Practice Makes Perfect/仙丈ヶ岳
仙丈ヶ岳(標高3,033M)

バス2台を乗り継いで北沢峠(標高2,030M)へ
森林限界を突破。小仙丈ヶ岳を目指す
小仙丈ヶ岳山頂(標高2,855M)
小仙丈ヶ岳から臨む仙丈ヶ岳
南アルプスの盟友、北岳と間ノ岳 振り返れば甲斐駒ヶ岳
一見山頂と思っていたところは実は山頂ではない ようやく山頂が見えてきた
鎖場もなく、穏やかな稜線
仙丈ヶ岳山頂
大仙丈ヶ岳(標高2,975M)へと続く稜線
甲斐駒ヶ岳と遠く八ヶ岳。仙丈小屋目指して藪沢カールを下る

藪沢カールに建つ仙丈小屋
藪沢カールと仙丈小屋を振り返る
藪沢の雪渓を下る
雪渓の渡渉点
大平山荘まで降下して北沢峠に登る

仙丈ヶ岳

2012年7月26日(木曜日)

 道端を歩いているひとりの男がいた。リュックを背負い、手にはストックを持っていた。登山者だった。背後から近づく私のクルマに気付くと、男は振り向いて片腕を上げた。
 その男が外国人であることは、予め知っていた。
 私の他にクルマはいなかった。見捨てれば男は更に歩かねばならない。仕方なく止まってやった。
 私は英語は苦手だが、どうやら甲府駅に行きたいということは解った。甲府駅なら、ここ芦安から秩父へ帰る通り道である。お前は運が良い。乗れと促した。男は喜んだ。
 男はフランス人のアンジーと名乗った。フランスには仕事がないことや、シャモニーの近くに住んでいることなど、自分のことを片言の日本語と英語交じりで語った。私のこともしきりに聞きたがった。乗ってはみたが、さすがに不安だったのだろう。私もできるだけ男を不安にさせないよう会話に努めた。甲府駅までそれが続けた。
 駅に着くと、男は後部シートに積んだリュックを降ろした。その下から泥だらけの登山靴が出てきた。シートは泥だらけになっていた。男はありがとうと云ってそのまま立ち去った。
 フランスには、泥のついた靴はシートの上には置いてはいけないことや、親切を受けた他人のクルマのシートを泥で汚したら、謝らなければいけないという、いずれの習慣もないことがわかった。


 南アルプス・仙丈ヶ岳(標高3,033M)。
 仙丈とは千丈、つまり一万尺、すなわち三千メートルのことである。
 秩父の自宅を夜中の2時半に出て、雁坂峠を越え甲府に入る。甲府駅前を抜け、南アルプスの登山拠点である芦安の駐車場に4時半に到着した。ここから登山口である北沢峠まではマイカー規制が布かれているため、バスか十人乗りタクシーに乗り換えねばならない。
 ここに来るのは今回で三度目だが、この日の人出が最も多かった。夏休みのためなのかどうか、5〜6台ある乗り合いタクシーは、5時前で満車になった。
 私の到着時は、まだタクシーの空きがあったのだが、私はバスのチケットを購入した。バスは北岳の登山口である広河原までである。仙丈ヶ岳に登るには、広河原から別のバスに乗り換えて、北沢峠まで行かねばならなかった。

 先行して出発する乗り合いタクシー隊は北岳を目指す登山者に譲り、私は後から出発するバスで行けばよかった。スピードの出るタクシーで早く着いても、どうせ広河原で次のバスの乗り継ぎ時刻まで待たされるのである。それならば、タクシーは北岳登山者に譲るのが合理的配慮というものだった。バスの座席を荷物で確保し、外に出てバス停で入念にストレッチを行い、出発の時を待った。
 5時30分、タクシー隊が先行して出発し、その後をバス2台が追った。
 乗車時間は50分と長い。タクシーなら45分くらいで着くだろうか。6時20分に広河原に着くと、北沢峠行きのバス停には、発車30分前にも拘わらず、既に30人ほどが並んでいた。
 どうやら乗り合いタクシーで来た連中が、そのまま次の乗車行列を作っているようだった。先行する乗り合いタクシーは北岳ハイカーに譲るのが合理的配慮とかいう考えが、山登りにあっては如何に甘いものであるかを思い知らされた。競争は熾烈であり、満員の通勤電車と変わらぬ弱肉強食の世界だった。うすのろでは乗車できない事態すらも想定せねばならなかった。

 私の前に30人ほどが並んでいたので、バスは私の直前で満車となった。しかしバスは2台あったので、2台目に乗車することができた。
 北沢峠へはバスのみでタクシーはない。おまけにこの先は、ここまでに比べて圧倒的に運行本数が少なく、一本見送ったら、次の便まで1時間半〜2時間という過酷な待ち時間があった。
 北沢峠に到着したのが7時15分だった。乗車時間は25分で、芦安駐車場を出発してから1時間45分も掛かっていた。ちなみに、最初のバス料金は1,100円、ふたつめが750円、合計1,850円である。帰りも乗るとなると、3,700円も掛かる。

 北沢峠は山梨と長野の県境で、標高は2,030メートルもある。つまり、仙丈ヶ岳の標高が如何に3,033メートルあろうと、登る標高差は1,003メートルに過ぎない。
 登山道は尾根コースと沢コースがある。今回は尾根コースで登り、沢コースを降りる予定だ。
 7時20分登山開始。登山道は最初から原生林の様相で、勾配はきつくなく、すぐに森林限界を飛び出してしまう。目の前には小仙丈ヶ岳が迫り、振り返れば甲斐駒ヶ岳が近い。
 このところ熊谷や館林では連日の猛暑日が続いており、この日もこの夏一番の猛暑と、午後の雷雨が予報されていたが、標高が高いせいか、日差しが強い割にはそれほどきつい暑さではなかった。

 小仙丈ヶ岳山頂からは見晴らしの好い尾根歩きとなる。
 眼前に迫る仙丈ヶ岳と小仙丈沢カールを見ていると、山頂まであと20分程度で登れるように見えるのだが、実は山頂はここからは見えていない。仙丈ヶ岳の山頂は、ここから見える山の裏側の稜線の延長上にあるのだが、このことは後で知ることになる。
 稜線は鎖場もなく急勾配もなく、非常に穏やかである。山登りというよりも、山歩きといった趣である。山頂に到着したのが9時50分、所要時間は2時間30分だった。

 ここで、帰りのバス時刻を確認しなければならない。
 北沢峠から広河原に戻るバス時刻は、13時05分と、15時30分の二本のみである。当初の予定では、下山予定時刻は13時50分と算出されていたため、15時30分に乗る予定だった。途中、広河原で乗り継ぎ、芦安駐車場の到着時刻は17時08分である。これでは周辺の温泉施設は終わっており、雷雨に見舞われる惧れがあった。
 山頂の到着時刻が想定よりも1時間早かったため、この調子なら13時05分のバスに充分間に合う計算になった。ゆっくりと風呂につかり、ラーメンを食べて、雷雨が襲う頃には安全圏まで逃げられる。

 下山は沢コースを降りた。
 藪沢をずんずん下って行くと、やがて雪渓が現れた。
 この雪渓歩き、莫迦にならない距離があった。雪の下は崩壊が進んでおり、空洞化しているようだった。アイゼンなしの下りはことのほか神経をすり減らした。
 ようやく雪渓を抜けると森林に入った。登山道は意外な急降下となった。登り所要時間が2時間半だったので、下りは2時間を切るだろうと多寡をくくっていたところ、意外にも2時間15分掛かった。
 下山したところは南アルプス林道に建つ大平山荘だった。ここは出発点である北沢峠から下った長野側で、つまり北沢峠まで15分の登りを強いられる最後の試練となる。バス停への到着時刻は12時40分だった。
 バス停の待合所は大変な賑わいだった。
 北沢峠は、仙丈ヶ岳の他、甲斐駒ヶ岳の登山口でもあるため、こちらからの下山者で意外な混み様だったのだが、バスは4台あったので無事に乗車できた。
 車窓から外を眺めていると、バス路線の林道を歩いて降りている一人の男がいた。リュックを背負い、手にはストックを持っていた。その容貌は一見して外国人だった。

 広河原に着くと、乗り合いタクシーが、
「芦安行き、まもなく発車します」
 という呼び込みをやっていた。タクシーの方が先行して出発するし、所要時間も短いので、到着時刻優先ならこちらを選択すべきところだが、私はゆっくり走るバスに乗車した。空いている座席に腰を下ろし、先行して出発するタクシー隊を見送った。
 やがてバスは満席となったが、ハイカーは後から後から乗り込んできた。ほとんどが高齢者だった。彼らは座席が既に空いていないと知るや、大声で憤慨した。添乗員は立ち乗りでお願いしますと言ったが、彼らの怒りは収まらなかった。無論、他のハイカーが彼らに座席を譲ることはなかった。
 山登りは、わざわざ疲労を購う行為である。高齢者とはいえ、それなりの体力を自負しているはずであり、今どきの若い者には負けねぇ、年寄り扱いするなという気概も持ち合わせているはずである。それが、バスに座れないとなると、途端に老人に返って怒り出すというのは、いったいどういうことだろうか。バスは登山という非日常的行為ではなく、通勤電車のような日常的行為だとでもいうのだろうか。
 無論、それもわからないではない。高い運賃を払って50分も立ち乗りというのは、何か損した気分になるだろう。おそらく、グリーン車や新幹線に立ち乗りする気分だろうが、それは仕方のないことである。要するに早い者勝ちなのである。座りたければ、事前に時刻表を把握して早く並ぶか、次の便を待つしかない。その程度の計画性や覚悟すらないなら、山になぞ来なければ良いのである。
 昨今の百名山ブームにより、中高年登山者のマナー劣化問題が話題になっているが、なるほどその一端を垣間見られた。
 14時40分、芦安へ到着。バス停横の白峰会館で入浴し、ラーメンを食べ、帰宅の途についた。
クロユリ ミヤマダイコンソウ チングルマ

●登山データ
2012年7月26日(木曜日)
北沢峠(標高2,030M)→仙丈ヶ岳(標高3,033M)、標高差1,003M

北沢峠(7時20分出発)→小仙丈ヶ岳(9時00分)→仙丈ヶ岳山頂(9時50分)、登り所要時間:2時間30分
山頂滞在時間:35分
仙丈ヶ岳山頂(10時25分)→馬ノ背ヒュッテ(11時10分)→大平山荘(12時25分)→北沢峠(12時40分)、下り所要時間:2時間15分
全行程:5時間20分

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