Practice Makes Perfect/天覚山〜天目指峠
正丸駅にクルマを置き、東吾野まで電車で移動
天覚山登山道入り口
登山道の分岐。左が沢コース、右が尾根コース
尾根コースを行くと山頂直下の両峯神社跡に出る
天覚山山頂(標高445.5M)
稜線縦走開始。次の大高山へ向かう
大高山山頂 大高山山頂(標高493M)
大高山からは、どうでもいい小ピークを迂回できる捲き道が用意されている
車道が登山道を分断している
前坂分岐点。右に降りれば吾野駅、まっすぐ行くと子の権現に至る地図上破線ルート。破線ルートを進む
吾野駅近くにある鉱山の警告看板。尾根ルートはここから立ち入り禁止となり、一旦降ろされる
む〜っ、さすがに破線ルート。篠の藪だ
車道に出て少し登る

車道から再び登山道に戻る入り口。藪の予感
破線ルート中、唯一のベンチ。お地蔵さんが見守る
採掘現場を一望
522Mピーク、板谷の頭
540Mピーク、六ツ石の頭
破線ルートを突破し、子の権現に到着
子の権現の大草鞋
愛宕山頂上(標高およそ650M)
地図上ではここが本日の最高地点となった
登山道の階段を登ると天目指峠の標識とベンチ。
雲行きが怪しくなってきたので、ここで縦走を断念し、車道を正丸駅まで降りた

天覚山〜天目指峠(飯能アルプス縦走)

2010年7月16日(金曜日)

 以前は梅雨というとシトシトと弱い雨が一日中降り続くというイメージだったが、地球温暖化や異常気象がすっかり定着した近年では、まるで亜熱帯地方のような、雷を伴った集中豪雨型に変貌した。この2010年も九州や四国、広島などに甚大な被害をもたらしている。
 崖崩れや土砂崩落というのは、これまで急な斜面でのみ起こる表層崩壊が主流だったが、昨今の猛烈な豪雨は、これまで土砂災害とは無縁だった緩斜面すら、土台ごと根こそぎ崩落させてしまう深層崩壊という新たな現象まで生み出した。
 秩父では特別ひどい被害はなかったものの、西武秩父線に関しては、1999年8月に起こった吾野(あがの)駅での大規模な土砂崩落の事例を受けて、西武秩父〜吾野間の運行が度々見合わされた。

 正丸峠から飯能市街に至る高麗川の流れに沿って山あいを走る国道299号線と西武鉄道。この西武線に覆いかぶさるように連なる里山群を、俗に飯能アルプスとも言い、その稜線は秩父との境界線である正丸峠近くの伊豆ヶ岳(標高891M)から、飯能市街に近い天覧山(標高197M)まで、延々15キロほど続いている。西武鉄道の各駅を効率的に利用できる登山道が整備されていることから、お手軽に登れるハイキングコースとして人気が高い。

 連日のような梅雨の豪雨に、なかなか思うような登山計画を立てられず、前回の登山から既に3週間のブランクを作ってしまい、体はすっかり鈍(なま)ってしまった。梅雨明け後に予定されている南アルプス登山に不安を感じ、これは事前に調整せねばなるまいと、この日の登山を計画した。
 西武鉄道を使い、天覚山から伊豆ヶ岳までの飯能アルプス核心部、約9キロを縦走する計画である。

 クルマを正丸駅の日貸し駐車場に置く。看板には駅の売店で料金500円を支払うよう書かれているが、まだ売店は閉まっているので帰りに払うことにして列車に乗り込んだ。
 正丸から3つ目の駅、東吾野で降り、8時20分に登山を開始した。
 結果から言うと、このスタート時刻の遅さが、このままズルズルと尾を引き、結局天目指峠(あまめざすとうげ)で伊豆ヶ岳縦走を断念せざるを得ない原因となった。

 駅を降りると東吾野の集落である。登山口まではこの集落を歩かねばならない。のどかな集落の朝の生活を見ながら一人リュックを背負って歩く姿というのは、里山の節理とはいえ、我ながら少々間抜けに感じる。
 まず、目標とする天覚山がどれなのかが、そもそも分からない。住宅の路地に立ち止まり、おもむろに地図を広げ、ルートを確認する姿が如何にも間抜けである。何か社会不適格者のようであり、不審者に見られなくもない。
 いつもの登山では感じなかったこの『照れ』は、里山ハイキングならではの現象で興味深い。
 スキーヤーはスキー場に、登山者は山にいてこそ存在が認められるのであって、人里にいたら変態である、という意識の抜けない私は、未だ『登山者』にはなりきっていないのかもしれない。多寡がハイキングと初めから嘗(な)めてかかっていたが、奥深い何かがあるのかもしれない。
 そんな自嘲を口辺に泛(うか)べながらしばらく歩くと『天覚山・大高山入口』の道標を発見した。救われた気分だった。この道標から先は不審者ではなくハイカーとの定義を受けられるだろう。
 少し歩くと、沢コースと尾根コースの分岐点に突き当たった。これはいきなり想定にないことだった。
 2007年版の手持ちの地図を見ると、沢コースしか描かれていない。尾根コースは最近出来たのだろうか。看板には地主の厚意によって登山道が提供されている旨が書かれている。ここは尾根コースを行くことにした。

 気温はグングン上昇し、非常に蒸し暑く感じる。これは低山ゆえ致し方ないことだが、頭から汗がドクドク流れ落ち、著しく体力を奪われる。このところの自堕落な生活が影響しているのは疑いようのないことだが、やはりあと二時間早く出発すればよかったと後悔した。
 登山道に張られた蜘蛛の巣は、少なくとも今日誰もここを登っていないことを意味する。それをひとつひとつ払い除け、一歩一歩体内に蓄積された毒を搾り出すようにして登った。

 やがて城跡のような広場に出た。石垣や石段があり、戦国時代の豪族の城かと思ったが、さすがにやや小さいか。よく見ると片隅に『両峯神社跡』の石柱が立っていた。地図を見直すと、沢コースはこの場所を通らずに山頂に至っており、この神社跡へのルートはまったく記載されていない。見上げればすぐそこが山頂で、2分ほどで到着した。駅からの所要時間は55分だった。
 地図上参考タイムは50分になっているので、5分オーバーである。これは少なからずショックだったが、三週間のブランクの上、あまりの蒸し暑さに体が動かず、それも仕方がないことと受け入れた。もう少し歩けば体も戻るだろう。ともかく、荷物を降ろしてベンチに座りこんだ。

 天覚山。読みは『てんかくさん』である。
 山の名前なので、アクセントを『て』に置いて『てんかく山』と読むのかと思ったが、下山後、正丸駅の売店のおばちゃんに訊いたところ、『ん』にアクセントを置き、人名のように『天覚さん』と発音するとのことだった。神社跡もあったし、何か神格化しているのかもしれない。

 15分の休憩後、次なる山、大高山に向かう。ここからは稜線歩きなので、多少のアップダウンがあるとはいえ今までよりもずっと楽である。しかも先程までと違って、この稜線は意外に涼しかった。
 蜘蛛の巣こそあるものの、この時季、人を悩ますアブやブヨは不思議とまったく居なかった。虫に悩まされず、意外の快適性からか、ついにいつもの調子を取り戻した。いくつかの小さいアップダウンを繰り返し、やがて大高山に到着した。時計を見ると、天覚山からの所要時間は1時間10分だった。意外にも地図上参考タイムを10分しか縮められなかった。この区間の調子は良かったので、もう少し縮められるかと思っていたが、何か腑に落ちなかった。
 もしかすると、この地図のコースタイムのとり方は、意外にタイトなのかもしれないと薄々気付きはじめた。
 この山は登山というよりもハイキングコースである。つまり登山のうちでも比較的難度の低い初級コースに当たるだろう。当然そのようなユースが想定されるべきであり、それに照らし合わせると、この地図のコースタイム設定はいささか厳しすぎるように思われる。
 このことは私自身今後の計画を瓦解させる要因にもなるのだが、実はこの地図には、昨年の熊倉山と一昨年の武甲山で手痛い目に遭っていたのだ。そのことをすっかり忘れていた私自身迂闊だったわけだが、どうやらこのままでは、伊豆ヶ岳に到達するのは難しくなりそうだった。朝の2時間の遅滞が返す返す悔やまれた。

 ここで反対方向から登って来たトレイルランナーと出逢った。山に入ってから初めて見る人である。
 この飯能アルプスを縦走する場合、標高140メートルの東吾野駅から登るよりも、標高310メートルの正丸駅から登った方が、数学的に言って賢明である。正丸から伊豆ヶ岳に登った方が、東吾野から登るよりも標高差が少ないし、東吾野から徐々に高度を上げて行くよりも、正丸から徐々に高度を下げて来た方が、エネルギーも掛からないからである。
 更に言うと、状況次第では伊豆ヶ岳まで到達できない不安を抱える長丁場よりも、まず最初に伊豆ヶ岳をやってしまった方が、後はどう割愛しようが精神的妥協が得やすいというメリットもある。
 それらのことは無論承知の上だが、私にはどうしても、電車で登って歩いて降りるという選択自体が、自分に対して許せるものではなかった。私にとって今回の登山は南アルプスに向けてのトレーニングであり、極論すれば伊豆ヶ岳まで行き着けなかったとしても、それ自体はどうでもいいことなのである。要は『登る』という過程にこそ主眼があった。

 大高山の山頂にはベンチがなく、地面も濡れているので、立ったまま10分間休憩した。
 ちなみに、天覚山〜大高山間に一箇所謎の分岐があった。手持ちの地図では一本道のはずだが、確かに道は二本に分かれていて、片方にのみ誘導テープが貼られていた。道標はなかった。
 誘導テープがある方で間違いなかったが、稜線を縦走しているという思い込みを重視すると、テープのない道の方が正しく思われた。誘導テープのある道は、尾根から降ろされているからである。このテープの道は、吾野の集落に降りてしまうように思えてならなかった。
 念のためプロトレックのコンパスを作動させ、テープのない尾根道が南西を指していることを確認する。地図を見るとルートはひたすら北西であり、南はない。誘導テープは北西を指しているので、ここから尾根を降りた。樹木で展望の悪い中、これは初級ハイキングコースとしては、いささか不親切なのではないかと感じた。

 天覚山から大高山まで、名もない小ピークをいくつも越えてきたが、大高山から次のチェックポイントである前坂までの間は、そういったどうでもいい小ピークには捲き道が施されていた。トレーニングとはいえ、コースタイムをあまりに甘く見過ぎていたことに気付いた以上、捲き道で僅かでも遅れを取り戻そうとの姑息も辞さずと方針転換した。

 電線が見える。
 突如登山道を分断するアスファルト道路に飛び出した。道路の反対側の再突入口から登山道に入り、少し登ると前坂分岐点だった。大高山からのコースタイムを僅か5分しか縮められなかった。
 5分など少し休憩すればなくなってしまう。10分休憩すれば5分のビハインドだ。
 地図によってテスターが異なるため、コースタイムの設定にクセがあるのは仕方がない。70%で歩ける地図もあるし、今回のように100%を越えてしまうものもある。いかにその地図のクセを把握するかが計画成功の鍵となるわけだが、今回の場合、ハイキングユースの地図としては、いささかシビアすぎるように感じた。

 前坂十字路。右に降れば吾野駅まで40分である。まっすぐ登れば『スルギ・子(ね)ノ山』へ至るとある。地図には『スルギ』は載っているが『子ノ山』はない。『子ノ権現』あたりをそう呼ぶのだろうか。ともかく予定は伊豆ヶ岳なので、子ノ権現を経由しなければならない。
 この里山縦走は初級ハイキングコースと勝手に決め付けているわけだが、前坂〜子ノ権現間に限っては、地図上では破線表記となっている。これは一般ルートとして推奨しかねるということで、何らかの危険性が介在していることを意味している。
 それは少し歩くとすぐに判った。
 これ以上尾根に立ち入らないよう、大きな警告看板がルートを立ち塞いでいた。この先は鉱山の発破現場とある。
 なるほどそういえば、吾野駅に隣接して石灰岩の採掘現場がある。ここはちょうどその真上にあたるのである。10時、12時、15時の1日3回発破を実施するとあり、時計を見ると11時30分なので、ここを通り過ぎる間に一発くるかもしれない。

 道は尾根を降りるよう誘導されているので、そちらに進むと次第に藪化してきた。篠の生い茂るままとなった藪をかき分けながら降りると、またもや舗装道路に飛び出した。時間的に昼食にしたいのだが、日差しの下の舗装道路は照り返しがひどく、ここでの食事は躊躇われた。ここまでの登山道は樹林の中で直射日光を防げたが、地面が濡れているので舗装道路の木陰でと思っていたのだが、もう少し先へ行ってみることにした。しばらくこの道路を登れば、再び登山道へ戻る入り口があるはずだった。
 草むらの中に小さな道標が埋もれていた。『スルギ・子の山』と書かれている。登山道は藪に没していた。しかし分入って少し歩くと普通の登山道っぽくなってきたので、ひとまず眉を開いた。

 ベンチがあった。11時50分になっていたので、座って昼食にした。
 このベンチは前坂〜子ノ権現間の破線ルート中、唯一のベンチである。この日はルート全般が濡れていたのでベンチは有難かった。この演出は、目の前に佇むお地蔵さんを神々しく見せるのに充分効果的だった。
 ここにも発破の警告看板が立っているが、一向に12時の爆破は起こらない。聞こえるのは重機のエンジン音だけだった。
 25分の休憩後、お地蔵さんに合掌と散財をして出発する。お地蔵さんから少し歩くと地図表記にある墓地に出た。登山道から一段下がった所に苔むした墓石が十基ほど佇んでいる。こんな場所に一体誰のお墓だろうか。お墓を過ぎると突如視界が開け、眼下に採掘現場が見渡せた。

 やがて地図表記にある522Mピークに出た。取り付けられた札には『板谷の頭522M』と書かれている。
 続いて高反山への分岐点に出る。この山は地図に載っていないし、分岐ルートも記されていない。続いて六ツ石の頭(540M)というピークに出るが、これも地図にはない。堂平山への分岐、久々戸山への分岐、スルギから滝不動への分岐ルートも載っていない。主脈自体が破線表記なので、そこからの派生路など、もはや描くにも値しないということだろうか。それが逆に新鮮だった。今日のところは割愛するが、またいつの日かこの区間を丁寧に逍遥(しょうよう)したい。

 やがてこの破線ルートも終焉を迎える。子ノ権現の車道の土手が見えてきた。
 カヤの藪を掻き分けて車道に上がり、鉄骨造りの車庫を通過し表参道に出る。山門をくぐり、巨大な仁王像の真ん中を通って境内に上がった。標高640メートルの山上の寺、子の権現天龍寺。境内には有名な巨大草鞋(わらじ)が設置されている。足腰守護の神仏とのことで、そう言われると不信心な私でも、なにやら登山の安全を祈願せざるを得ない感じになる。
 10分間休んでから、次のチェックポイント天目指峠へ向かった。

 天龍寺を過ぎると、登山道は鳥居をくぐって急な登りとなり、登りきったところに小さな祠が祀られていた。
 ここが『子ノ山』だろうか。地図にも現地にも、そういった表示はないが、ガイドブックによると『愛宕山』とある。地図を見るとここが最も標高の高い場所のようで、およそ650メートルといったところだろうか。結果的に天目指峠で縦走を断念したことにより、この場所が本日の最高地点となった。

 天目指峠は地図上では吾野から名栗に通ずる車道のことを指しているが、車道から伊豆ヶ岳寄りに少し登ったところに、天目指峠の標識(標高475M)とベンチが置かれている。ここに到着したのが14時45分だった。このままだと、伊豆ヶ岳到着は17時、休憩して正丸駅に降りるのが19時近くになってしまう。
 遠雷も鳴り出した。雲行きは怪しく、雷雨の到来を予感させた。あえなくここで縦走を断念した。

 車道は登山道よりも勾配が緩い分グネグネと延長距離が長い。それを降りるのはあまり効率的ではないが、それ以外ないので仕方がない。車道に戻り下山した。
 この車道、10分に1台くらいクルマが通る。しばらく降りると集落が現れ、荒れ果てた分譲地などがある。国道まであとどれくらいなのか、曲がりくねった谷間を歩いているので景色からはわからないが、電柱の番号札を見ればおおよそ見当がつく。東電とNTTの共架柱の場合、それぞれの番札が付いているが、NTTの番号は本線の分岐点から1番と着けて行くので、例えば『○○支線9番』となっていれば、国道の本線分岐から9本目ということになる。電柱のスパンは30〜40メートルなので、距離にして概ね350メートルと推察できる。退屈な車道歩きも、これで何とか気を紛らわすことが出来た。
 この車道を降りると西吾野の集落であり、一番近い駅は西吾野駅になる。しかし、国道を正丸駅まで歩くことにした。国道へ出る手前の橋のところに『不審者を見かけたら110番』との啓蒙看板があった。

 16時10分、正丸駅に到着した。
 クルマは駅のホームの目の前である。先程列車が発車したばかりなのでホームに人はいない。汗だくのシャツを着替える。誰もいない山中ならパンツまで履き替えたいほど汗まみれだが、ここでは通報の惧れがあるのでそれは差し控えた。
 売店に行って駐車料金を支払う。私の顔が汗だくだったためか、売店のおばちゃんが冷たい水を勧めてくれた。それがうれしかったので、ついでにアイスコーヒーを注文した。
 ハイキングですか、と訊くので、今日のルートについてひとしきり説明し、そこで天覚さんの発音も教えてもらった。
 クルマに戻って少し走ると雷雨になった。汗でびしょ濡れとはいえ、雷雨の中を歩きたくはない。そうならずに済んだのは神仏の御加護に違いない。

●登山データ
2010年7月16日(金曜日)
東吾野駅(標高135M)→愛宕山(標高650M)、標高差515M

東吾野駅(8時20分出発)→沢コース尾根コース分岐(8時35分)→天覚山(9時15分/休憩15分)→大高山(10時40分/休憩10分)→前坂(11時20分/休憩5分)→地蔵前ベンチ(11時50分/休憩25分)→板谷ノ頭(12時30分)→六ツ石ノ頭(13時00分)→子ノ権現(13時50分/休憩10分)→愛宕山(14時15分)→天目指峠(14時45分/休憩10分)→正丸駅(16時10分到着)
全行程:7時間50分

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