Practice Makes Perfect/八ヶ岳(美濃戸ルート日帰り)
八ヶ岳最高峰の赤岳(標高2,899M)と、その手前に立つ中岳を阿弥陀岳山頂から臨む

赤岳山荘駐車場(有料1,000円)
南沢ルートを行く
流木やガラでルートが破壊されている
行者小屋。背後には硫黄岳と赤岩の頭(左)
残雪のうえ道標テープもなくルートが不明瞭だ
残雪斜面のトラバース
中岳のコルから阿弥陀岳(標高2,805M)を見上げる 阿弥陀岳山頂から赤岳を臨む
阿弥陀岳から権現岳を臨む 中岳山頂
中岳から見た硫黄岳(左)と横岳(右) 中岳を下ると赤岳への急登がはじまる
文三郎尾根分岐から中岳と阿弥陀岳を振り返る
赤岳山頂直下の岩場を這うように登る
赤岳山頂と頂上小屋
魂の八ヶ岳山頂ラーメン
赤岳山頂から見た横岳と硫黄岳
赤岳を降り横岳に向かう
赤岳と中岳(右)を振り返る
横岳山頂(標高2,829M)

横岳山頂下、カニの横ばいを行く
イワヒバリ
硫黄岳山頂から、横岳(左)、赤岳(中)、阿弥陀岳(右)
赤岩の頭へ降下する
赤岩の頭から硫黄岳を振り返る
赤岳鉱泉に降下する
赤岳鉱泉

●はじめに

 環境省レッドデータブックによる絶滅危惧T類とは、近い将来絶滅する惧れのある希少種のことであり、このうち、ごく近い将来に絶滅する惧れが極めて高いものをTA類、それ以外をTB類としている。
 今回の稿に登場するツクモグサとホテイランは、長野県希少野生動植物保護条例の特別指定希少野生植物として保護監視下にある絶滅危惧TB類の植物である。
 絶滅の原因のひとつに盗掘があることから、この稿における当該種の植生分布に係わる記述及び写真構成は控えることとした。

八ヶ岳(美濃戸ルート日帰り)

2010年6月11日(金曜日)

 夜中の2時半に秩父の自宅を出て、埼玉山梨県境の雁坂トンネルにクルマを走らせた。
 トンネルの料金所のおじさんが、
「鹿がいるから気を付けて」
 と声を掛けてきた。
 甲府に向けて下る途中、真っ暗な道の真ん中に鹿がいた。驚いて急ブレーキを踏み、危うく回避した。こんなデカい動物と激突したら、こちらもタダでは済まない。昨年の北岳登山の折にも、同じような時刻に鹿を撥ねそうになったが、どうも最近このあたりでだいぶ増殖している印象がある。鹿はガードレールを飛び越えられずにクルマに併走してくるというのも、最近よく耳にする話である。
 中央道に乗り、小淵沢インターで降りると、こちらで出迎えてくれたのはキツネだった。私のクルマの前を悠々と横切って行った。

 富士見高原スキー場を過ぎ、5年前にグレステンスキーを体験した八ヶ岳自然文化園に至る。そのまま道をまっすぐ突き進むと八ヶ岳山荘であり、この前を左折するとダートの林道に入る。林道なので狭いのは致し方ないが、路面状態は2年前に走った本沢温泉口に比べて格段にフラットであり、路肩にはコンクリート製の電柱も建っているので安心感がある。道を間違えているのではないかという一抹の不安に襲われるが、少なくともこの先に電気の需要施設があることを意味している。
 赤岳山荘に朝5時に到着した。

 赤岳山荘の駐車場は一日千円の有料である。さすが人気の高い登山口だけあって、中には前日以前からのクルマもあるだろうが、平日にもかかわらず既に10台ほどが入っていた。
 山荘のおばちゃんに料金と登山届を渡して、5時25分に登山を開始した。

 ここからの登山ルートはダイレクトに最高峰・赤岳(あかだけ/標高2,899M)を狙える南沢と、赤岳鉱泉を経て硫黄岳に登り上げる北沢の二本がある。
 八ヶ岳(やつがたけ)という山は、諸説はあるが、いわゆる八つの山の総称で、赤岳以下、横岳、阿弥陀岳、硫黄岳、権現岳、天狗岳、編笠山、そして北横岳からなり、その総延長は南北30キロにも及び、これらをひとくくりにまとめて八ヶ岳連峰と呼んでいる。
 本日の予定は南沢から阿弥陀岳に登り、赤岳を経て、横岳、硫黄岳と縦走後、北沢から降りてくる日帰り周遊プランである。地図上参考タイムが10時間10分なので、休憩込みで9時間30分に設定した。

 八ヶ岳は五日前の6月6日に山開きしたばかりだが、南沢コースは随所に流木やガラの流出による登山道の粉砕が見られた。また残雪による登山道埋没箇所には、それを補完すべき道標テープもなく、まったく夏道を知らない者にとっては鼻白むものがある。現にルート不明瞭箇所での踏み痕の乱れは甚だしく、後続者に対しても無用な混乱を提供している。
 急斜面ゲレンデをトラバースする箇所では、ピッケルなしで滑落したら数百メートルは転げ落ちるので、ある程度の装備と経験、及び能力が必要であり、誰でも気軽に訪れていいという雰囲気ではない。

 寝不足もあり、雪道もあり、ルートの混乱もありで思うようにペースが上がらず、最初の阿弥陀岳山頂(標高2,805M)に到着したのは予定を25分もオーバーする8時50分だった。
 地図上参考タイムの3時間25分を1分も縮められなかったわけだが、これがこの先、更に悪化するだろうことは容易に想像できた。

 まるで墓石や卒塔婆が立ち並んだような殺風景な山頂で栄養補給と30分間の休憩をし、次なる赤岳に向けて先程這い上がってきた道を降下した。
 阿弥陀岳を降りたらすぐに赤岳に取り付けるわけではなく、ふたつの山を結ぶ稜線上には中岳という山がある。まずこれをやっつけねばならない。
 中岳という名前も付いており、越えるには少なからぬ労力を消耗させられるが、地図には標高記載がないばかりか、この山頂はコースタイムの基点にすらなっていない。ここは素通りするのがセオリーの、ちょっと気の毒な山である。
 中岳山頂を素通りして降りきると、いよいよ赤岳への登りが始まる。これがエラくきつい。
 今日はどうも調子が悪いことは薄々分かってはいたが、ここに来て症状が顕著になってきた。体を一歩押し上げるごとに目眩がした。

 夜中に起きて10時間歩くというスタイルも限界に達しているのかもしれない。一般的には朝5時頃家を出て、6時間くらい歩いて、山小屋に15時くらいに着き、一泊して帰るというのが理想なのだろうか。私も余裕を持ってそのようなスタイルに変えたいところだが、とりあえず今回は、もう二度と山登りなどするものかという苦悶に打ちひしがれた。
 しかし、頭の別なところでは、この状況を一挙に覆す打開策が冷徹に計算され、苦悶の中にも登山の完遂を確信した不気味な薄ら笑いすら混濁していたかもしれない。
 打開策とは、ラーメンを喰うことである。

 リュックに詰めてあるゼリーやビスケットは、もはや見るもの嫌だった。ラーメンだけが、エネルギー代謝を爆発的に促進できる起爆剤だと思った。赤岳山頂にさえ着けば、頂上小屋にカップラーメンくらいあるはずである。しかも今回のルートでは、きついのは阿弥陀岳と赤岳だけで、後は取り立ててどうということもない。それは2年前に確認済みであり、赤岳の山頂にさえ行き着ければ、もはやこの登山は成ったも同然だった。
 それだけを崩れ落ちそうな精神の支柱に、ふらつく体を一歩一歩押し上げた。押し上げるたびに視界がブラックアウトした。意識だけは飛ばないように、両足の指で地面を鷲づかみにし、視界に光が戻るのを待った。岩場を這うように登った。腹に力が入らなかった。

 赤岳山頂を素通りし、頂上小屋の引き戸をガラリと開けた。出てきた男におもむろにラーメンを注文し、玄関に荷物を降ろした。
 ただのカップラーメンが700円だろうと想像していたので、お湯を沸かして入れればいいだけである。それがなかなか出てこなかった。
 気圧が低い高山では沸点が低くなる。お湯は早く沸くはずだ。ぬるいお湯にふやけたラーメンが何分後に食べられるのかを男に訊かねばならない、などと考えながら、ひとしきり待った。
 やがて男が戻ってきた。目を疑った。男の持ったトレーには、なんと、どんぶりのラーメンが燦然(さんぜん)と輝いていた。奇蹟だった。

 色々な山菜が盛り付けられた本格的なラーメンだった。男は時間を掛けてこれを作っていたのである。心尽くしが感じられた。初めて食べた赤岳山頂ラーメンは美味しかった。腹にエネルギーが蓄熱された。値段は800円だったが、これで今回の登山の完遂は約束された。

 時間はますます遅れていた。予定を既に1時間10分オーバーしていた。
 ちなみに、赤岳到着の所要時間は5時間30分で、地図上参考タイムの4時間55分を35分もオーバーしていた。縮小率にすると112%で、これまでのワースト記録(熊倉岳での113%)に匹敵する不調さだった。地図上参考タイムをオーバーする屈辱はこれで二度目となった。

 ここからは2年前に本沢温泉から往復した稜線である。既知の道だけあって前回より楽に感じる。楽に感じる反面、面白味に欠けた。
 この頃からか、私の傍らには一人の伴侶が付いていた。信州大学大学院のOBで、現在は環境NGOに属しているという男だった。その男がいつしか高山植物ガイドの役割を担っていた。
 以前にもこういうことがあった。4年前の燕岳でも、現役の信州大学大学院生と名乗る男が私のガイドを務めてくれたのである。奇妙な符合だが、やはり道案内の神・猿田彦命の化身なのだろうか。

 男にはある目的があった。レッドデータブック絶滅危惧TA類のある花を探し出すことだった。TB類であるツクモグサとホテイランは私も予備知識として持っていたが、絶滅危惧ランクが更に上の植物がこの山にあることは知らなかった。結局それは見つけられなかったが、お蔭で有意義な時間を過ごすことができた。
 私のこれまでの登山は、ただひたすら歩くだけで、山頂にすら長時間留まることを知らなかった。今回、八ヶ岳の長い稜線をのんびり散策できたことは、以降の登山スタイルの見直しの参考にもなるだろう。
 私は山上で男と分かれ、硫黄岳から下山に移った。下山予定時刻を既に1時間45分オーバーしていた。

 赤岳鉱泉までの長い下りは、やはり残雪に埋もれていたが、ルートが判別できるという点で南沢よりマシだった。予定時間を大幅にオーバーして夕刻の迫る中、コースをロストしたり、滑って怪我でもしたら大変である。明るいうちに何とか駐車場へ辿り着きたかった。
 ダラダラと長い林道を歩き、赤岳山荘の駐車場に着いたのが16時35分だった。予定を1時間40分オーバーしての全行程11時間10分は、これまでの最高記録であり、地図上参考タイム10時間10分に対する縮小率110%は、全行程タイムとしてはワースト記録となった。
ツクモグサ(絶滅危惧TB類) 本州では白馬岳と八ヶ岳にしか生息しない希少種
ホテイラン(絶滅危惧TB類)
オヤマノエンドウ

●登山データ
2010年6月11日(金曜日)
赤岳山荘駐車場(標高1,691M)→赤岳(標高2,899M)、標高差1,208M

赤岳山荘駐車場(5時25分出発)→行者小屋(7時15分)→中岳のコル(8時20分/休憩5分)→阿弥陀岳(8時50分/休憩30分)→赤岳(10時55分到着)、登り所要時間:5時間30分

山頂滞在時間:30分
赤岳(11時25分下山開始)→横岳(13時10分/休憩20分)→硫黄岳(14時10分)→赤岩の頭分岐(14時25分)→赤岳鉱泉(15時20分)→赤岳山荘駐車場(16時35分到着)、下り所要時間:5時間10分
全行程:11時間10分

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