Practice Makes Perfect/大菩薩嶺
上日川峠市営駐車場から登山開始
12分ほどで福ちゃん荘の玄関前に出る
登山道というよりも林道の様相が続く
介山荘の間を抜ければ大菩薩峠だ
大菩薩峠(標高1,900M)
かつての大菩薩峠である賽の河原から大菩薩嶺を臨む

標高2,000M地点の標識
大菩薩嶺山頂(標高2,057M)。展望はない

大菩薩嶺(上日川峠〜大菩薩峠)

2013年9月13日(金曜日)

 中里介山の小説で有名になった大菩薩峠は、江戸時代における青梅街道の難所である。地名の由来は、平安時代の武将・新羅三郎こと源義光が、源氏の守護神・八幡大菩薩に祈願したことによるとされている。新羅三郎は源頼朝の祖父である八幡太郎こと源義家の弟で、武田信玄ら甲斐源氏の祖となった人物である。
 また、1972年に起こった連合赤軍による『あさま山荘事件』の二年前に、今回の登山ルート中の『福ちゃん荘』に潜伏していた赤軍派53名が逮捕されるという『大菩薩峠事件』が起きている。首相官邸や警視庁を襲撃するための軍事訓練が、大菩薩峠で行われていたというから驚きである。

 2013年の夏は利根川水系ダムの貯水量が過去最低となり、19年ぶりの取水制限が行われるほど関東地方は酷暑となったが、山形県や島根県では過去最高レベルの降雨量に見舞われる甚大な洪水被害を被った。また埼玉・千葉県境では大規模竜巻による家屋損壊が発生するなど、局所的な異常気象が顕著だった。
 天候の安定期を狙って甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根日帰り登山を目標に、一ヶ月の間気を練り込んで来たが、有給休暇を取得したこの日前日夜半に天気予報は急変し、明日は真夏の状態に逆戻りし、大気の状態が不安定となり、昼過ぎから雷雨になるとのことだった。
 自身の体力的限界に近い『引き返せない領域』にまで踏み込む場合、そこから生還する最後の支えは精神力である。それが前夜の天気予報で俄かに打ち砕かれる恰好になった。
 最近の異常気象ぶりにギリギリの行程は見送らざるを得ないが、今後日照時間が短くなると、こうした行程の登山は翌シーズン送りとなってしまい、そうなると年齢的にきつくなってしまう。ともかく今日のところは折衷案を出すしかなく、行程の短い大菩薩嶺に変更した。

 登山ルートは、上日川峠までクルマで行けば、ほんの散策程度の行程である。秩父の自宅から雁坂トンネルを抜けて塩山に入り、国道411号線を上って行くと、大菩薩の湯という温泉センターにたどり着く。この少し上を右に入ったところが雲峰寺で、ここの宝物殿に武田信玄が合戦で使った御旗や、孫子の旗が収蔵されている。
 この雲峰寺の前を通り過ぎると林道となり、すぐに登山口の駐車場が現れる。ここが裂石登山口である。
 当初、ここから丸川峠を経由して大菩薩嶺に登る予定だったが、この狭い林道に意外な交通量のあることを知り、俄かに楽がしたい気持ちに変わり、クルマで上日川峠まで乗り入れた。
 この林道は、この日現在法面(のりめん)の防災工事を行っており、作業の都合上一時的な通行止めのある旨、看板が出ていた。私が当該箇所を通過した時は、現場作業員の出勤時間に当たっていたため、それで多くの通行車両があったことに得心した。

 上日川峠にはロッジ長兵衛が建ち、道路向かいに市営駐車場がある。先客は三台で、そのうち二台の登山者が準備中だった。彼らを先行させ、ひとまず車内で朝食をとった。
 7時45分登山開始。歩き始めて12分で福ちゃん荘に到着した。道はここで二手に分かれ、右に行けば大菩薩峠、左に行けばダイレクトに大菩薩嶺に至る唐松尾根である。唐松尾根は下りに使うとして、まずは大菩薩峠を目指す。
 先行させた二人を追い越し、緩い登山道を黙々と登る。道は登山道というより林道と言ったほうが的確だろう。これが大菩薩峠まで続き、峠に建つ介山荘には軽トラが置かれていた。

 大菩薩峠は樹木が無く視界が開けているが、生憎この日は遠くの景色は雲のため見えず、辛うじて眼下のダム湖が見える程度だった。ここから大菩薩嶺までは緩やかな稜線歩きとなる。
 現在の大菩薩峠は江戸期以降に整備されたもので、それ以前の場所は鞍部のような賽の河原にあった。途中で先行者のカップルを追い抜き、いくつかの小ピークを越えて行くが、これらには何も標示が無く、一体どこが大菩薩嶺山頂なのか、いまひとつよく分からなかった。雷岩らしき場所から少し下って森の中を歩き続け、10分ほどで山頂に到着した。山頂の標識があるのみで、四囲を樹木で囲まれているため展望は無い。5分ほど滞在し、雷岩まで戻って休憩にした。

 雷岩は展望がよく、眼下に大菩薩湖と、スタート地点のロッジ長兵衛の屋根が確認できる。あとはここから真っ直ぐに大菩薩湖目掛けて下るのみである。この唐松尾根は勾配がきつく登山道っぽかった。

 10時15分に駐車場に到着。全行程は2時間30分だった。
 裂石への林道は工事規制中のため、国道20号線を目指して下り、勝沼経由で帰ることにした。途中、やまと天目山温泉に立ち寄った。
 温泉から更に下ると武田氏滅亡の地・田野である。かつて戦国最強と怖れられた武田軍団も、信玄の子・勝頼の代になってからは俄かに結束が衰え、それまで信玄に対し恭順の姿勢をとっていた織田信長の侵攻を受けて家臣団が次々に背信した。最後まで勝頼に従った人数は40人程度とされ、遂にこの地に追い詰められ、全員が自刃若しくは討ち死にしたという。その終焉の地・景徳院に立ち寄った。

●登山データ
2013年9月13日(金曜日)
上日川峠市営駐車場(標高1,580M)→大菩薩嶺(標高2,057M)、標高差477M

上日川峠市営駐車場(7時45分出発)→大菩薩峠(8時35分)→大菩薩嶺山頂(9時10分)、登り所要時間:1時間25分
山頂滞在時間:5分
大菩薩嶺山頂(9時15分)→雷岩(9時20分/10分休憩)→上日川峠市営駐車場(10時15分)、下り所要時間:1時間00分
全行程:2時間30分

登山目次
Home
Copyright © 1996- Chishima Osamu. All Rights Reserved.