Practice Makes Perfect/酉谷山
全国的に異常気象となった平成26年の夏。連日の雨で有間峠に向かう林道もいたる所で落石していた。引き返そうかとも思ったが、落石をどかして先へ進んだ
秩父と飯能市名栗との市境・有間峠。秩父側は落石で通行止めになっている。全般に地盤が緩んでおり、帰りが不安だ…
予定時刻を1時間30分遅れて登山開始。山慣れから来る驕りが後に遭難の危地を招こうとは、この時知る由もない
名栗湖上空に懸かる暗雲。これから起こる凶事を示唆しているかのようだ
有間峠から林道を進む。行く手を遮る鎖がこれ以上の進入を阻んでいるかのようだ
林道から稜線への登り口には小さなケルンが積まれている
高圧鉄塔にでる 雲の中なので山中は非常に暗い
東京埼玉の都県境に出たところがオハヤシノ頭。有馬山の案内標識が立っているのが帰りの目印となる 都県境の東京側は樹木が広く伐採された防火帯となっている
脊梁山脈最初のピーク蕎麦粒山(標高1,473M)
山頂からの展望はまるで利かない
都県境の稜線。左が東京都、右が秩父 仙元峠には木花咲耶姫が祀られている
樹齢200年を超えるブナの原生林
天目背稜を行く
一杯水避難小屋。少し手前に一杯水が湧く
避難小屋の脇から三ツドッケへ登る
三ツドッケ(標高1,576M)山頂。樹木に何枚も取り付けられた標識は天目山となっている
三ツドッケを越え長沢背稜を行く。雲の密度が濃くなり、樹木の葉で凝結した水滴が雨となって降り注ぐ
濡れて滑る桟橋。滑り落ちたら自力で這い上がってこられない急斜面が靄の中に消えている
七跳尾根分岐。ここから七跳山の山頂に登れるらしいが時間がないので割愛
薄暗い長沢背稜を行く
酉谷峠
酉谷峠の眼下には酉谷避難小屋
酉谷峠から酉谷山へは15分の登り

酉谷山山頂(標高1,718M)
酉谷山の山頂も雲の中なので展望が利かない
予定時刻を大幅にオーバーしているので、暗くならないうちに下山にかかる
蕎麦粒山山頂を迂回する巻き道を選んだのが間違いの始まりだった
鳥屋戸尾根分岐。この分岐標識を見て迷ったら、既に遭難パラドックスに落ち込んでいる。蕎麦粒山に巻き道など存在しない
1時間の彷徨の末、ようやく蕎麦粒山山頂に出て生還の安堵を得た
真っ暗にならないうちに有間峠への帰還が叶った。後は林道の落石がないことを祈るばかりだ

酉谷山(とりたにやま/有間峠から日帰り縦走)

2014年9月3日(水曜日)

 2014年の夏は全国的な異常気象となり、各地で集中豪雨の被害が相次いでいる。それに伴ってのことかどうか、山岳遭難事故も相変わらずというか、過去最多のペースで推移している。
 今年は天候不順に加え、仕事の都合でなかなか遠征登山に行くモチベーションが上がらず、この日も鹿島槍ヶ岳に行くつもりで一応の準備をしていたのだが、どうも天候が思わしくないので、深夜に出掛けるのを断念し、第2プランの地元の山にしようと再び床に就いた。
 朝起きて部屋の窓から見ると、その地元の山も山頂付近はすっぽり雲に蔽われていた。更に行程を縮小した第3プランかと悩んだ挙句、もしかしたら雲海やらブロッケン現象やらの幸運に出逢えるかもしれないと、淡い期待を込めて結局第2プランを決行することにした。こうした逡巡が既に一時間半のビハインドを招いていた。

 秩父市街から見て武甲山の背後に秩父盆地を取り巻く市境界線最南端の山稜が連なっている。この壁の向こうは東京都であり、つまりは都県境の脊梁(せきりょう)山脈である。棒ノ折山に始まって雲取山まで、徐々に高度を上げて行く都県境線のうち、中間レンジを占める蕎麦粒山、三ツドッケ、酉谷山を歩こうというのが今回のプランだ。スタート地点は秩父と名栗の境の有間峠を設定した。
 ネットで林道の状況を調べると、秩父から有間峠間は落石のため通行止めだが、反対側の名栗からは上れるとあった。

 有間ダム管理事務所の前から名栗湖右岸道路は落石で通行止めになっていた。提体を渡り左岸の狭い道を上って行くと、ダム湖が終わるあたりで右岸道路と合流する。合流点近くの釣堀を過ぎたところに、この先通行止めの看板が出ていたが、有間峠までは行けると書かれていた。
 心細くなるような林道をしばらく上って行くと、途中パラパラと小さな落石が随所に見られた。この辺りも集中豪雨を受けたのは間違いなく、法面(のりめん)には小さな滝がいくつもできていた。地盤は概ね緩んでいるとみていいだろう。
 遂にはクルマが通れないくらい大きな石が道を塞いでいた。幸い手でどかせる大きさだったが、帰りにどうにもならない石が落ちてないとは限らず、それを憂慮すれば登山をやめて引き返すべきだったが、逡巡しながら走るうち有間峠に着いてしまった。

 峠は雲の中だった。もしかすると雲の上に出られるかもしれないという一縷の望みは敢え無く潰えた。
 車中で朝食を摂り、クルマから降りて周囲を散策する。どうもいまひとつ気乗りがしない。
 6時に登山開始する予定が既に7時半である。晴れていればともかく、この曇天では山中は15時には暗くなるだろう。
 しかしせっかくここまで来たのだから、せめて直近の蕎麦粒山までは行ってみようと、気乗りしないままリュックを背負って歩き出した。

 有間峠から派生する林道は入り口が鎖錠されていた。通常このような場合、登山者が脇を通り抜けられるよう配慮されているものだが、ここは端から端までぴっちり鎖錠されていて跨ぐしかなく幾分かの抵抗を感じた。何かの結界の様だった。今日の登山はやめた方がいいかもしれない。
 気乗りしないのとは裏腹に、何となく鎖を跨いで結界に入った。
 この日、まさかの遭難の危機に瀕するわけだが、遭難を示唆するサインは随所にあり、回避するチャンスはいくらでもあった。これでは自ら望んで遭難の危地に踏み込むようなもので、遭難するときはするべくしてするのかもしれないと思った。

 しばらく歩くと小さなケルンが積まれていた。登山道の入り口である。
 山中に踏み込むと既に薄暗かった。木の板を階段に模した登山道を登って行くと、高圧鉄塔を経て稜線に出た。都県境の尾根である。
 境界の都側が幅20メートルに亘って綺麗に伐採されていた。山火事延焼防止の防火帯であり、そこだけ妙に明るく、勾配も至って緩く、まるで洗練された都営公園の遊歩道を散策するかのようだった。しばらくこの状態が続いたが、道は突如急勾配の下りとなり、そこからまた急勾配を登り返した。ガスであまり先は見えなかったが、登りきったところが蕎麦粒山(標高1,473M)の山頂だった。
 この脊梁山脈は全体的には緩やかな勾配で推移しており、途中僅かに飛び出たいくつかのピークに短いアップダウンが付いている。有間峠から酉谷山まで距離は長いが高低差はさほどでもない。
 まだ9時前だった。とりあえず蕎麦粒山までと思って来たが、時間も早いし、これだけで帰っては勿体無いと思った。あまり気乗りしなかったが、次のピークの三ツドッケまで行ってみることにした。

 途中の仙元峠は巻き道も選べるが、敢えて登ってみた。靄に包まれた峠にはひっそりと祠が佇み、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)が祀られていた。晴れていれば富士山が見えるのだろうか。この日は視界30メートルほどだが、富士山の女神に登山の安全を祈願した。

 雲の密度が濃くなり、樹木の葉で凝結した水が、時折風に煽られ、雨粒となってパラパラと降り注ぐ。一杯水避難小屋の脇から急斜面を登ると、三ツドッケ(標高1,576M)山頂に到着した。時刻は10時20分だった。
 山頂には天目山と書かれたプレートが複数枚取り付けられていた。ちょっとくどいなと思った。この山は秩父では三ツドッケと呼び、東京では天目山と言うらしいが、恣意的に天目山のアピールが目立ち、既成事実化が進んでいるようだった。秩父市は山が多く金もないので行政の手が回らず、市民の関心も薄い。それをいいことに、都は積極的に関与しているようだった。さながら竹島や尖閣問題を彷彿させた。

 さて、どうしようか。
 ここから戻れば余裕だが、ここまで来たらもはや酉谷山まで行かざるを得なかった。これまでの経験から言って、目標の到達時刻が12時ならば帰還は可能だった。道は険しくないし、暗くなるといってもまったくの暗闇というわけではない。一度歩いた道ならヘッドライトで歩けるだろうし、地図上参考タイムを見ると、酉谷山まで2時間25分とある。今日のペースで推移すれば、2時間で行ける行程であり、酉谷山に12時20分到着、有間峠帰着が16時30分と算出できた。酉谷山往復は可能と判断した。

 雲はますます濃くなり、雨垂れも酷くなってきた。視界には靄が懸かり、足許の木の根が滑る。今にも頽(くずお)れそうな桟橋の下には、奈落の底まで転落しそうな急斜面が靄の中に消えていた。山慣れない人なら不安や畏れに押しつぶされるところだろうが、所詮は自分自身が作り出した暗黒面との闘いであり、これまでの場数が裏打ちとなって、辛うじて正気を保っていられた。12時15分、予定通りに酉谷山に到着した。

 山頂は靄に包まれていた。他に誰もいない。
 座って昼食休憩したが、何となく落ち着かなかった。出発から4時間40分、ずっと視界の利かない状態だったので、そこから受ける圧迫感が重い疲労となって蓄積していた。時間の制約もあり、20分の休憩の後、登ってきた道を引き返した。

 帰りは全て、山頂をショートカットする巻き道を選んだ。分岐標識に沿って従って、三ツドッケ、仙元峠と巻いて行く。最後のピーク蕎麦粒山を巻けば有間峠はじきだった。迷うことなく巻き道に入った。
 少し飛ばしすぎたせいか、左足の小指の爪に異変が生じていた。爪がペラペラと剥がれかかっていた。しかし手当てはせず構わずに歩いた。
 10分ほど歩くと十字路に出た。標識には左が『蕎麦粒山・踊平』、右が『鳥屋戸尾根・川乗橋』、真っ直ぐが『踊平巻き道』と書かれている。
 …?
 動きが止まった。
『踊平』という地名が記憶になかった。
 通常、山登りは予め頭の中に地図を入力し、俯瞰イメージとして投影することによって行動全体を把握しており、その前提が狂うことは山では命取りにも繋がる。
 地図を広げて確認した。
 蕎麦粒山山頂と鳥屋戸尾根を結んでいるラインは分かったが、左と真っ直ぐの二方向に書かれている『踊平』が分からなかった。
 しばらく地図を凝視すると、ちいさい文字で書かれているのを見つけた。それは予定しているルートから外れた位置にあった。どうも地図と現地のイメージが合わなかった。
 消去法で考えると、蕎麦粒山の山頂へは登らない。鳥屋戸尾根は奥多摩へ降りてしまうのでこれも除外。残るは『踊平巻き道』しかなかった。
 この違和感は何だろうか?
 非常に嫌な感じがした。
 この巻き道は地図上では稜線からそう離れず、等高線に沿って書かれているが、実際にはぐんぐん下っていた。地図にはない分岐まであった。ところどころにある『踊平』の小さな標識に従って行くが、稜線からは離れ、高度も下がる一方だった。コンパスが指し示す方向とも合っていない。蕎麦粒山山頂からの道と合流する気配がまったくなく、明らかに奥多摩方面に下っているとしか思えなかった。
 これはおかしい。
 現状を地図に当てはめようとしたが、どう考えても整合が取れなかった。論理性を保つには、もはや前提である地図の信憑性を疑う以外説明がつかなかった。スマホが使えれば『蕎麦粒山 踊平 巻き道』で、この件について何か書かれていないか検索できるが、マイナーな山中では悲しいかな如何ともし難い。
 稜線に近いところから強引に森の中を這い上がろうかとも考えたが、森の中は既に闇に飲み込まれていた。稜線が特定できない以上、夜の森に踏み込むのは危険だった。もし仮に稜線に出られたとしても、有間峠が右なのか左なのか、それすら分からないのである。
 登山道も既に暗くなりつつある。一定の時刻を過ぎれば家族が警察に通報するだろう。そうなれば遭難認定である。それは私にとって登山におけるアイデンティティの崩壊であり、登山趣味の終焉を意味していた。

 とにかく、これ以上暗くならないうちに、この危地から脱する確実な方法を採らねばならなかった。それには鳥屋戸尾根分岐まで戻り、蕎麦粒山山頂へ出る以外にない。時間は掛かるがこれが最も確実だった。
 さんざん降りてきた道を登り返すのは決して愉快なものではない。山頂への道は急勾配で、一歩刻むごとに激しく息が切れた。心肺機能が悲鳴を上げた。しかし休んでいる暇はない。背後から急速に闇が迫っていた。両手を膝に置いて頽(くずお)れるのを辛うじて堪えた。頑張れ、頑張れと、自分に言い聞かせた。
 薄闇の中、見覚えのある山頂に着いた時、これで助かったと思った。

 有間峠に帰還したのが17時10分だった。一時間無駄な彷徨に費やした。精神的に疲れていたが、一刻も早く林道を脱せねばならなかった。電波の入るところまで降りて家族に一報を入れたかった。着替えもせず、その場から逃げるように立ち去った。

 帰宅してネット検索すると、この蕎麦粒山巻き道で迷ったという記事が複数件ヒットした。やはり地図が間違っていたのだ。私の持っていた地図は、昭文社の『奥武蔵・秩父』2007年版である。2014年版では訂正されているとあるので、購入して確認した。

『登山は自己責任で行うもの』とはよく言ったものである。
『地図は間違っていない』という前提自体、間違っていたのである。
 地図も人が作ったものである以上、完璧ではありえない。一方で、インターネットの情報は無責任で信用できないという説も必ずしも当たっていない。要は集めた情報を精査し、総合的に判断することが重要で、ひとつの情報のみを鵜呑みにするのは危険だということである。

●登山データ
2014年9月3日(水曜日)
有間峠(標高1,130M)→酉谷山(標高1,718M)、標高差588M

有間峠(7時35分出発)→蕎麦粒山(8時50分/休憩5分)→仙元峠(9時10分)→一杯水避難小屋(9時55分)→三ツドッケ(10時20分/休憩10分)→七跳尾根分岐(11時15分)→酉谷峠(12時00分)→酉谷山山頂(12時15分)、登り所要時間:4時間40分
山頂滞在時間:20分
酉谷山山頂(12時35分)→酉谷峠(12時45分)→七跳尾根分岐(13時20分)→一杯水避難小屋(14時15分)→蕎麦粒山巻き道分岐(15時00分)→鳥屋戸尾根分岐(15時10分)→踊平巻き道【道迷い】→鳥屋戸尾根分岐(16時10分)→蕎麦粒山山頂(16時20分)→有間峠(17時10分)、下り所要時間:4時間35分
全行程:9時間35分

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