Practice Makes Perfect/裏妙義(丁須の頭〜谷急山縦走)
裏妙義のシンボル、丁須の頭 赤岩(右)と烏帽子岩(左)。その奥が谷急山(標高1,162M)

国民宿舎裏妙義の駐車場に置かせてもらう
国民宿舎のすぐ左側の登山道で届を出す
登山開始
石室
徐々に鎖場が出てくる
ルンゼの鎖を登れば丁須の頭までもうすぐだ

スフィンクスのような丁須の頭。まずは背中まで登る
背中から眺める。左に試練の鎖が垂れ下がっている
取り付き部は最も危険だ。重心が空中に投げ出される
てっぺんの鎖取り付け部
丁須の頭てっぺんの様子
後ろ側を振り返る。高度感がある
丁須の頭を降りると、すぐにチムニーの鎖の降下だ
赤岩下のトラバース
鎖のない赤岩は、見上げるだけで登攀は自重する
一年前に縦走した表妙義の稜線。難度は高い
烏帽子岩南端。鎖はない。登攀は自重する

裏妙義(丁須の頭〜谷急山縦走)

2008年11月5日(水曜日)

 裏柳生とか裏新宿とか、いずれも漫画に出てくるネガティブなモチーフだが、そうした影響からか、裏妙義という呼称も、そういう偏見を彷彿させずにはいられなかった。
 かつて連合赤軍が、この山道を越えて浅間山荘事件を引き起こしたという事実も、そうしたネガティブさの一因になっているだろう。
 一般的に妙義山というと富岡市街から見るギザギザの山として定着しているが、その山の裏側にあたる山域、つまり釜飯弁当で有名な横川駅あたりから入った山域を裏妙義と呼び、便宜上からか富岡側の妙義山は表妙義として区別されている。
 表妙義は前述したように富岡市街からその全容がよく見え、大駐車場を備えた観光周遊道路が横断しているなど、かつては栄華を極めた時期があったことを窺わせるが、それとは対照的に裏妙義は狭隘な山間部を縫うような行き止まりの道路しかなく、路上駐車してダム湖で釣りを楽しむ人以外は、あまり訪れる人もないような静寂な雰囲気に包まれている。

 上信道・松井田妙義インターを降り、国道18号の信号を左折してすぐに信号のない斜(はす)の交差点を左折する。道路案内板はないが、裏妙義とか妙義湖とかの色あせた小さな看板が控えめに出ているのが、これから訪れるところの雰囲気を物語っている。
 左手に妙義湖を見ながら、普通車同士が何とかすれ違える道を奥へと進み、行き止まりのゲートが現れると、そこに国民宿舎裏妙義が佇んでいる。
 途中の路肩にも駐車スペースがあるが、この国民宿舎に断れば駐車場を利用できるということなので、さっそくその旨をフロントに申し出た。
 物腰の柔らかい支配人さんらしき人が玄関先まで出てきて、あそこに置いてくださいと丁寧に応対してくれた。お礼を云うと、お気を付けていらしてくださいと云ってくれた。
 国民宿舎の左脇に登山道があり、そこに登山届のポストが置かれている。届を提出し、8時ちょうどに登山を開始した。

 やはり11月ともなると肌寒い。吐く息が白い。
 この日のルートは、まず裏妙義のシンボルである丁須の頭(ちょうすのかしら)に登攀し、赤岩、烏帽子岩を経て妙義山域最高峰の谷急山(やきゅうさん/標高1,162メートル)まで縦走する計画である。
 登山道はしばらくは緩やかだったが、徐々に岩場や鎖場が出てくると、ようやく登山らしくなってくる。時には2〜3メートルの岩が登山道を遮蔽するように立ちはだかっており、道は岩から逃げるように横を捲いているが、ここはこれからの登攀に備えてイメージトレーニングするのにお誂(あつら)え向きだろう。早速取り付いてみると、岩肌はデコボコしたコブがたくさん付いている。しかも強固に付いているので、手がかり足がかりには困らない。これら小さな岩は、登山道を捲かずに、敢えて直登して越えてゆく。

 前方の藪が不自然に動いていた。風もないのに、藪の一郭だけがガサガサと動いていた。
 立ち止まってしばらく観察するが、藪は抑揚も無く、一定の調子でガサガサしている。
 まず思い浮かんだのが、猿が藪を手でつかんで揺さぶっている姿だった。熊という可能性もゼロではない。或いは遭難者が困っていて、危急を知らせているのだろうか。それとも女性登山者が用便を足しているのだろうか。
 こちらは熊避けベルを付けているので、向こうはこちらの存在を察知しているのだろうが、ガサガサしているだけで声はない。しかし明らかに動きが不自然である。
 不気味だった。そもそもこれは、呼んでいる合図なのか、それとも警告の合図なのか。
 彼我の距離はおよそ10メートル。藪は深いので、掻き分けて入って行くには勇気がいる。声だけでも掛けた方がいいだろうか。しかし声を掛けたらこちらに突進して来はしないだろうか。
 しばらくそこで対処を迷ったが、結局無視して登山を続行した。私がそこを立ち去っても、そいつはそこで、いつまでもガサガサしていた。

 しばらく歩くと途中で違和感を感じた。どうもおかしい。
 道なりに歩いて来たつもりで踏み跡もあるが、道を外れたような気がする。あたりを見渡すと右折する方向にペンキマークが着いていた。間違えたといっても数歩踏み込んだだけだった。すぐに気付いてよかった。
 これはどうも風穴尾根へ通ずるルートのようだが、真っ直ぐ歩いていると踏み痕のためにこちらに誘導されやすい。ここには標識がないこともあり、無用の混乱を生むのではないかと危惧された。ちなみに風穴尾根ルートは地図上ではグレーの破線で表示されており、つまり不明瞭で危険なルートを示している。第一予定と違う場所へ出てしまうので、違和感を感じたら確認できるところまで引き返したほうがいいだろう。

 途中、大きな岩小屋があり、続いて小さな石室(いしむろ)というか、炭焼き窯みたいな石積みがあった。撮るものもないので、この石室にカメラを向けてシャッターを切ったところ、3度続けて手ぶれした。4度目にはカメラがフリーズした。何か霊的干渉でも受けたのかと思い、石室の内部を覗いて見たが、特に霊的波動を感じるでもなく、特に遺骨とかが転がっているでもなかった。
 この付近にはかつて連合赤軍がアジトにしていた岩小屋があり、『総括』というリンチ殺人も行われていたというから不気味である。電池を抜いてカメラをリセットし、5度目の撮影でようやく成功した。
 ルンゼ(幅広の岩溝)の長い鎖を登りきると、やっと稜線に出る。ここから反対側を少し下り、岩場の下を左に大きく回りこむと、やがて頭上にラクダのような岩がその全容を現した。丁須の頭である。見ようによってはスフィンクスにも見える。
 到着時刻は9時30分。出発からここまで1時間30分の道程だった。

 表妙義には、石門だの大砲岩だの奇岩が豊富にあるが、この丁須の頭の異常さには敵わない。ハンマーヘッドシャークのようなT字岩のみがクローズアップされがちだが、それがスフィンクスの頭にも見えるのは、その下にはちゃんと胴体があり、それが鎮座しているように見えるからである。
 スフィンクスの足許には先着のおじさんが一人いた。彼は背中から首の付け根まで登ったが、そこでしばらく佇んだ後、スフィンクスとの対話を打ち切ったかのように引き返し、やがて下山して行った。

 本日の目的として、まずこのスフィンクスの頭のてっぺんまで登攀する。昨年、表妙義の稜線を縦走した経験から、鎖の付いている岩を登るのに何の問題もないはずである。リュックを降ろし、空身になって、まず背中から首の付け根の岩棚まで登り状況を観察する。
 頭のてっぺんから左側に、やってきた登山者を試すかのような鎖がぶら下がっていて、頭から首にかけてのクビレはオーバーハングになっている。足許の岩は下の登山道まで15メートルほどだが、更にその下に100メートルほど断崖が続いており、スフィンクスの試練に敗れれば、おそらく落下の加速により登山道では止まらず谷底まで転落するだろう。古代、スフィンクスはやってきた旅人にクイズを出し、正解できなければ喰らったという。生き残るためにはクイズに正解するか、答えずに引き返すかのいずれかだった。登りさえしなければ、怪我をすることもない。

 鎖に取り付いた。
 オーバーハングのために体は空中に投げ出される。最初の試練である。ここは両腕の力だけで登らねばならず、これは降りる時に思い知らされることだが、一旦体が空中に飛び出してしまった以上、そこに誰か助けてくれる人がいるか、自力で元の岩棚に戻る技量があるか、或いは戻るための何らかの対策を講じておかない限り、それは近い未来に訪れる死を意味する。この見切りができなければ決してこの鎖に取り付いてはならない。
 腕力のみで少し登れば岩に足が掛かる。
 前述したとおり、妙義山の岩の表面はデコボコのコブなので、岩に体が触れるようになれば、鎖にすがるよりもコブをつかんだほうが登りやすい。つまり、鎖は片手で握り、もう一方の手は岩のコブをつかんだほうが体が安定するのである。

 頂上は広くはない。
 登ってしまえば必要な写真を撮る以外用もない。
 いや、何となく落ち着かないというのが本当のところである。もしかすると、私は高所恐怖症なのかもしれない。適当なところで降りることにする。
 降りるときも、片手で鎖を握り、もう一方の手でコブをつかみながら降りれば、体が断崖絶壁に曝(さら)されているというプレッシャー以外、途中まで問題ない。問題は、最後の岩棚に着地する部分がオーバーハングしていることであり、このことはかなり重大な事である。
 オーバーハングしているため、体全体は空中に出たままになっている。絶対的に体を支えるものはこの鎖しかなく、この時ばかりは両手で鎖を握っているしかない。両手で鎖を握った状態というのは、支点が一点になってしまうので、体がぐるぐる回って不安定になる。
 右足を伸ばして岩棚につま先を着けたとしても、体の重心は依然宙に出たままなので、そのままでは鎖を離して帰還することはできない。
 次の手段として、右手を伸ばして岩のコブをつかむ。何とかして重心を岩に引き寄せようと試みるが、何しろ体が後ろに反り返った状態なので、右手の握力のみで体全体を引き寄せる絶対の自信がないかぎり、左手の鎖は離せない。この間に焦りが生ずる。鎖をつかんでいる左手が徐々に疲れてくる。

『朝は4本足…、昼は2本足…、夜は3本足…、それは何か?』
 遂に、スフィンクスの設問が発せられた。
 もはや逃げられない以上、この問いに答えられなければ死あるのみである。
「それは…、人間だーっ!!」
 右手に渾身の力を込め、体を引き寄せながら左手を鎖から離した。
 重心は岩棚に移っていた。

 この鎖はよく見ると、下端が岩棚にアンカーで固定されているので、無理にオーバーハングから帰還せずに、一旦岩棚を通り過ぎるまで降下し、改めて岩棚を這い上がった方が賢明である。まあ過ぎたことはしょうがない。終わったとなれば長居は無用である。滞在時間15分でさっさと退散する。谷急山目指しての縦走に移った。

 丁須の頭を降りるとすぐにチムニー(狭い岩溝)の鎖場に出る。足場となるコブはたくさんあるので問題ない。
 縦走路の途中に赤岩と烏帽子岩というふたつの目立つ岩があるが、このふたつは地図上には登攀ルートが記されていない。となると当然鎖もないだろうから、これは岩登りの専門家でない限り自重したほうがいいだろう。今日の予定にも入れていない。
 縦走路はこれらの岩の基部をトラバースするように付けられていて、それなりに危険な感じも受けるが、ただこれを歩くだけではなんとなく物足りない。結局、その後何の面白味もないまま岩場を通過して三方境まで出てしまった。
 ここには国民宿舎への下山路分岐がある。谷急山はここからの往復となるので、登って、またここまで引き返すことになる。

 谷急山は妙義山全域中の最高峰と言われているが、表妙義の白雲山や金洞山などの荒々しい山容に比べると地味なためか登る人も少ないようだ。登山道はあたり一帯落葉に埋もれていて、それまでと比べ不明瞭になる。
 地図を見ると、三方境から谷急山までの間には、P1からP7までのピークが記されていて、縦走路はこれらをことごとく乗越えていくことになっている。今までの経験から言って、これはいささか憂鬱である。
 縦走路は尾根伝いだが、展望は樹林のためにほとんど利かず、岩場もなく、およそ妙義山らしからぬ様相が続く。ピークが複数あるということは、その間にはコルやキレットもあるということで、それらをいちいち登ったり降りたりするのは、丁須の頭経由の体には少なからぬ苦痛だった。
 しばらく行くと樹林の間から、左に尖った岩峰、右に長方形の岩塔が見える。地図を見てもそれらの名称も所在もわからず、どれが谷急山なのかも分からない。各ピークにも何の表示もなく、どこを歩いているのかもよくわからない。ただ谷急山への道標だけは所々に掛けられているのが、せめてもの救いだった。

 やがて、それらしい山影が見えて来た。
 それは三角錐の山だった。およそ妙義山にふさわしくない穏やかな山容はピラミッドを彷彿させた。あのスフィンクスは、この山を護るために座っていた気さえしてきた。
 後半になると俄かに急登となり、所々に施してあるフィックスロープをつかみ、木の根にすがりながら、12時30分、谷急山山頂に到着した。駐車場を出発してからの所要時間は4時間30分だった。
 山頂は二坪ほどの広さだろうか。三角点の標石があり、木の枝に小さく谷急山の札が縛り付けてあった。丁須の頭以降誰にも会わなかったが、この山頂に先客が4人もいたのは意外なことだった。全員私と入れ違いに下山して行った。
 ここからは全方位の展望が利く。今まで縦走してきた裏妙義をはじめ、昨年縦走した表妙義の荒々しい稜線が眉に迫る。眼下には上信道が山々を貫き、軽井沢インター周辺から浅間山、果ては遠く北アルプスの銀嶺まで見通せる。

 山頂で40分の昼食休憩をし、13時10分に下山に移る。
 急勾配の下山路の場合、両脇の木をつかみながら降りると効果的だが、この山の木は何故かことごとく枯れていて、力を入れて細い木をつかむとボキリと折れた。結構太い木でも枯れている。このような山は今まで見たことがなかったが、上信道を激しい排ガスを吐きながら登って行くトラックの影響でもあるのだろうか。
 40分前に下山した先行グループを途中で追い抜き、駆け降りるようにして三方境の分岐まで戻った。ここからは丁須の頭方面ではなく、巡視道を下山する。
 15時05分に国民宿舎到着。谷急山からの下山所要時間は1時間55分、全行程は7時間05分だった。

 結局のところ、裏妙義は赤岩と烏帽子岩の登攀を省いた場合、丁須の頭以外に難しい箇所はなかった。じわじわと背中に死の影が迫る表妙義の緊張感や疲労感に比べると到って物足りない。しかし必要以上に危険を購(か)えば、その代価もまた、必要以上に払わされるに違いない。本日は予定通りの縦走完遂ということで由とした。
 駐車場を無料で使わせてもらったこともあるので、国民宿舎のお風呂に入っていくことにした。
 フロントに行くと今朝の支配人さんらしき人が応対してくれた。入浴の代価400円を支払う。
 ここは温泉ではないが、塩素臭のないさっぱりしたお湯に貸切でのんびり入れたので疲れを癒せた。塩素臭い混雑した温泉センターに高い料金を払って入るよりも、この方がよほど賢明だろう。
三方境。ここから国民宿舎に下山できる
谷急山への縦走路途中で見える岩塔
谷急山(標高1,162メートル)
谷急山山頂
山頂から臨む軽井沢インター周辺のパノラマ
谷急山P2より振り返る裏妙義縦走路の全容

●登山データ
2008年11月5日(水曜日)
国民宿舎裏妙義(標高430M)→谷急山(標高1,162M)、標高差732M

国民宿舎裏妙義(8時00分出発)→丁須の頭(9時30分到着/丁須の頭登攀と休憩:15分/9時45分出発)→三方境(11時05分)→谷急山山頂(12時30分到着)、登り所要時間:4時間30分
山頂滞在時間(昼食休憩):40分
谷急山山頂(13時10分下山開始)→三方境(14時00分)→巡視道にて下山→国民宿舎(15時05分到着)、下山所要時間:1時間55分
全行程:7時間05分

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