Practice Makes Perfect/和名倉山(二瀬尾根ルート日帰り)
三峯神社駐車場から見た和名倉山(標高2,036M)
秩父市街から見た和名倉山
秩父湖脇、埼玉大学山寮上の駐車スペース。
前方に見えるのが和名倉山二瀬尾根である
吊橋から先は通行禁止の看板が
看板に落書きされた参考タイム
とりあえず吊橋を渡る
渡りきったところにある標識。左は行き止まりと書かれているが、左が登山道である
崩落するかもしれないコンクリート製の桟橋を行く
分岐を右上に登り尾根を目指す 反射板跡地まで急勾配の登山道が続く
以前マイクロウェーブの反射板があった跡地 ここから登山道は水平になる
倒木が行く手を阻む
トロッコの軌道が現れる
木材運搬用のトロッコの車軸
ウインチのゴミ
無残に朽ち果てた造林小屋跡
造林小屋からはルートが不明瞭になる。下草が繁茂すれば更に難度を増すだろう
これから起こる困難への警告文
テープのあるルートは複数存在する
スズタケが腕に刺さり、脛に刺さる
往きに通った直登に近いマニアルート。盛夏の繁茂期だったら遭難するかもしれない
藪ルートの中にあった白石山の標識。和名倉山の文字はどこにもない
判り易い一般ルート(帰りに通る)

いたるところにある東京大学の境界札
笹ツ場を過ぎると原生林になる
鬱蒼とした雰囲気が好い
天然のモニュメント群
『二瀬分岐』の札は山梨ルートからの登山者にしか見えない。写真右方向が山頂。左が二瀬尾根
千代蔵ノ休場
倒木を越えて山頂へ
山頂は十畳ほどの広さ
この日初めて見た和名倉山の表記に涙

和名倉山(二瀬尾根ルート日帰り)

2011年5月21日(土曜日)

 三峯神社の駐車場に降り立つと、まず眼前に聳え立つ一峰に圧倒される。この大きい山は、雲取山ではないし、最初何だろうと思った。
 三峯神社に隣接した宿泊施設・興雲閣(こううんかく)の人に訊くと、和名倉山(わなくらやま)だと教えてくれた。
「私はかつて、あの山で働いていました…」
 とその人は感慨深げだった。

 和名倉山(標高2,036M)は雲取山や甲武信ヶ岳などの秩父連山からは一線を劃した独立峰であり、秩父市街からもその姿を見ることが出来る。
 秩父連山が奥多摩や山梨との県境脊梁を形成するのに対し、和名倉山は奥秩父にありながら、山全体が秩父市の範疇に入っている珍しい山である。
 にも拘らず、秩父市からの登山道は実質ないといっていい。いや、あるにはあるが、自治体が通行を認めていないのである。

 いくつかあるルートのうち、今回登ることになる二瀬尾根は、その入り口に通行禁止の旨書かれた自治体の看板が設置されている。
 設置者の『大滝村』を消して、その上から『秩父市』と書かれているところを見ると、少なくとも市町村合併が行われた平成17年(2005年)以前のものだろう。今から6年以上前である。
 登山道入り口の標識はなく、それだけでも秩父市がこの山の扱いに困惑していることが窺える。
 ネット情報では、二瀬尾根、ヒルメシ尾根、仁田小屋尾根の3ルートがあるらしいが、地図には二瀬尾根ルートしか載っていない。それも一般向けではない破線表示で、コースタイムは記されていない。あくまでも参考に載せている程度であり、どうしても行くなら自己判断能力のある人のみということだろう。
 ネットで先達の記録を見ると、スズタケの藪に覆われた、不明瞭な、遭難の危険の高い、熟達者向けコースということで概ね一致している。

 秩父市では通行止めにして後は無関心の態(てい)を決め込んでいる恰好だが、これ幸いにと県境向こうの山梨側からはいち早く登山道が整備され、多くのハイカーが実はこの山には登っている。これが実質、和名倉山唯一の一般ルートであり、山の名称も白石山(はくせきさん)にすりかえられている。
 多くの秩父市民がこの山の存在さえ知らず、たとえ知っていても関心を払うこともない状態なので、どうでもいいことなのだが、敢えて書くなら、耕作を放棄した自分の土地を、隣人が勝手に耕して使っているのに似ている。
 1984年にこの山が日本二百名山に指定されてからの賑わいであり、この山を人知れずそっとしておきたかった自治体の思惑とは裏腹に『遭難の危険』『マニア向け』尚且つ『困難な山・入門編』的なノリで、敢えて秩父から登るハイカーも増えているのが現状といったところのようだ。

 地元秩父の山を順次登り続けてきた私も、残すは和名倉山のみとなった感がある。いつかはやらねばと思っていた。
 しかし、未経験の藪ルートと、昨今大滝で相次いでいる車上荒しのため、計画実行に当たっては慎重を期さざるを得なかった。
 交通量の少ない平日は危険と判断し、雪解けの済んだ5月の週末を設定した。新緑の三峯講(三峯神社参拝)の交通量増加と、藪の生育前ということで、ゴールデンウィーク中がベストと考えられたが、生憎この頃はまだスキーが優先されたため、5月21日土曜日の決行となった。梅雨入りを考慮するとギリギリのところである。

 クルマで二瀬ダムの堤体を渡り、少し行くと右手に埼玉大学山寮というのがある。この脇が二瀬尾根登山道の入り口である。
 駐車スペースは山寮の手前と奥に少しある。秩父湖を眼下にした上の駐車スペースに行ってみると、4台ほど置けるスペースにすでに一台が停まっていた。
 湖を見下ろすと、萌黄色の吊橋が見える。それを渡った先が和名倉山二瀬尾根であり、その裾は湖にどっぷりと浸かっている。

 吊橋への降り口に、前述した自治体の看板が立っている。
『この先、吊橋を渡ったところが落石、路肩崩壊しているので通行禁止/秩父市』と書かれている。
 しかし前にも書いた通り、この看板は六年以上前のものなので、現況は如何と、とりあえず様子を見に行ってみる。
 少し降りるとまた看板があり、余白にコースタイムが落書きされている。
『白石山まで登り5時間30分〜7時間、下り4時間30分』とある。
『白石山』という名称が気に喰わないが、結果からいうと、私のタイムが登り5時間20分、下り3時間35分だったので、標準コースタイムとしては概ね妥当だろう。

 吊橋を渡るとT字路に突き当たり、標識が立っている。登山道は左だが、無情にも左は『行き止まり』となっている。
 道は湖の上に突き出たコンクリート製の桟橋であり、自治体のいうように劣化が激しければ、崩れて二十メートル下の湖に滑落する危険は多分にある。
 桟橋区間が終わると、今度は登山道の分岐が現れる。何の表示もないが、ここはネットの情報どおり、右上に登るルートを採る。まっすぐは釣師が使う道のようだ。
 ここから道は一気に急勾配となり、それがかつてマイクロウェーブ反射板のあった跡地まで続く。
 ここまでの標高差はおよそ700メートルで、今シーズン初めての登山とあってか、足慣らしにはひどく辛かった。スタート地点の吊橋が概ね標高600メートルなので、山頂までの標高差は実に1,436メートルもある。この数値は全国的に見てもハードな部類に入るのだが、ともかく予定の標高差の半分を、ほんの序盤で登らねばならない。

 反射板跡地から道は一旦平らとなり、歩きながらの休憩となる。
 倒木そのままの道を40分ほど歩くと、やがてワイヤーや一升瓶が散乱する、かつての造林小屋跡地に出る。小屋は潰れてペシャンコになっているが、材木切り出しに使ったトロッコの軌道や車軸、ウインチなどが辺り一面に散乱している。これはひどい、と目には映る。
 武甲山といい、和名倉山といい、秩父人の山との関わり方は実に荒っぽい。関係のない他所の人から見ればケシカラヌとお叱りを受けるところだろうが、それを生活の拠り所とする地元民にとって、これははたしてどうなのだろうか。
 私の住む近くにも、秩父ミューズパークを擁する長尾根丘陵があるが、伐採地には山師の食い散らかしたと思われる弁当や、空き缶が無造作に転がっており、これは一般市民と思われるが、車道脇にはテレビやストーブなどの粗大ゴミが投げ落とされ、山で生まれ育った人というのは、どうにもそういう感覚にできているのかと情けなくなってくる。

 反射板跡から造林小屋まで2キロほど歩くが、標高差は35メートルほどしかない。ここから山頂まで、残り標高差700メートルを一気に登りあげなければならないと思うと、いささか憂鬱にもなる。
 造林小屋跡までは明瞭だった山道も、ここを過ぎると一気に不明瞭に変わる。ここからが和名倉山の真骨頂というところだろう。
 ところどころの木に赤や青のテープが巻かれているが、結果からいうと、テープの施された道は二本ある。二本あることを確認して、右のルートを選んだほうが、難度が低く判りやすい。そうと知らない私は、最初に見つけたテープを辿って登っていった。左のルートだった。
 なるほどこれは不明瞭である。テープ以外に道を示すものはほとんどない。ほとんど斜面を直登するようにテープを辿ると、そのままスズタケの藪に突っ込んだ。

 これは凄い。
 藪を漕ぐ、というが、手で掃いきれない短い竹が、ちょうど脛の高さだったり、腹くらいの丈だったりするので、それが脛に刺さり、腹に食い込む。体を押し戻すように突き刺さるスズタケになんとも苦慮するが、無情にも青テープはこの藪の中を延々と続いている。この時季でこれだから、盛夏の繁茂期だったら本当に遭難するかもしれない。
 しばらく登ると、五メートルほど右手の藪越しに白いものが見えた。『←白石山方面』という札だった。
 白石山という名称は気に食わないが、そこまで横に漕いで行くと、こちらが“本来の”藪漕ぎルートであることがわかった。何故なら、こちらのほうがはるかに明瞭だったからである。どちらが当りでどちらがハズレだったかはともかく、図らずもマニア垂涎ルートを採ってしまったようだ。
 帰りは一般向けの方を通ろう、と虚しく思った。

 藪を抜けると左手に山頂らしきものが見えてくる。ぐる〜りと大きくUターンしなくてはならないあの遠い山が、まさか和名倉山なのだろうか。だとしたら、あと二時間くらい掛かりそうだと、心が挫けそうになった。地図で確認すると、まぎれもない、あれである。
 足取りが幽鬼のように重くなった。

 このあたりには、東京大学の『境界見出標』という赤い札が、やたらめったら木に打ち込んである。東大の演習林があるという話は興雲閣の人に聞いていたが、これはつまり、この山の所有権が東大にあるということだろうか。両神山では、地権者が、勝手に俺の土地を通るな、という騒ぎになっているが、和名倉山の秩父側では、或いは東大に許可を得ずに登ってはいけないのかもしれない。山にはちゃんとした所有者がいるのである。
 そう考えると煮え切らない秩父市の対応も解けてくるし、かつて居たであろうあの造林小屋の住人たちが消えた理由も想像できる。
 ここは秩父市であって秩父市ではない。登山を許されたのは山梨から登ってくる東京のセレブなハイカーだけであって、秩父の無学の貧乏ハイカーが来るところではないのかもしれない…
 そんな想像をめぐらせると、何か物悲しくなってきた。
 あたりはいつしか、暗く鬱蒼とした原生林に変わっていた。森の中で、自らのダークサイドと闘っていた。

『白石山まで25分→』という標識がある。ここが二瀬分岐である。
 二瀬尾根からだと、そうとは判りにくいが、標識の道を挟んだ反対側の木の裏側に『二瀬分岐』と書いてある。山梨ルートを登ってくるセレブだけに見える特別措置である。
『千代蔵ノ休場』と札のある明るく開けた場所を抜け、再び倒木のある暗く鬱蒼とした森を進んで行くと、やがて山頂に辿り着く。
 何の展望もない、十畳ほどを切り開いただけの山頂である。
 ただ、『和名倉山』と書かれた標識だけが、うれしかった。

●登山データ
2011年5月21日(土曜日)
秩父湖吊橋(標高565M)→和名倉山(標高2,036M)、標高差1,471M

埼玉大学山寮横駐車場(6時25分出発)→反射板跡(8時05分)→造林小屋跡(8時45分/休憩20分)→二瀬分岐(11時25分)→和名倉山山頂(11時45分到着)、登り所要時間:5時間20分
山頂滞在時間:30分
和名倉山山頂(12時15分下山開始)→二瀬分岐(12時30分)→造林小屋跡(13時55分)→反射板跡(14時30分/休憩10分)→埼玉大学山寮横駐車場(15時50分到着)、下り所要時間:3時間35分
全行程:9時間25分

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