Practice Makes Perfect/巻機山(井戸尾根コース)
牛ヶ岳山頂付近より朝日岳縦走路を臨む

桜坂駐車場(有料500円)
届を出して登山開始
尾根コースと沢コースの分岐
ブナの生い茂る井戸尾根コースをゆく
天狗尾根と残雪のヌクビ沢
イワウチワ
一部登山道は雪に埋もれている
7合目から臨むニセ巻機山
大源太山から仙ノ倉山へと続く谷川連峰
8合目からニセ巻機山への登り
ニセ巻山頂から臨む巻機山主峰
ニセ巻山頂から臨む割引岳(われめきだけ)
ニセ巻下の避難小屋から巻機稜線への登り
途中湿原になっており、ミズバショウが咲いていた
巻機山稜線分岐の広場(山頂の標識あり)
巻機稜線から臨むニセ巻機山(標高1,861M)
巻機山山頂(標高1,967M)
山頂一帯は植生保護されている
巻機山頂を通り越して牛ヶ岳を目指す
牛ヶ岳山頂(標高1,962M)
牛ヶ岳山頂付近から巻機山を振り返る
牛ヶ岳山頂から割引岳を臨む

残雪斜面をトラバースして割引岳へ向かう
割引岳(標高1,931M)
割引岳山頂から牛ヶ岳(左)と巻機山(右)を臨む
残雪斜面を巻機山稜線まで戻る
巻機山稜線では雹(ひょう)が降ってきた

巻機山(井戸尾根コース/2,000メートル級残雪登山)

2009年5月27日(水曜日)

 スキーのオフトレとしてはじめた夏山登山も早3年目。今回の足慣らしに選んだのは、5月下旬に山開きしたばかりの巻機山(まきはたやま/標高1,967M)である。
 巻機山は群馬と新潟の県境、谷川岳を中心とした脊梁(せきりょう)山脈の一劃であり、標高は2,000メートルに満たないものの、超豪雪地帯とあってこの時期でもなお残雪が多い。スキーヤーである私にとって残雪は珍しくもないが、やるかどうか分からない山スキーの偵察に訪れた。

 関越道・塩沢石打インターを降り、舞子スキー場の前を通り過ぎて突き当りまで走る。T字路を右折し清水を目指し、ロックシェードをふたつくぐればやがて巻機山登山口の標識が現れる。標識を左折してしばらく林道を走ると堰堤に滝が流れる桜坂駐車場に着く。入り口には有料との旨書かれているが、ゲートやチェーンはなく、係員もいないので、そのまま駐車する。
 ここからの登山路は、井戸尾根、天狗尾根、ヌクビ沢の3コースがあるが、残雪状態からいって最も安全と思われる井戸尾根コースを選択した。

 井戸尾根コースは大した傾斜ではなく危険な箇所もないが、5合7勺くらいから登山道に残雪が現れ、粘土質の道は次第にぬかるんでくる。6合目を過ぎると一面の残雪となり、随所で足を踏み抜いてしまう。踏み抜くと場所によっては膝まで没し、むろん下には雪融け水が流れている。
 ストックと軽アイゼンを携行しているが、まだこの段階では使うほどではない。ただ泥跳ね対策にスパッツだけは着用した。
 7合目からは潅木帯に視界が開け、ニセ巻機山(標高1,861M)が眉に迫る。

 ニセ巻機山とはヘンな名前だが、実際に登ってみれば理由は想像できる。本物の巻機山はこの登山路からはまったく見えず、この偽山があたかも本物であるかのように堂々と聳(そび)えている。この偽山に登って初めて本物の巻機山を目にすることができるのである。
 このニセ巻と本巻の間にはいいゲレンデが残っていた。生憎今日はスキーを持って来ていないが、ここは滑るにはいいポイントである。ここまで既に3時間弱かかっているが、板を背負っての登山の苦労はそんな比ではない。はたして自分にそれができるだろうか、しばし自問した。

 ニセ巻から雪の斜面を下ると鞍部に避難小屋がある。小屋からは本巻稜線に向けての最後の登りだ。
 この頃から登山道には木道が敷かれ、周囲は湿原状に変わってくる。
 稜線に出ると、そこには巻機山山頂の標識が立っていた。ベンチなどのしつらえも見られ如何にも山頂然とはしているが、地図によると最高点はもう少し先であり、ここはつまり、左に割引岳(われめきだけ)、右に牛ヶ岳と道を分ける分岐点に過ぎない。しかし巻機山山頂一帯は広くなだらかな湿原で、木道以外は植生保護区域であり、真正の山頂も保護下に置かれてしまっているため、この稜線分岐を以って山頂としてくれということだろう。
 真正山頂にはそれを示す標識も何もないが、ロープを越えて踏み痕だけは残っている。どうしても最高点を踏ンづけずにはいられない気持ちもわからないではないが、植生保護の努力をないがしろにしてはいけない。木道からの高低差もさしてたいした事はなく、すぐそこに見えていることでもある。ここは目だけで登って素通りし、次の目的地、牛ヶ岳へと向かう。

 この巻機山は、巻機主峰を中心に3つの衛星峰を持っている。
 南のニセ巻機山、北東の牛ヶ岳、そして北西の割引岳がそれで、それぞれが巻機主峰から30分ほどの距離を置いて三角形に配置されている。今回このすべてに登る予定だ。
 牛ヶ岳(標高1,962M)山頂への登山路はなだらかだが、途中雪の斜面を登る。牛ヶ岳山頂には三角点があり、地図上でもここを最高点と示しているが、この山も牛の背のようななだらかさで、この先の方が少し高く錯覚される。
 ここからの眺めは極めて好い。越えてきた巻機山の全景と割引岳の残雪斜面、朝日岳へ至る丘陵のような縦走路、遠く越後三山と飽くことない。登山開始からここまでちょうど4時間、ノンストップで登って来たが、ここで腰を降ろしての昼食休憩とした。

 この日北関東の山添いでは、上空に寒気が入って雷雨があるという予報が出ているが、どうも湿気を含んだ嫌な風が出始めている。谷川岳方向から来るタンカーのような雲塊が不気味だ。どうやらあまり長居できそうもない。最後のピーク割引岳(標高1,931M)に急がねばならない。
 仮の巻機山頂広場まで戻り、割引岳への登山道に入ると、そこでハタと足が止まった。その先の道が消滅していた。
 地図で確認すると尾根の北側を捲いているようだが、そこは一面の残雪斜面だった。斜度は最大で25度くらいだろうか。スキー板があれば滑るのに申し分ないスロープだ。雪の軟らかさから判断してアイゼンは着けず、ストックも使わず残雪斜面に踏み込む。

 遂に小雨が降り出した。
 踵(かかと)から雪面に叩き込むようにして鞍部までの斜面を下り、雪のない急斜面を駆け上がる。仮山頂広場から割引岳山頂まで15分で到達した。
 遠雷が聞こえはじめた。登頂の感慨に浸る暇もない。これで予定していたすべての目的は達したので、早々と撤収にかかる。
 割引岳山頂には天狗尾根コースとヌクビ沢コースが来ているが、いずれも登り専用で下山は禁止となっている。緊急時にまで杓子定規に考えることもないが、下りに使うにはリスクの高いコースらしい。沢コースの残雪状況は遠望しているし、ここはもとの山頂広場まで戻るしかない。アイゼンは出さないまでも、ここでストックを出し、四肢フル回転で雪の斜面を駆け上がった。

 山頂広場まで戻ると雨は雹(ひょう)に変わった。思ったより早く、死の結界が形成されようとしている。
 猛烈な上昇気流によって急冷された水滴が、氷の塊になって落ちてくる現象が雹もしくは霰(あられ)である。これらの氷の粒は、雲の中に摩擦による静電気を徐々に帯電させる。通常なら雲と地表との間の空気は電気を通さないが、それにも限界があり、やがて空気の絶縁を突き破るほどの巨大な電位差となった瞬間、地上と光速で導通する。雷である。
 雷は夏山の風物詩と肚(はら)をくくるしかない。まだ大地の帯電は感じられないが、結界完成までの猶予はあと30分ほどしかない。
 定義では直径5ミリ以上が雹、5ミリ未満が霰だが、これはちょうど5ミリほどある。まだその打撃にも耐えられるが、これ以上大きくならない保障はなく、身の隠し所もない湿原からは早急に離脱しなければならない。とりあえず本巻と偽巻の鞍部の避難小屋が頭に浮かぶ。そこまで逃げおおせれば何とかなるだろう。
 ところが幸いにも、小屋まで駆け下ると小雨に変わった。ここまでは悪天候も及ばないのか、下山方向には生還への道を照らすように雲間からスポットライトの様な陽光が差し込んでいた。

 落雷が近いときは大地が帯電し、シューシューとガスが漏れるような音がするとか、プラズマだかコロナだかが地面を這い回る光電現象が見られるとかいう。電位差が高まって空気の絶縁が破れれば、電路となった空気中の水分はその膨大な熱量に瞬時に爆裂蒸発し、音速を超える衝撃波となって大音響を発する。そのような死の結界が完成してしまったが最後、人智に於いて逃れる術はない。
 ここはすべての残存体力を振り絞って、下山を強行することに意を決した。

 ニセ巻を駆け上がった。ここさえ登れば後は下るのみである。息は切れ、足の筋肉は悲鳴を上げるが、そんなものは無視して足を出し続ける。人間その気になれば余力は出るものである。
 少し行くと雨を抜ける。そこで一息ついて水を飲む。するとまた雹が追いすがる。また走る。雷鳴も徐々に近付いてくる。しばらくそんなチェイスが続いた。
 5合目まで下ると山頂付近で雷撃の狂宴が始まったが、この頃には雨も振り切っていた。虎口は脱した。

 いつの頃からそこにいたのか、軽トラのおじさんが私を待っていた。駐車場料金の徴収である。
 今時スキー場でも駐車場は無料だが、この界隈の登山用駐車場は有料のところも珍しくない。お金を受け取るとオジサンは逃げるように軽トラで去って行き、すぐに叩き付けるような雷雨が周囲を襲った。

●登山データ
2009年5月27日(水曜日)
桜坂駐車場(標高730M)→巻機山(標高1,967M)、標高差1,237M

桜坂駐車場(6時50分出発)→井戸尾根→ニセ巻機山(9時45分)→巻機山稜線分岐(10時20分)→巻機山山頂(10時30分到着)、登り所要時間:3時間40分
山頂滞在時間:0分
巻機山山頂(10時30分出発)→牛ヶ岳山頂(10時50分)、山頂滞在時間(昼食休憩):25分
牛ヶ岳山頂(11時15分出発)→巻機山稜線分岐(11時35分)→割引岳山頂(11時50分)、山頂滞在時間:5分
割引岳山頂(11時55分下山開始)→井戸尾根→桜坂駐車場(14時20分到着)、割引岳からの下り所要時間:2時間25分
全行程:7時間30分

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