Practice Makes Perfect/男体山
日光二荒山神社の登山者専用第一駐車場
男体山は二荒山神社の御神体である
受付で登拝料500円を支払い登拝張に記帳する
登拝交通御守護をもらい登拝開始
本堂で拝み、登拝門をくぐる
まずは神社らしい石段
登拝開始僅か5分で一合目 アスファルト道路に出たところが三合目
しばらく車道を歩く 四合目で車道と別れ再び登山道に入る
五合目避難小屋。ここまで出発から1時間ちょっと
六合目を突破
六合目を過ぎると歩き難い急勾配のガレ場となる
辛い区間。徐々に苦悩が襲い掛かる
時折見える中禅寺湖が爽やかだ
七合目避難小屋
鳥居多いな
八合目避難小屋。裏に瀧尾神社が祀られている
雲の中に入った
森林限界を突破した観があるが雨になった。風もあって8月だというのにかなり寒い
山頂部に到着。とにかく寒い
二荒山神社奥宮

二荒山大神
山頂の神剣

男体山(日光二荒山神社ルート)

2017年8月23日(水曜日)

 前年の登山はロクなことがなかった。
 目の下を蜂に刺されるわ、両足を蛭に喰われるわ、利き手を突き指するわで、10月の職場異動とも相まって、あまりの疲労とストレスから、夏以降の登山をやめてしまっていた。
 突き指に関しては、医者に掛からなかった所為もあり、関節をポキポキ鳴らせるまで恢復するのに10ヶ月を要した。もしかしたら骨折していたのかもしれない。
 冬の間どうにかスキーには行けたものの、真夜中に起きて出掛ける登山となると、想像しただけで死んだ方がマシだという苦悶に苛まれ、布団から這い出すことはおろか、指一本動かす気力も湧かなかった。
 いくら仕事で慢性的な睡眠不足にあろうと、ストレスを抱えたまま運動不足で良いはずがない。スキーが終了して既に3ヶ月、何の運動もしていない。

 この年も異常気象である。九州北部を記録的豪雨が襲った一方、関東では梅雨入り後も荒川の取水制限が出されるほど雨が降らず、逆に梅雨明けしてから記録的な長雨が続くなど、休日と天気の折り合いの着かないまま、気が付けば既に8月も終わりである。ここは長距離登山を捨て、晴天にこだわらず、とりあえず山に登ろうと、日光の男体山に行くことにした。

 夜中の3時に目が覚めた。ここで出掛ければ6時半には登山を開始でき、下山後の温泉や観光にも余裕が持てるのだが、東北道の運転を想像するだけで、たちまち気力が萎えた。山に登る労力は厭わないが、登山口まで延々3時間運転するのは想像するだけで苦痛だった。
 登山は心技体ひとつでも欠ければ決して登れない。やはりやめよう、近くの適当な山にしようと、布団から出ることを諦めた。
 4時半、再び目が覚めた。いつも仕事に起きる時間である。休みの日くらいもう少し寝ていたいが、ここで布団から出なければ、このまま山と決別する以外ないような気がした。
 それもいいだろう。日帰りで行ける範囲は概ね行き尽くしたし、これより先は年寄りの冷や水、遭難する前に止めるのが賢明なのだ。

 胸の中がモヤモヤした。
 ポッコリした脇腹に手を当てた。このままモヤモヤを溜め続ければ、いずれストレスで発癌するかもしれない。やはり山に登って少しでも気晴らししようと、ようやく気力を振り絞って布団から這い出した。
 5時過ぎに家を出発をし、東北道を北上した。いろは坂を駆け上がり、中禅寺湖畔に着いたのが8時前だった。
 ネットの情報通り、右に二荒山(ふたらさん)神社の鳥居を見たら、そのままクルマで鳥居をくぐり、すぐ右手の宝物館の裏に駐車した。車中でコンビニ弁当を食べ、神社のトイレを借りて社務所へ向かった。

 二荒山神社は、日光市街に本社、中禅寺湖畔に中宮祠(ちゅうぐうし)、男体山山頂に奥宮があり、山全体が御神体となっている。そのため登るには神社の許可が必要で、入山料を払わねばならない。
『登山』ではなく『登拝』と言って、社務所で登拝料500円を払い、登拝帳に記帳し、登拝お守りをもらって、登拝のレクチャーを受けてから登るのである。
 この年の登拝期間は、5月5日から10月25日まで、受付時間は朝6時から正午までとなっており、それ以外は登れない。尤(もっと)も、山の裏側にもう一本登山道があり、そちらの方がスタートの標高が500メートル高く、入山料等の煩わしさもないので、百名山の三角点以外興味がなければこちらを選べばいいだろう。

 登拝門をくぐり、石段を少し登れば一合目である。ここから山道となるが、上から降りて来たオジサンが何か言いたそうにこちらを見ていた。
 なにか? と目顔を向けると、
「この先に大きな倒木があり、そこに蜂がいるから気を付けなされ、登山道は倒木の横についているが、そこは通らず右に迂回する踏み跡をたどりなされ」
 と言った。オジサンは徳川家康のしかみ像の様に顔をゆがめて、
「4ヶ所刺されたので神社に文句を言う。ここは登山道なのに怪しからん」
 と怒気もあらわに降りて行った。
 これは聞き捨てならなかった。昨年眼球のすぐ下を刺されている。リュックを降ろして荷を検めたが忌避剤のみで殺虫剤は入っていなかった。
 言われた通り倒木を迂回しながら見ると、なるほど露わになった根っこのあたりに斥候蜂が哨戒していた。私も上から降りてくる幾人かに事務的に伝えた。
 三合目でアスファルト道路に出て、四合目から再び山道に戻った。六合目までは順調に攻略したが、そこから上は急勾配の歩き難いガレ場となり、俄かに苦悩との闘いが始まった。八合目を過ぎると辺りが真っ白になり、登山開始時には見えていた山頂がすっかり雲に蔽われ、やがて雨になった。
 雨脚は弱かったが、下から吹き上げてくる風で雨が横殴りとなり、雨具を着なかったので思いの外濡れた。気温が下がり、半袖シャツでは震えるほど寒くなり、次第にしかめっ面になっていった。

 森林限界を超え、辺り一面真っ赤な火成岩のガレ場となった。九合目の標識はまだかいなとへばりかけた頃、靄の中に鳥居が現れた。いつの間にやら山頂に着いてしまっていた。
 ガスのため視界は20メートルほどしか効かない。神社を過ぎ、釣鐘の横を歩いて行くと、一段小高い岩の上に巨大な影が浮かび上がった。刃渡り3メートル60センチ、身幅15センチの大剣である。切っ先は天を突き、鏡面のような刀身は風景に溶け込み、光学迷彩のように周囲と同化した姿は正に神剣と呼ぶに相応しかった。

 辺りはまったくガスに蔽われてしまい、山頂の全貌を見渡すことは叶わなかった。8月だというのにとにかく寒く、リュックからウインドブレーカーを取り出し、この日初めての休憩を容れた。
 山頂に一時間ほどとどまったが、雨こそ熄んだものの、ガスが霽(は)れる様子はまったくなかった。仕方なく登って来た道をそのまま虚しく引き返した。

 今朝、神社のトイレを借りて以来、5時間半用を足していない。下山後再び神社のトイレを借りた。
 トイレから駐車場に向かうと、宝物館の入り口に『宝刀展』の看板が出ていた。客の気配はなく、窓越しに受付のオバチャンが暇を持て余しているのが窺えた。駐車場で衣服をすべて改め、宝物館を訪れた。

 国宝の備州長船、抜丸などという逸品の中で一際目を惹いたのが、南北朝時代に打たれたという全長3メートル37センチの大太刀、祢々切丸(ねねきりまる)である。こんな剛刀を一体どんな豪傑が鞘から抜刀できるのか、ファイナルファンタジーのクラウドが背負っているバスターソードそのものだなと思ったが、昔日光の山中にいた祢々(ねね)という妖怪を、刀自らが出向いて斬ったという解説を見て、なるほど降魔剣(ごうまけん)かよと感嘆した。
 どうも聞いたことがあると思ったが、『少年ジャンプ』に連載していた『ぬらりひょんの孫』に出てきた刀が祢々切丸だったなと思い、太古のオタクがどういうつもりでこれを造ったのか、その姿を想像すると何だか可笑しくなった。
 階段を二階に上がるとボロボロに錆びた巨大な剣がテーブルの上に横たわっていた。明治13年(1880年)から132年間、男体山の山頂を護ってきた初代神剣である。
 山頂で見たのは二代目で、2011年の東日本大震災の際、山頂奥宮の石鳥居が倒壊したのに続いて、翌年初代神剣も根元から折れて倒れてしまったという。他の刀剣がガラス越しにしか見られなかったのとは異なり、初代神剣はテーブルの上にむき出しのまま転がっていた。
 傍らには、どうぞ触ってくださいと張り紙されていた。

●登山データ
2017年8月23日(水曜日)
二荒山神社駐車場(標高1,280M)→男体山(標高2,486M)、標高差1,206M

二荒山神社受付(8時25分出発)→一合目(8時30分)→三合目(8時55分)→四合目(9時15分)→五合目(9時30分)→六合目(9時45分)→七合目(10時15分)→八合目(10時35分)→男体山山頂(11時10分到着)、登り所要時間:2時間45分
山頂滞在時間:55分
男体山山頂(12時05分)→八合目(12時25分)→五合目(13時05分)→二荒山神社駐車場(14時00分到着)、所要時間:1時間55分
全行程:5時間35分

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