Practice Makes Perfect/浅間山
第一外輪山の虎ノ尾から見た浅間山(標高2,568M)

車坂峠に建つ高峰高原ビジターセンター
表コース
警戒レベル3(入山規制/火口から4km以内立ち入り禁止)の時は登山道そのものが立ち入り禁止となる
槍ヶ鞘から浅間山
トーミの頭から黒斑山(標高2,404M)
トーミの頭の足許は、湯ノ平までの超急斜面・草すべり
トーミの頭から黒斑山、蛇骨岳、仙人岳、鋸岳まで続く第一外輪山の崩壊カルデラ壁は、さながら円形競技場を髣髴させる
黒斑山山頂から円錐形の浅間山を臨む 鬼押し出しを思わせる蛇骨岳(標高2,366M)
仙人岳山頂(標高2,319M) 第一外輪山終端の鋸岳からJバンドへ降下する

山頂部右端の凸部が警戒レベル1(平常)で行ける最高所の第二外輪山・前掛山(標高2,524M)
左端が常時立ち入り禁止の釜山(標高2,568M/浅間山最高所)

Jバンドから今にも崩れそうな鋸岳を見上げる
賽の河原
賽の河原から浅間山 賽の河原分岐、前掛山登山口
警戒レベル2(火口周辺規制/火口から2km以内立ち入り禁止)の時は、ここから立ち入り禁止
浅間山核心部への登り
パッチワークのような嬬恋のキャベツ畑
ここから先の釜山は常時立ち入り禁止
第二外輪山の前掛山が、この日到達できる最高所
シェルター
風向きによっては二酸化硫黄が流れてきて喉が痛くなる
前掛山山頂
山頂はあまり広くないが、見晴らしはすこぶる好い
前掛山から見る釜山
前掛山から第一外輪山の黒斑山を振り返る

円形競技場を髣髴させる第二外輪山・前掛山の崩壊カルデラ壁

常時立ち入り禁止の釜山に登る人が後を絶たない
賽ノ河原へ向かって下山する
湯ノ平から草すべりへ突入
トーミの頭目指して急斜面を登る

浅間山(車坂峠〜前掛山)

2012年9月27日(木曜日)

 2004年(平成16年)9月1日20時2分、浅間山が噴火した。上空高く吹き上げた火山灰は、遠く福島県郡山市から神奈川県横浜市にまで降り注ぎ、私の住む秩父市にも降り積もり、買ったばかりの新車に細かい疵を負わせてくれた。

 浅間山は昭和期にも何度か噴火しており、その度に秩父にも降灰したという記憶がある。
 江戸期に起こった天明の大噴火は特に有名で、大量の土石流によって壊滅的被害を受けた嬬恋村鎌原(かんばら)では、村民570人中477人が死亡したという。
 生存者93人が避難した高台の鎌原観音堂は、150段あった石段のうち僅か15段を残して埋没したと云われているが、1979年(昭和54年)の発掘調査では、石段は全部で50段であり、35段6メートルほどが埋没したと結論した。この時、あと少しのところで力尽きた、老女を背負った女性の白骨遺体が発見されている。
 私は鎌原を襲ったのは火砕流であり、村は熔岩に埋没したものと思っていたが、鎌原観音堂に隣接する郷土資料館の地元ボランティアの話によると、村を襲ったのは大量の土砂とのことだった。その後、親を失った子、子を失った親が、扶(たす)け合って暮らし、村を復興させたとのことだった。
「私はその子孫です」
 と彼は説明してくれた。
 この天明の大噴火は、国内最大の飢饉である天明の大飢饉の一因にもなった。

 1973年(昭和48年)、浅間山の火口から4km圏内は災害対策基本法第63条第1項の警戒区域に指定され、原則立ち入り禁止となった。これはアサマ2000スキー場のある車坂峠から中へは入れないということになるが、地元自治体では噴火警戒レベルに応じては段階的に自己責任による登山を認めている。
 2007年(平成19年)12月1日から運用された噴火警戒レベルについては、気象庁のホームページをはじめ周辺自治体のホームページで閲覧できる。現地の高峰高原ビジターセンターで入手できる浅間火山ガイドから引用すると以下のとおりである。

噴火警戒レベル 立ち入り禁止規制等
レベル3
入山規制
登山禁止(火口から4km以内規制)
車坂峠と一の鳥居から火山側は立ち入り禁止
レベル2
火口周辺規制
火口周辺立ち入り禁止(火口から2km以内規制)
賽の河原から火口側は立ち入り禁止、湯ノ平は可
レベル1
平常
火口付近立ち入り禁止(火口から500m以内規制)
釜山は立ち入り禁止、前掛山山頂は可

 ガイドには書かれていないが、レベル4が避難準備、レベル5で避難である。
 2007年の運用開始以降レベル2だったのが、2009年(平成21年)2月1日にはレベル3に引き上げられた。その後同年4月7日にレベル2に引き下げられ、翌2010年(平成22年)4月17日にはレベル1になった。2012年9月現在レベル1を保っている。
 レベル1は『平常』とはいえ、火口での火山活動は続いており、二酸化硫黄(亜硫酸ガス)や硫化水素といった有毒ガスが噴出している。これらは濃度が高くなると嗅覚が麻痺して臭いを感じなくなり、僅かふた呼吸で昏倒し、そのまま死に至る危険が高い。噴火にしても100%予測できるわけでもなく、そのため火口から500メートル以内は常時立ち入り禁止になっている。
 本来なら火口から4キロ以内は立ち入り禁止だが、状態が良ければ500メートルまでは譲歩しましょう、但し飽くまで自己責任ですよ、という意味なのだが、ネットで調べてみると、この自己責任を拡大解釈する向きが多いらしく、『自己責任』で常時立ち入り禁止の釜山山頂まで行ってしまうハイカーが後を絶たない。
 火口から500メートル以内への立ち入りは、災害対策基本法第116条第2項により10万円以下の罰金若しくは拘留に処すると明記されており、当該区域で遭難救助要請をした場合は適用されると考えるべきでだろう。
 そもそもそうした人達が、最低限の装備であるガス検知器やガスマスクを携行しているのかさえ疑わしい。日本人の民度が劣化していると云われる昨今、困ったものである。フランスの火山学者クラフト夫妻が雲仙普賢岳の火砕流によって死んだ事実など、こうした浅慮なハイカーは無論知る由もないのだろう。

 以上が、登山するに当たっての浅間山の概要である。

 朝8時に車坂峠に到着。峠の北側は懐かしいアサマ2000のゲレンデである。数年前までは、毎年12月のスキーシーズンの出だしというとここへ来たものだが、最近は専らお隣の湯ノ丸高原に通っている。ここへ来るのは久しぶりだった。
 登山者用の駐車場は、地図を見ると、高峰高原ホテルとスキー場の駐車場が案内されている。スキー場は少し遠いし、ホテルの舗装された綺麗な駐車場は宿泊者以外が置くのは気後れする。地図には駐車場表記はないが、ホテルの隣に『高峰高原ビジターセンター』というのがあり、ここに未舗装の広い駐車場がある。ここなら登山口に近いし、ビジターセンターという名前からして置いてもよさそうな雰囲気がある。クルマを止めて、まずはトイレを借りる。トイレの入り口には募金箱が置いてあった。
『ビジターセンターは民間施設なので、協力金をお願いします』
 という旨が書かれていた。とりあえずトイレ使用料として百円を入れた。さて、そうなると駐車場をタダで使っていいものだろうか逡巡が生ずる。しかし『置くな』とも書いてないし、浅間山のビジターセンターだし、平日でもあることから、ここは敢えて置かせて貰うことにした。食事もできるようなので帰りに立ち寄ればいいだろう。

 車坂峠から見える山は、浅間山本体ではなく、第一外輪山の黒斑山(くろふやま/標高2,404M)である。コースは表コースと中コースの二本があり、無論どちらを選んでも良い。登りは表コースで行くことにした。
 地図上参考タイムでは黒斑山の肩であるトーミ(東御)の頭まで1時間40分とあるが、目の前に立ちはだかる巨大な山体を見上げると、とてもそのタイムでは無理な気がした。異様に獣臭い表コースを登りながら早くもナーバスになっていた。
 槍ヶ鞘(やりがさや)という高台に出ると、ようやく浅間山が現れる。トーミの頭まで一時間で到達できたので結果はまずまずだった。
 トーミの頭の断崖上に立つと、眼前には端正な円錐形の浅間山があり、左手には円形競技場の内壁を思わせる黒斑山の崩壊カルデラ壁が弧を描いている。足許を覗くと吸い込まれそうな急斜面の下、湯ノ平の草原が眼下一面に広がっている。漫画で爆発の衝撃波によって地面が丸く抉り取られるように吹き飛ぶシーンがよくあるが、同心円状に幾重にも形成される火口壁を目の当たりにすると、形成過程は違えど、あながちそんなこともありそうな何とも異様な感動がこみ上げてくる。
 トーミの頭から山頂を目指すには、一旦崩壊壁から湯ノ平へ降りねばならないのだが、そのアプローチはふたつある。ひとつは足許の急斜面を転がるように下る『草すべり』コース、もうひとつは外輪山の尾根をぐるりと回り込みながら緩やかに降りるコースである。今回は外輪山経由で降り、草すべりを登るという設定にした。

 第一外輪山は、黒斑山を頂点として、蛇骨岳、仙人岳、鋸岳という小ピークが連続するが、アップダウンはほとんどなく、常に浅間山を右手に見ながらの気持ちのいい尾根歩きが楽しめる。ただし、登山道は一部では肩下がりであり、断崖の際でもあることから、通行には充分な注意が必要だ。
 黒斑山から湯ノ平までかなりの高低差があるが、小さな岩峰が鋸の歯のように並んだ『虎の尾』から『Jバンド』を降りれば高低差はそれほどでもない。ズタズタに亀裂の入った今にも崩れそうな急峻な岩場を降りるのだが、見上げると頭上に覆いかぶさるその不気味さに、早いとこ安全圏の賽の河原まで降りたいと気持ちが急ぐ。

 賽の河原は異様な世界である。
 広々とした草原にポツリポツリと巨石が置かれている。直径は3メートルほどあり、これも噴火の際に飛んできたものだろうか、さながら野外美術館の様相である。
 安全圏といったが、もし噴火が起こって溶岩流に襲われたら、遮蔽物の一切ないこの場所ではそれこそ逃げ場がない。その場合は外輪山に這い上がらない限り命はないが、高速の火砕流に襲われたら生還は不可能である。カルデラに入って改めて想像すると、今更ながら恐ろしい場所に踏み入ってしまった後悔がある。
 左手に浅間山の核心部たる火山を見ながら進むが、実は第一外輪山を降りるとその内側には第二外輪山があり、火口を擁する山頂はさらにその内側にある。ただここからは、第二外輪山の前掛山と火口を持つ釜山はひとつの山のように見える。その山体に斜めに付けられた登山道を見上げながら登り口を目指して進むと、道はやがて草原から森林に変わる。湯ノ平である。森の中にも飛んできた石がゴロゴロしており不安を煽るが、しばらく歩くと登山道入り口分岐の看板が現れる。ここからいよいよ核心部への登りだが、警戒レベル2の時は、ここから先へは入れない。

 カラカラに乾燥した登山道に取り付くと、足許から土埃が舞い上がる。一人だからいいものの、大勢のハイカーが一緒だったら鼻の穴が真っ黒になるだろう。
 火口から500メートル地点の常時立ち入り禁止の看板に突き当たり、進路を右に変えると、この日の最高到達点である前掛山山頂が見える。
 第二外輪山である前掛山は、やはり円形競技場のような形をしている。火口側は崩壊岩壁であり、それが火口を中心とした弧を描いている。山の厚さは極端に薄く、幅三メートル程のゆるい回廊を山頂目指して登って行くと、風向きによって時折、二酸化硫黄が鼻腔を衝き、喉の奥に痛みが刺さる。一応、簡易酸素ボンベを携行しているが、結局は使わなかった。
 山頂には『浅間山』の標識が建っている。ここではじめての休憩を容れ、食事にした。
 山頂とはいえ、登山道で休憩するような狭さだが、眺めは好い。眼下には佐久・小諸の町並みが続き、雲の上には富士山が浮かんで見える。八ヶ岳、北アルプス、南アルプス、中央アルプス、御嶽山、乗鞍岳、四阿山、妙高山の他、知らない山も多い。飽くことない眺めだが、いつまでもここにいるわけにも行かないので、35分の休憩後山頂を後にした。
 真正の浅間山山頂である釜山を見上げると、山頂付近で三人の人が蠢(うごめ)いていた。常時立ち入り禁止区域に『自己責任』の拡大解釈で侵入した者だろう。いつの世もどこにでも、こういう自分さえよければそれでいいという輩(やから)は一定数いるものである。

 湯ノ平に降り、草すべりの登り口に着く。見上げれば黒斑山の超急斜面である。この登り、地図上参考タイムでは1時間20分とあり、とても無理な気がしたが、気が遠くなるほどの激闘の末、50分で登りきった。
 トーミの頭から車坂峠までは中コースを辿り、ビジターセンターに到着したのが15時10分だった。クルマで下着まですべて着替え、ビジターセンターに立ち寄った。
 2階には土産物コーナーがあったが客は誰もいなかった。その隣が料飲店になっているが、こちらも客はいない。店主らしき男が一人後ろ向きに客席の隅に腰掛けていた。私はその背中に声をかけた。
「食事がしたいのですが」
 男が振り返り、ニコリと笑った。
 2019年8月7日22時8分、浅間山が噴火した。地震計や監視カメラなど23台の監視装置で24時間体制で監視していたにも拘らず、全く何の前兆もなく突然噴火した。噴煙は火口縁から1,800メートル上空まで立ち上り、大きな噴石が火口から200メートル先まで飛んだという。噴火は20分間続いたが、夜間だったことで巻き込まれた人はいなかったようだ。噴火警戒レベルは3に引き上げられ、その後小康を得たとのことで2に引き下げられたが、8月25日19時28分に再び何の予兆もなしに噴火した。
 2018年の草津白根山の噴火といい、2011年の東日本大震災もそうだが、現在の科学では地震も噴火も予知は不可能なのである。

●登山データ
2012年9月27日(木曜日)
車坂峠駐車場(標高1,973M)→前掛山(標高2,524M)、標高差551M

車坂峠駐車場(8時05分出発)→表コース→トーミの頭(9時05分)→黒斑山(9時25分)→蛇骨岳(9時45分)→仙人岳(10時00分)→虎ノ尾(10時15分)→Jバンド→賽の河原分岐(10時50分)→前掛山(12時00分)、登り所要時間:3時間55分
山頂滞在時間:35分
前掛山(12時35分)→湯ノ平口(13時35分)→草すべり→トーミの頭(14時25分)→中コース→車坂峠駐車場(15時10分)、下り所要時間:2時間35分
全行程:7時間05分

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