Practice Makes Perfect/秩父御岳山
御嶽山開山の祖・普寛上人の墓所
庵野沢の登山道は崩落して通行止めだった
やむなく杉ノ峠まで迂回して尾根ルートを往く
途中の鉄塔付近から見た御岳山
御岳山山頂神社と、後ろに両神山
タツミチ分岐。右に行けば三峰口駅
武甲山と荒川渓谷。右端が三峰口駅周辺の集落

秩父御岳山(ちちぶおんたけさん)

2010年11月13日(土曜日)

 諸事情により、前回の登山から4ヶ月近いブランクを作ってしまい、気が付けば既に11月も半ばである。夏山シーズン終熄も間近となり、せっかくここまで培ってきた登山意欲そのものが、消失の危機に曝されている。
 せめて里山ハイキングでもしてモチベーション保持に努めねばと焦燥の腰を上げ、地元秩父の未踏峰リストから御岳山(標高1,081M)を選出した。

 御嶽(おんたけ)山とか御岳(みたけ)山という山は全国に数多あるようだが、秩父のそれは木曾御嶽山の王滝口登山道を開いた行者・普寛(ふかん)の出身地が、ここ秩父郡大滝村(現秩父市)であり、彼が開いた山ということで、スケールは小さいながらも歴乎(れっき)とした謂(いわ)れがある。
 とはいえ、現在の山容は林道に切り刻まれ、鉄塔が立ち並び、神域という雰囲気は微塵も感じられない。ただ、秩父鉄道三峰口駅を起点としてバスを利用すれば、四時間程度で落合から山頂を乗越(のっこ)して三峰口に戻って来られる恰好のハイキングコースではあるようだ。
 そんな予定で三峰口駅までクルマで行ったのだが、普段なら閑散としているはずの駅駐車場には一面テントが立ち並び、ステージが組まれ、巨大なクマのバルーンが据え付けられ、後で知ったことだが、秩父鉄道のイベント会場になっていた。

 記録的猛暑に見舞われたこの年、山の食物が不作となり、人里への熊の出没が多発しているという。そんな遭難の啓示なのか、駐車場が使えないといういきなりの蹉跌(さてつ)に、今日の登山を熄(や)めようかと逡巡した。
 いや、待てよ、予定していた8時50分のバスにはまだ時間がある。三峰口駅は秩父鉄道の終点であり、電車はこれより奥に行くバスに連絡するように到着するはずである。いったん駐車場のある駅まで下って電車で戻れば、まだリカバリー可能である。隣の白久駅には置けないにしても、その次の武州日野駅には置けたはずである。所要時間を10分と見積もってもギリギリ間に合いそうだ。
 こういう場当たり的な行動は、物事の精査に欠け、遭難の原因ともなるのだが、ともかくクルマを走らせ武州日野駅まで下った。駅舎で時刻表を確かめると、8時36分の電車にはまだ10分あった。駐車料金300円を支払い、電車賃160円を払って(ICカードは不可)三峰口駅に舞い戻った。

 駅頭に立ったが、バス停がどこか分からなかった。バス待ちをしている人も見当たらない。紅葉がちょうど好い週末にこんなはずもないがと思っていたところ、バスがやって来て鄙(ひな)びた小舎の前で停まった。
 ああ、あそこかと歩き掛けた途端、体が硬直した。小舎の暗がりに群集の蠢(うごめ)きがあることをはじめて知り、それを察知できなかった迂闊さに、ここまで感覚が鈍ってしまった自分自身に狼狽した。
 リュックを背負った高齢者の群集が、一列となって一人ひとりバスのステップを登って行く。その光景は、深層記憶の底からあるイメージをフラッシュバックさせた。
 子供の頃見た白黒アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』のワンシーンである。鬼太郎では電車だったが、この場合、バスの行き先がどこなのか不安になった。
 なんらかの啓示に思えて仕方がなく、最後尾に並んだ私は、乗れなければ今日はやめようと思った。

 単独登山を好む私にとって『孤独』は重要である。
 誰もいない薄暗い山道を一人行くのは、最初慣れないうちは、孤独、猜疑、恐怖といった負の要素が襲い掛かってくる。しかしそれらは、ただ単に自分自身が生み出す心の弱さに過ぎず、それらひとつひとつを克服し、平常心を養う過程は登山の醍醐味とも思っている。
 息苦しい満員バスに揺られながら、しかも乗客全員がハイカーという状況は、メジャーな山なら致し方ないにしろ、秩父の山の意外な人気の高さとは裏腹に、私のモチベーションを萎えさせるには充分だった。
 途中、熊倉山登山口の大血川バス停でふたりが降り、落合バス停では私を含めたふたりが降りた。バスはほとんどの客を乗せたまま走り去ってくれたので、少し気分が良くなった。

 バス停を降りるとすぐに普寛神社の鳥居が見える。ここは普寛上人に逢って一度挨拶しておく必要があった。
 神社の裏手に墓所があり、傍に普寛上人の像が座っている。その顔は、どことなく野暮ったく、身近な親しみすら覚える。俗名を木村好八といい、ここ落合で生まれた。彼は木曾御嶽山のみならず、越後八海山の屏風道や、上州武尊山をも開山したというから、秩父の登山家にとっては尊崇すべき郷土の先達ということになるだろう。
 そんなつもりでお参りを済ませ境内を降りると、そこの辻に唐突にひとりのオジサンが立っていた。
 おじさんは、
「御岳山への登山道は崩落して通行止めだよ。山が崩れてポッカリ穴が開いているよ」
 と教えてくれた。

 せっかく気分を持ち直したところにまたも浴びせられた冷や水である。これはもう熄めるか、と諦めかけた刹那、おじさんは代替ルートを教えてくれた。
 行き先を指し示されるとまた逡巡する。迷ったら熄めた方がいいような気もするが、とりあえず地図を広げて迂回ルートを確認してみる。予定していた庵野沢(地図では王滝沢?)ルートが潰れてしまったので、林道を辿って杉ノ峠に迂回し、そこから尾根伝いに山頂を狙うルートということになる。里山スケールなので多少の時間超過は問題ない。
 最後に自分に問いかけてみる。俺は今日死ぬだろうか?
 …
 そんな予感はない。熊ベルをセットして登山を開始した。

 別に何事もなく山頂に到着した。
 無論無休憩であり、気温が低いこともあって疲労も感じない。体力が低下しているという前提だったためタイムは気にしていなかったが、結果からすればそれもまずまず好調だった。
 狭い山頂には祠が祀られ、両神山がよく見えた。先客は三人いたが、週末とあって後から続々と人が登って来る。少し下がったところで30分の食事休憩をして下山に移った。
 下山ルートを地図で確認すると、途中に両神方面との分岐があり、コースを誤りやすい旨の危険マークと、分岐注意の表記がされている。これだけなら事前に承知していたことだが、武州日野駅でもらったハイキングマップには、なんとこの下山路そのものがまったく描かれていなかった。このことが要らざる警戒心の過剰反応を呼び起こし、生兵法的深読みをさせ、まっしぐらに遭難の虎口へと突き進む端緒となった。

 コースは既に一般ハイキングコースではなく、分岐は相当分かりにくいはずという先入観に囚われていた。素直な思考が出来なくなっていた。尾根分岐を見誤らないよう、赤いリボンにのみ気を配った。その硬直した思考が誤った尾根に踏み入れさせた。
 踏み痕少ない派生尾根に赤いリボンと赤いスプレーが続いていた。踏み痕からしてメインルートは明らかに左だが、この右分岐に付けられたサインが異様に気になった。分岐標識はもちろんない。
 なるほどこれでは分かりにくい。不親切にもほどがある。怒りさえ込み上げ、地図が指し示しているのはこれに違いないと右ルートに踏み込んだ。
 赤テープに沿ってしばらく行くと、尾根は急激な下り傾斜となり、足許の土を落とさずには歩けないほどの急斜面になった。あまりの急角度に手繰り寄せる細木はすべて枯れていてボキボキと折れる。これはおかしいと思ったが、普寛開山の苦労はこんなものではなかったはずと、血走る目が捉える赤テープは無情にこの中を続いていた。

 これは如何にしてもおかしい。滑落の危険が大きすぎる。これはおそらく山師の道で登山ルートでは決してない。ようやく古(いにしえ)の呪縛から正気に返り、元の分岐まで這い上がった頃には往復30分を無駄にしていた。
 素直に左のルートを行くと、すぐに『三峰口駅→』の分岐標識が立っていた。何のことはない。ルートは非常に分かりやすく、よく整備されていた。現場にいるのに素直に現場を見ず、机上のデータを鵜呑みにしすぎた自分がどうにもならない間抜けに思えた。

 三峰口駅にはSLが来ていて、イベント会場は異様な興奮に包まれていた。終点であるこの駅にはSLのターンテーブルがあり、駅の窓口には折り返しのSL乗車券を求める長蛇の列が出来ていた。こちらは電車に乗れば良いので、行列を横目に券売機に並んだ。
 前に並んでいたオバちゃんがなにやら騒いでいた。券売機から切符もお金も出てこないと言っている。
 何だと?折り返しの電車は既にホームに入っている。時刻表を見ると発車まで5分もない。オバちゃんが、
 「千円入れた」
 としきりに喚(わめ)く。券売機の横の窓がガラリと開いて、駅員が、
「機械が壊れたからしょうがない」
 と千円を突っ返した。SL乗車券を求める長蛇の列に並べというのである。
 冗談じゃあない。今朝から次々と起こるトラブルにいい加減うんざりしつつも、私はオバちゃんを押し退け、駅員が窓を閉める前にこう云った。
「武州日野までの切符をくれっ!」

●登山データ
2010年11月13日(土曜日)
落合バス停(標高396M)→秩父御岳山(標高1,081M)、標高差685M

落合バス停(9時10分出発)→普寛神社(9時12分/参拝等18分)→杉ノ峠(10時10分)→御岳山(11時15分到着)、登り所要時間:2時間05分
山頂滞在時間:30分
御岳山(11時45分下山開始)→途中で道に迷い30分間のロス→タツミチ分岐(12時30分)→三峰口駅(13時30分到着)、下り所要時間:1時間45分
全行程:4時間20分

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