となる一等三角点の埋定された山だが、山頂直下まで林道が通じているため、クルマを使えば最早登山対象にすらならない。
 吉田の道の駅・龍勢会館の先を右折すると阿熊の林道に入る。奥に進むにつれ道は狭く舗装も痛んでくるが、ダートの林道に比べれば遥かにマシだ。道の駅から20分も走れば山頂直下の石間(いさま)峠に着いてしまう。
 峠に駐車場はないが、広い路肩に路駐できる。しかし山頂だけではすぐ終わってしまうので、辺りの散策を兼ねて、峠の少し手前の城峯神社の駐車場にクルマを置かせてもらった。他に人っ子一人いない。
 駐車場は広く、キャンプ場も兼ねているようで、鳥居の前に炊事場があり、なかなか立派な御神木の立ち並ぶ参道を登った境内にはトイレもある。令和天皇即位記念の植樹がなされ、両神山や和名倉山方面に明るい展望が開けている。『将門』の扁額の懸かった神社で安全祈願し、すぐには山頂に向かわず、まずは『将門の隠れ岩』を見学に行った。

 隠れ岩は2本の鎖にすがって高さ18メートルの断崖をよじ登らねばならないため、上級者以外は登らないよう注意書きがされている。
 一本目の鎖を登り始めるとすぐに3センチほどのスズメバチが一匹、ブ〜ンと近寄ってきた。斥候バチである。逃げ場のない岩場でコイツに出くわすのはちょっと厄介だが、とりあえず動きを停止して観察モードに入る。
 斥候バチはこちらがじっとしていれば、30センチの間合いをとってそれ以上は近づかない。もしこいつを手で追い払いでもすれば、たちまち敵と認定され攻撃モードに移る。つまり攻撃フェロモンでマーキングされ、巣から飛び出した本軍によってなぶり殺しにされるのである。
 蜂を視界の隅にとどめつつ、鎖にぶら下がった体勢のまま周囲を見回したが、巣の位置はわからなかった。リュックのサイドポケットには対スズメバチ用の殺虫スプレーがすぐ取り出せるようになっているが、これを使うのは最後の手段である。
 ゆっくりと鎖を登り始めると蜂も尾いてくる。二本目の鎖に移ると蜂はピタリと止まり、それ以上追ってこなかった。なるほどね、斥候バチの哨戒範囲は巣から概ね半径2メートルなので、ひとまず攻撃結界からは脱したようだった。

 隠れ岩は洞窟というようなものではなく、人ひとりがやっとどうにかお尻を潜り込ませるだけの窪みでしかない。つまりずっと篭っているものではなく、子供のかくれんぼ程度の穴で、山の上まで追ってきた敵から、何としても自分ひとりだけは助かりたいという、見苦しくも惨めな様子が思い浮かぶ。
 岩の隙間の天井を見上げると、何か黒っぽい3センチほどの虫が、十数匹逆さに張り付いているのに気が付いた。見たことのない不気味な虫だった。ゴキブリでもない、コオロギでもない。写真を撮ってネットで調べると、どうやらスズムシのようだった。
 スズムシの啼き声は知っていても、実際に姿を見たことはない。図鑑の写真にあるような、羽を広げている正面の姿しかイメージがなく、羽を閉じている姿なぞ、家で飼育でもしていなければ見る機会はないだろう。その姿は涼しげな啼き声からは想像も付かない、新種のゴキブリでも発見したかのような嫌悪感がある。

 鎖を降りると先ほどの斥候バチがまた近寄ってきたが、無視して岩場を後にする。次に標識に出てきた天狗岩に行ってみたが、これは大したことない岩場だった。天狗岩から城峯山頂のアンテナが意外に遠く見えたが、歩いてみると僅か13分で到着した。
 山頂には立派な電波塔が建っていて、中段の展望デッキまで上がれるようになっている。デッキからは全方位に展望が開け、いちいち山名を記したパネルが掲示されていた。
 少し休憩して次は鐘掛城に向かう。
 登ってきたのとは反対側に山を降りると林道の石間峠に出る。広い車道の脇にトイレがあり、雨水を溜めた水道まで付いている。
 石間峠から13分で鐘掛城に到着した。これは将門とは関係のない後世の戦国時代の城跡とのことだが、まったくそんな片鱗は感じられない。城を造るスペースもなく、せいぜい見張り小屋程度のものしかなかったと思われるが、集落から懸け離れたこのような山奥で、当時一体どれほどの機能があったのか甚だ謎である。石間峠まで戻り、林道を歩いて城峯神社まで戻った。

 将門が討たれた後、桔梗と従者九十九人は秩父市大滝の山奥まで逃げ込んだが、敵の追捕を受け、主従悉(ことごと)く自害したという。川が七日七晩血に染まったことから、この川は大血川と呼ばれ、その傍らにはそれを祀った九十九神社と桔梗塚がひっそりと佇んでいる。
 いずれにせよ千年以上昔のことで、真否のほどはわからない。

●登山データ
2019年9月27日(金曜日)
城峯神社駐車場(標高913M)→城峯山(標高1,038M)、標高差125M

城峯神社駐車場(9時52分出発)→城峯神社(9時57分)→将門の隠れ岩(10時10分)→天狗岩(10時17分)→城峯山山頂(10時30分到着)、登り所要時間:38分
山頂滞在時間:17分
城峯山山頂(10時47分)→石間峠(10時55分)→鐘掛城(11時08分/休憩4分)→石間峠(11時24分)→城峯神社駐車場(11時41分到着)
全行程:1時間49分

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