Practice Makes Perfect/甲斐駒ヶ岳(黒戸尾根日帰り)
甲斐駒ケ岳(標高2,967M)山頂から鳳凰山と富士山を臨む

尾白川渓谷駐車場(標高約780M)から登山開始
駒ヶ岳神社に参詣し、裏の吊橋を渡る
山頂までの標高差およそ2,200M。長い道程が続く
笹の平分岐点(横手・白須分岐)
山頂まで7時間との指標
八丁登り
刃渡りの手前でひとまず休憩
鳳凰山の向こうに富士山が見える 刀利天狗(標高2,049M)。すでに1,300M弱の標高差を登っている
黒戸山から五合目小屋跡鞍部まで下る 降りたらまた梯子の急登が連続
二重橋を渡る
鉄剣は随所に置いてあるが、これは三鈷剣だ
梯子の急登が続く 鎖の急登もある
振り返るとこんな感じ
七丈第二小屋
八合目御来迎場の倒壊した鳥居
八合目御来迎場から見た山頂はまだ遠い…
最後の力を振り絞って登る
実に長かったが、ようやく山頂が間近に

2本のエクスカリバーが突き立つ大岩。正面には鳳凰山と富士山が好く見える

花崗岩の岩場を登り詰める
山頂の一郭に建つ駒ヶ岳神社本社
祀られているのは大己貴命(オオナムチ)、すなわち大国主命(オオクニヌシノミコト)だ
達成限界を迎えていた私を最後に導いてくれたらしいオオナムチさん、ありがとう
山頂の祠
山頂に突き出た岩
山頂の岩にも登ってみる
山頂隣にある摩利支天
摩利支天に整然と並ぶ摩崖仏状のモニュメント

甲斐駒ヶ岳(黒戸尾根ルート日帰り)

2013年9月20日(金曜日)

 通常、山へ登るためのルートはいくつかあるが、効率的に登るには、より山頂に近い駐車場までクルマやバスで行き、最も行程の短いルートを選ぶのが一般的である。山登りというわざわざ自らに苦行を購(あがな)う行為に対し、可能な限り歩きたくないというのは矛盾だが、そうしたことで効率的なコースにハイカーが集中し、旧来の文化的な登山道が廃れて行くのは現実として否みようもない。
 甲斐駒ヶ岳(標高2,967M)は、北杜(ほくと)市の人里に裾野を降ろす、地元の人にとって身近な山であり、古くから信仰の対象として、人里からそのまま山頂に至る黒戸尾根が登られてきた。黒戸尾根は、登山口のある尾白川(おじらがわ)渓谷駐車場から山頂までの標高差が2,200メートルにも達する国内有数の屈強かつ由緒ある講中登山ルートである。
 近年、北杜市から見て、駒ヶ岳の裏側を通る南アルプス林道が開通してからは、バスを乗り継いだ北沢峠から登るルートが一般的となり、容易く日帰りが可能になったこともあって、ほとんどの登山者は北沢峠に輻輳(ふくそう)した。北杜市側から見れば怖ろしく巨大な駒ヶ岳でも、北沢峠から登れば、黒戸尾根の標高差の半分にも満たない。
 いつかこの黒戸尾根を日帰りで登りたいと思っていたが、成功の確信が持てなかったこともあり数年来躊躇して来た。しかし年齢を考えると、これ以上の先延ばしは出来そうもない。今シーズンが最後のチャンスと意を決し、気力の充溢(じゅういつ)を図った。

 これまでに登った最大の標高差は、2年前の白馬岳(白馬三山縦走)の1,702メートルである。黒戸尾根はそれを500メートルも上回る未知の領域となる。
 黒戸尾根の地図上の往復参考タイムは15時間10分と、意外にも白馬三山と変わらないのだが、白馬での実測値が、途中白馬鑓温泉に30分入浴して、12時間35分だったことから鑑みると、黒戸尾根は12時間で攻略できる見込みとなる。
 各地に大雨被害をもたらした台風18号が去ると、天候は安定期に入った。土砂災害が心配されたが、日照時間の長さからいっても、このタイミングを逸するわけにはいかなかった。

 仕事の都合でここ3年、慢性的な睡眠不足が続いている。登山での苦しみは甘受できるものの、真夜中に起きて出掛ける苦痛は耐え難いものがあり、この時ばかりは何故こんな思いをしてまで山に行くのかと、我ながら滑稽を通り越した悲愴感に苛まれる。
 夜中の1時に出発し、秩父から雁坂トンネルを抜けて中央高速の一宮御坂インターまで行くと、事故でゲートが封鎖されていた。警官だかNEXCOだかがいて、復旧の見込みが立たないので迂回してくれと云う。
 出鼻を挫かれた恰好だったが、ふたつ先の甲府昭和インターまで国道を走り、登山口駐車場に着いたのが4時少し過ぎだった。明るくなる5時半に登山を開始する予定で、少し仮眠をとった。
 駐車場は平日にも拘らず、20台ほどのクルマが置かれていた。車外をうろつく人影はなく、車中で眠っているのか、既に山上にいるのか不明だが、効率重視型登山よりも、文化的登山の選択者が少なからずいることに瞠目した。
 タクシーでやってきた中高年パーティーが出発するのを見送って、予定通り5時30分に登山を開始した。

 出発してすぐに駒ヶ岳神社がある。まずはここに立ち寄り安全祈願する。神社の裏手の吊橋を渡り、山道に入ってすぐに先ほどの先行パーティーを追い越し、一時間半歩いて最初のチェックポイントである笹の平分岐に到達した。ほんの序盤にも拘らず、既に標高差800メートルを登っている。
 やがて露岩地帯に出た。鋭利な岩が尾根に突き出した『刃渡り』である。登山開始から2時間40分歩いているので、岩登り前にひとまず小休止を容れた。
 刃渡りは手すり状のチェーンが施されているので、技術的にどうということはない。視界が開けていて、左手に鳳凰山と富士山が好く見える。岩尾根が終わると今度は梯子の急登となり、登りきると『刀利天狗』の祠が祀られている。

 標高差2,200メートルといっても、これまでに登った強敵たちも、見掛け上の数字はそれに及ばないものの、例えば三山縦走などは、登ったり降りたり、登ったり降りたり、また登ったり降りたりと、実際には数字以上の標高差を登っている。黒戸尾根は数字こそ大きいが、ひたすら登るだけなら、アップダウンのある山よりもかえって楽なんじゃないかと、内心多寡をくくっていた。
 ところが道は俄かに水平になり、やがて下り始めたのには愕然とした。
 黒戸山から五合目小屋に向かって道は無情にも下っており、その分の登り返しが加重(かちょう)される。せっかくここまで標高差1,400メートルを登ったのに、それに冷や水を浴びせるような底の見えない下りに意気消沈した。体力的にも精神的にもギリギリのこの山では、僅かな気の乱れも破綻のトリガーになりかねない。

 五合目小屋は解体され、すでに更地となっていた。小屋跡を少し下ると祠があり、どうやらここが鞍部のようだ。
 この祠の脇から再び梯子の急登になるが、登りきったところでたまらず座って休憩した。もう4時間登っている。すっかり集中力を失った気を収斂(しゅうれん)し直さねばならない。
 第一リミッターを解除して疲労を先送りにしても、所定の時間がたてば、物理的限界は容赦なく訪れる。但しそれは登頂を終えた下山後でなければならず、もし途中で体が動かなくなれば自力下山が出来なくなる。気休めの手当てを施し、疲労の回復を図った。

 七丈第一小屋、第二小屋を過ぎる。この小屋はこのルート中唯一営業している山小屋で、通常の登山者はここに宿泊することになる。小屋の上にはテント場もある。ここに来てようやく山頂らしきものが視界に入ってきたが、しかしまだ遠い。脚が重く、疲労はますます酷くなる。
 本当に山頂まで行けるのか?
 このままでは途中で潰れるかもしれない。
 八合目御来迎場に着いたのが11時25分だった。区間タイムがペースダウンしている。このまま歩くより、ここで昼食にする方が賢明だった。

 御来迎(ごらいごう)とは、七色の光環を背負った神仏が雲の中に顕現する現象で、いわゆる『ブロッケン現象』のことである。如何にも信仰登山のクライマックスに相応しいシチュエーションだが、残念ながらこの日は気象条件が合わず、お目にかかれなかった。
 倒壊した鳥居の向こうに山頂が佇んでいる。
 これまで色々な山に登って来たが、この山は今の自分のレベルでは、到底到達できない気がした。心が折れかけていた。

 山頂までの地図上参考タイムは1時間30分である。タイムスケジュール表を見ると、山頂到着予定時刻の12時50分まで、あと1時間25分あった。前半稼いだアドバンテージを取り崩しつつあるものの、予定通りに歩ければまだ充分到達できるペースを維持していた。
 しかし体力の消耗は想定を超えている。これは計画段階から懸念していたことだが、今回に限っては成功することを見切っての登山ではなく、自らの限界への挑戦だった。登れるか否かは、いわば賭けだった。

 心身ともにすでに限界を迎えている。下山に移るべきだ。
 いや、予定時刻をオーバーしているならともかく、そうじゃない限りは登り続けるべきだ。
 今まで培ってきた以上の力は決して出せない。それが限界である。限界を底上げするには当然それに見合った鍛錬が必要であり、今この場で限界以上の力を引き出せるなど到底ありえない。現状のヘロヘロ状態のまま強行すれば、遭難することにもなりかねない。
 山頂まであとたった1時間半だ。後のことは何とかなる。ここは最後の力を振り絞ってでも登るべきだ。
 最後の力?
 最後の力まで使ってしまったら、いったいどうやって降りるというのか?
 登ってから降りるまでが登山であり、それが登山者の当然の責務であり、単独行なら尚更客観的に現状認識するべきだ。
 言うまでもなく、下山の行程も過去最大級の未知の領域であり、かつてこれほどの標高差を降りた経験がなく、心技体が揃って初めて打ち勝てる『引き返せない領域』に既に踏み込んでしまっている以上、そのいずれかが欠ければ、自力下山は不可能となってしまう。

 黒戸尾根を登る登山者は少ないながらも何人かいて、途中で数人に追い越されたが、驚くべきことに早くも山頂から引き返して来る人がいた。私と同じ日帰りハイカーなのか、それとも途中の山小屋の宿泊者なのか、あるいは反対側の北沢峠から山頂を越えて来たのかは不明だが、見るからに屈強そうな若者はニコリと笑い、もう少しですよ、頑張ってください、と声を掛けてくれた。
 不意にかけられた励ましの言葉に心が動揺した。葛藤に揺れ動き、頽(くずお)れそうだった心の支軸に復元力が呼び起こされた。
 普段一人で登っている時は考えてもみないことだが、絶望的に苦しい時、あらゆる装飾が剥がれ落ちた単純な己という存在になっている時に掛けられる応援の言葉には、一定の効果があった。第二リミッターが外れたかのようにアドレナリンが分泌され、全身に再び力が供給され始めた。
 山頂を見上げた。
 山頂はただそこに佇んでいた。
 登山者が登って来ようが来まいが、山は何とも思っていない。冷厳でも何でもない。ただそこにいるだけである。
 向き合っているのは山ではなく、己自身だった。
 先ほどの青年の言葉は、或いは遭難への慫慂(しょうよう)だったかもしれないが、選択は決まった。
 さあ行こう。絶対に登ってやる。渾身の力を振り絞った。

 山頂の少し手前に、駒ヶ岳神社本社が佇んでいる。すでに山頂の一郭だった。
 祀られているのは大己貴命(オオナムチ)、後の大国主命(オオクニヌシ)である。大黒天ともいい、ヒンドゥー教でいうシヴァの化身マハーカーラ、すなわち破壊神である。
 古事記でのオオナムチは、大勢の兄たちから疎まれた悲劇の人で、山から猪を追い立てるから下で捕まえろと騙され、真っ赤に焼けた岩石をぶつけられて丸焦げにされたり、巨木を縦に切り裂いて左右に弓のように引き絞った股の間に立たされて、ぺしゃんこに潰されたりと、散々な目に遭わされるのだが、その後兄たちを滅ぼし、豊かな国を築いたという人である。
 ところが今度は、それを羨んだ天照大神(アマテラス)が、天界から軍神タケミカヅチを差し向けて、国を強奪してしまう。
 傷心の大国主命は国を明け渡し、遂に自決してしまう。
 破壊神とは程遠いイメージのオオナムチだが、先ほど絶望の淵で声を掛けてくれた青年は、或いはブロッケンの怪物ならぬ、オオナムチの化身だったのかもしれない。
 12時45分、予定通り7時間15分で登りきった。

 辺り一面、真っ白な花崗岩で蔽(おお)われた荒涼とした山頂だった。
 すぐ隣には、イースター島のモアイのような、風化が作り出した摩崖仏が整然と並んだ摩利支天が聳然(しょうぜん)としている。余裕があればこれを往復したかったが、さすがにこれ以上は無理だった。
 下山予定時刻を薄暗くなる17時半に設定しており、タイムスケジュールはギリギリだった。山頂滞在時間20分で、登ってきた道を引き返した。

 日没との戦いが始まった。気が遠くなる長大さだった。我ながらよくこんなに登って来たものだと、今更ながら呆れる想いだった。
 登り後半、死に掛けていたのが嘘のように、快調なペースで下っていたが、刃渡りまで来て突如爪先に異常を覚えた。親指の爪がふわふわしていた。剥がれかけていた。
 体力や精神力が尽きる前に、体組織の物理的限界が訪れるとは、まったくの想定外で、なんとも拍子抜けする結末となった。
 登山は心技体が揃っていなければ成し遂げられない。体を損傷させないように歩くことも技術である。もし損傷すれば、体力や精神力では補いきれない重大な支障を来たしてしまう。
 ともかく、こうなってしまったからには、ペースダウンするより他なかった。
 駐車場に到着したのが17時35分、予定を5分オーバーしたものの、どうにかやり遂げた。

●登山データ
2013年9月20日(金曜日)
尾白川渓谷市営駐車場(標高780M)→甲斐駒ケ岳(標高2,967M)、標高差2,187M

尾白川渓谷市営駐車場(5時30分出発)→笹の平分岐(7時00分)→刃渡り(8時10分/休憩10分)→刀利天狗(8時40分)→五合目小屋跡地(9時20分)→途中休憩(5分)→七丈第一小屋(10時25分)→八合目御来迎場(11時25分/休憩15分)→甲斐駒ヶ岳山頂(12時45分)、登り所要時間:7時間15分
山頂滞在時間:20分
甲斐駒ヶ岳山頂(13時05分)→八合目御来迎場(13時45分)→七丈第一小屋(14時15分)→五合目小屋跡地(14時50分)→刀利天狗(15時25分)→笹の平分岐(16時25分)→尾白川渓谷市営駐車場(17時35分)、下り所要時間:4時間30分
全行程:12時間05分

登山目次
Home
Copyright © 1996- Chishima Osamu. All Rights Reserved.