Practice Makes Perfect/白泰山
秩父往還・栃本関所跡
栃本の集落から遥か遠くに十文字峠の山並みを臨む。気が遠くなる距離だ
栃本広場にクルマを置いて登山開始
エキスパンドメタルのオブジェ
標識はないが十二天(標高1,206M)のピークと思われる
十二天から一旦下る
一里観音 木が隣の木に噛み付いている
白泰山への登り口 白泰山山頂(標高1,794M)
登ってきた道ではなく、尾根伝いに降りる
二里観音と白泰山避難小屋

白泰山避難小屋前の、のぞき岩から赤沢山を臨む
のぞき岩から下を覗き込む
このルートは倒木が多く歩きにくい。山が非常に荒れている印象
こんなところに鍾乳洞入口の標識が
三里観音。ここでタイムリミット。昼食を食べて引き返す

白泰山(はくたいさん/栃本広場〜三里観音)

2015年6月1日(月曜日)

 かつて六十余たびの闘いで無敗を誇った宮本武蔵は、相手の力量を見極め、勝てると見切ってから闘ったという。負ければ死ぬわけだから、これはむしろ当然の措置と言うべきで、勝てるか勝てないかのギリギリの勝負を制することが勝負の本質であり、それを超える無謀な闘いは勝負でもなんでもない、ただの自殺行為に他ならない。
 山登りも同様に、自らの限界を超えた場合は遭難領域に踏み込んでいると認識すべきで、これまで私もこのギリギリの境界を見切って登ってきたわけだが、今回の栃本から十文字峠への日帰り往復行程は、どう見積もっても己の敗北しか見出せなかった。

 秩父から甲府へ抜ける雁坂トンネルが開通して以来、クルマで容易く越境できるようになったわけだが、戦国から江戸期に掛けては、尾根筋を歩いて越える秩父往還によって信濃や甲斐と交易していた。
 栃本関所はその分岐点において往来者を監視した場所であり、ここから尾根筋を辿れば四里(16キロ)余で長野との県境である十文字峠に至る。
 毎年6月上旬に石楠花に彩られるこの峠は、秩父から往くには長大な山道を歩かねばならないが、長野側からなら峠のすぐ下までクルマが入れるので、ここを訪れる殆どのハイカーは長野ルートを選択している。
 私は秩父の山は出来るだけ秩父から登りたいと思っているが、甲武信ヶ岳から十文字峠に掛けての県界ラインは、山懐が深く日帰りで往復するには常人を超えた脚力が必要になる。
 無理して行って遭難救助でも求めれば、その費用は民間に対しては無論遭難者負担だが、警察や消防に掛かる費用は国民の税金である。今年も既に大勢の高齢者が遭難救助されているが、年金問題や医療保険問題で働く世代に多大な負担を強いている高齢者のこうした安易な山岳遭難救助問題は、まったくやりきれない気持ちになってくる。私自身は決して遭難してはならないとの信念の元、今シーズンからは今までのような無謀な計画は慎まねばならないと思っている。

 スキーも終わり、2015夏山シーズン最初の登山であり、足慣らしも兼ねて地元の山を軽い気持ちで行ってみることにしたが、もはや秩父には適当な山も見当たらないので、未踏峰である栃本から十文字峠への山歩きを選択した。最初から勝てるとは思っていないが、遭難するわけにも行かないので、今回は登頂を割愛する。仕事で疲れており、無理して早起きする気にもなれないので、たっぷり睡眠をとって、行けるところまで行って戻ってくるという折衷案である。山登りに於いて毎回テーマを課しているわけだが、今回は差し詰め『山頂を目前に引き返すことが心身に及ぼす影響について』である。

 滝沢ダムのループ橋を上ってトンネルを四つほど抜けると、右に栃本集落へ入る道がある。対向車とすれ違えないほど狭い道だが、かつてはここが国道140号線であり、現在でもバス路線になっている。私もこの集落を訪れるのは三十年ぶりだが、ずり落ちそうな急斜面に建てられた家並みや畑は昔と少しも変わらない。
 栃本関所の横を左に入ってしばらく上ると栃本広場の駐車場に着く。本来なら栃本関所を登山の起点としたいところだが、如何せんクルマを置く場所がないので、今回は栃本広場からのスタートとなる。
 広場から三百メートルほど歩くと右手にエキスパンドメタルで作ったオブジェがあり、その下に白泰山への登山道入口の標識が立っていた。標識に従って山腹を少し登るとすぐに尾根に出られ、小ピークを三つほど越える。この尾根に標識はないが、地図上では十二天となっている。
 十二天から丸太の階段を降りると一里観音に着く。
 一里歩くのに一時間半を要しており、想定通りなのだが、つまり十文字峠までの四里を歩くのに6時間掛かることになる。下りは多少縮められるので往復11時間掛かる見通しだが、これまでにも何度かこの程度の時間を歩く経験はしているものの、それは何れも体が登山に馴染んだシーズン後半のことであり、スキーが終わったばかりの初日にそこまで無理したくないと言うのが本音だった。

 二里観音手前に白泰山(標高1,794M)がある。往還道は山頂を巻いているのだが、とりあえずこれも未踏峰なので登っておくことにした。
 山頂付近は苔むした原生林で展望はない。5分ほど滞在して下山した。
 下山路は登ってきた道ではなく尾根伝いに降りられ、往還道に合流してすぐに二里観音に着いた。その脇に佇む白泰山避難小屋の中を検め、そのすぐ先に突き出た『のぞき岩』に行ってみる。
 樹林の中をひたすら突き進むこのルートにあって、のぞき岩は唯一展望の得られる場所で、甲武信ヶ岳や三宝山から十文字峠方面が見渡せる。行程の半分まで来て、その遠さにあらためて悄然とさせられる。ここまでの所要時間は想定どおりの3時間であり、この先、三里観音が11時半、四里観音が13時になる。それから帰路に5時間掛かれば18時になってしまう。今日はそこまでのモチベーションを持ち合わせていないので、とりあえず折り返し点を三里観音に設定した。

 このルートはとにかく倒木が多く、そのほとんどが大木であり、いちいち跨いで乗り越えねばならず、莫迦にならない労力を奪われる。
 突然道が大きく右に折れ、しかも下っていた。一瞬道に迷ったかと錯覚する。昨年の蕎麦粒山では間違った地図に翻弄されるという経験をしているだけに、地図とコンパスを照らし合わせて、どうやら岩ドヤの直角ターンと推測し不安を払拭した。道は北西に向かっており、やがて『鍾乳洞入口』の標識のところで今度は南西に折れ曲がる。どうやらこの辺りが赤沢山のようだが、山頂は見えないし登頂路も見当たらない。

 三里観音(標高1,691M)に着いたのが予定通りの11時25分だった。スタートからの所要時間は4時間30分である。このルート、距離が長い割には高低差はたいしたことなく、帰路の所要時間もそれほど変わらないと推測された。30分休憩して帰りに4時間掛かれば16時になるので、ここで昼食休憩して帰ることにした。峠への執着はまったくなかった。

 最近スマホを買い換えたので、その検証も兼ねている。
 古いスマホは電波のない山中ではアンテナを捜し求めて電池が疲弊し、下山時には電池切れになってしまったが、新しいスマホはアンテナが見つからないと無駄な消費を抑えるように出来ている。三里観音は稜線のためか電波が入り、そうした状況ではデータ通信をしており、若干の消耗が見られたが、帰着時においては大した消耗はなかった。機器の進化は目覚しい。

 栃本広場に予定よりも早い15時35分に帰着したが、久々に膝の古傷が痛んだ。見ると靭帯保護サポーターが破損し、中から金属バネが飛び出していた。さらには靴下を脱いで見ると、左足の親指と小指の爪が黒く変色していた。靴の中を検めると、古いスキーブーツから転用したシダスインソールが両足ともへし折れていた。
 長年に亘り私の登山を支えてくれたこれらの用具は、いわば私の身代わりになってくれたわけで、これらがなければ、これまでの限界ギリギリの登山は到底不可能だったに違いない。
 用具は交換できるが、交換が利かない老体はもはやどうにもならない。山岳遭難の火種は確実に身の内にくすぶっているのである。

 クルマに戻り、広場から先の道路を偵察した。2キロほど行ったところで行き止まりとなるが、終点手前に少し広くなった場所があり、そこからも登山道が整備されていた。朝一時間早く出て、ここから出発すれば、十文字峠の日帰り往復は可能かもしれない、というギリギリの見切りが付いた。

●登山データ
2015年6月1日(月曜日)
栃本広場駐車場(標高973M)→白泰山(標高1,794M)、標高差821M
→三里観音(標高1,691M)

栃本広場駐車場(6時55分出発)→一里観音(8時20分)→白泰山(9時35分/山頂休憩5分)→二里観音(9時55分)→三里観音(11時25分)、所要時間:4時間30分
山頂滞在時間:35分
三里観音(12時00分)→二里観音(13時35分)→一里観音(14時35分)→栃本広場駐車場(15時35分到着)
下り所要時間:3時間35分
全行程:8時間40分

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