Practice Makes Perfect/金峰山・瑞牆山(増富温泉ルート日帰り)
金峰山(標高2,595M)のシンボル、五丈石 瑞牆山(標高2,230M)のシンボル、大ヤスリ岩

瑞牆山荘前駐車場
瑞牆山・金峰山共通登山口
瑞牆山と金峰山の分岐点、富士見平小屋
大日岩
大日岩を過ぎてからの登山道の様子
森林限界を突破した所が砂払いノ頭

山梨側に深く切れ落ちる断崖、千代ノ吹上
山頂と五丈石が見えてきた
稜線登山道の様子
五丈石の左奥が山頂
山頂より威厳のある五丈石
夏休みの賑わいを見せる金峰山山頂

山頂とは対照的に静かな五丈石。登攀に挑戦
このあたりから取り付ける
岩棚を懸垂し、最後は縦溝ホールドの懸垂
五丈石頂上。穿った穴に50円があがっていた
山頂を睥睨(へいげい)する
富士山も見える
富士見平小屋まで下山して瑞牆山へ向かう
稜線にいるホシガラス。啼き声はキュートだ
砂払いノ頭から臨む瑞牆山。手前は大日岩
天鳥川を渡ると突如現れる巨岩、桃太郎岩
今にも転がり出しそうな巨石

金峰山・瑞牆山(増富温泉ルート日帰り)

2008年8月21日(木曜日)

 今回は北アルプスの常念岳と蝶ヶ岳の日帰り縦走をやる予定だったが、関東・北陸地方を中心に大荒れの天気になるとの予報だったので、急遽計画を変更した。
 山梨県が奇跡的に晴れそうだった。行ける範囲で晴れるところがあるならば問題ない。平素いくつかの地図を睨んでシミュレーションを立てているので、こうした事態にも対処が効いた。
 引いたカードは山梨と長野の県境にある金峰山(山梨ではきんぷ、長野ではきんぽう)と、その隣に位置する瑞牆山(みずがきやま)の日帰り縦走である。

 金峰山のみなら東側の大弛峠(おおだるみとうげ)から稜線をたどった方が登山時間も短く、登山口へのアプローチも秩父の自宅から近い。しかし瑞牆山との日帰りセットとするため、山をぐるりと半周した反対側の増富温泉にクルマを走らせた。
 午前3時に自宅を出て、一時間後には大弛峠の入り口をパスし、一宮御坂インターから中央道に乗った。
 須玉インターで降りて増富温泉を目指し、快適な舗装林道を登山口まで登りあげる。瑞牆山荘に到着したのが午前6時少し前だった。
 この山荘のすぐ前が瑞牆山と金峰山の共通の登山口になっている。この付近に数台分の駐車スペースがあるが、登山口前の林道を100メートルほど奥に入ったところに舗装された大駐車場が整備されている。

 6時10分に登山開始。登山届を出すところはわからなかった。
 30分ほど森の中を登ると瑞牆と金峰の分岐点である富士見平小屋に着く。小屋の前にテントが三つほど張られていた。
 私は登山にあたっては、ごく当然のことながら予習・実習・復習を実践している。予習とは、地図による地形イメージの把握とコースタイムの割り出しの他、ネットによる先達の体験記のチェックである。それによると、昭和58年にこの富士見平小屋の小屋番が、宿泊した22歳の単独女性登山者に対し、暴行殺人死体遺棄事件を起こしたとある。ずいぶんと非道い話もあったものである。そうした先入観を持っていると、小屋の周りに咲いている黄色い花の群落もどこか陰鬱に見えてくる。

 前回登った赤岩尾根に比べると、金峰山の登山道というのは拍子抜けするほど緩やかなハイキングコースで、秩父のマイナー登山の急登では様々な苦悩に苛まれるが、このような緩いコースではただ機械的に足が運んで行くのみで、ほとんど思考というものが起こらないというのは新たな発見だった。
 しばらく原生林の中を歩くと大日小屋のキャンプサイトが現れ、更に奥に進むと最初の巨石・大日岩に出る。やがて森林限界を突破して砂払いノ頭という岩場に出ると、目の前に岩場の稜線が続き、振り返れば大日岩を前にした瑞牆山、その稜線続きに小川山のなだらかな山容が窺える。
 岩稜を少し登りあげると、南に大きく切れ込んだ断崖に出る。千代ノ吹上である。
 稜線の山梨側は雲を吹き上げる断崖絶壁、長野側はハイマツに覆われた穏やかな斜面という対照性で、その先に金峰山の異様な山頂を確認できる。山頂に鬼の角のような突起物が見える。五丈石である。
 ここからはハイマツの間に露出した石と岩を踏み越えながらの登山となる。視界をさえぎるものもなく五丈石と頂上が見えているので、精神的には楽である。

 五丈とは五百尺、つまり高さ15メートルもの石で、まるで『2001年宇宙の旅』に出てくるモノリスのような威厳がある。ここがかつては修験道の山だったというのも分かるような気がする。
 しかしここまで登ったという誇示だろうか、最上部の壁には愚にもつかない多くの落書きで岩が傷つけられていた。
 五丈石を通り過ぎると広場があり、それを挟んだ向かいの石っころが積み重なっているのが山頂なのだが、五丈石の迫力を前にしては貧弱さは否めない。
 学校の夏休み期間中でもあり、山頂の石っころには大勢の子供が休んでいた。登り易いところはすべて子供と荷物で占拠され、足の踏み場もないほどだった。仕方がないので、やや段差の大きいルートでちょこちょこっと山頂へ登り、すぐに広場まで降りた。降りると目の前に五丈石が山頂以上の存在感で周囲を圧倒していた。
 山頂の賑わいとは対照的に誰一人登っていない。誰一人寄せ付けないと言った方が正しいだろう。ルートをスキャンしてみるが、登攀(とうはん)にはかなりの自信と勇気が必要であり、何よりも経験に裏打ちされた身体能力が必要なことは一目瞭然だった。
 登攀することにした。

 まずは正面左寄りから取り付く。中ほどまで登り上げると頭の高さほどの岩棚に達する。岩棚の左端が最も登り易そうだが、足掛かりはないので懸垂で上がるしかない。棚の上は幅が30センチほどで、リュックを背負ったままでは邪魔になるのでそこに置き捨てた。
 岩棚の上は見えないので手探りでホールドを探す。前回の赤岩尾根は岩が脆く剥がれ易かったので、とても懸垂のみでは登れそうもなかったが、この五丈石はだいぶしっかりしているので、その点ではまず安心だろう。グリップが決まったら一気に懸垂で体を持ち上げる。
 幅30センチの岩棚を右端まで5メートルほど歩く。既に高さは10メートルあり、足を滑らせて落ちればおそらく死ぬだろう。
 岩棚の右端が最後の登攀路である。この最後の岩は自分の身長よりも高く、岩の上はまったく見えない。岩の上を手探りでホールドを探すが、確保できたのは左手のみで、右手は芳しくなかった。
 あとは石どうしが石垣の様に密着している縦溝に右手を入れて確保するしかない。
 縦溝を上から探ってくると顔の高さほどでグリップが効いた。

 両手のホールドは決まった。やはり足掛かりはないので、変則懸垂で上がるしかない。後ろは振り向かないが、山頂のギャラリーは固唾を飲んで見守っているに違いない。もし失敗すれば衆目の元に脳ミソをぶち撒くことになるだろう。
 気持ちは至って平静である。掌はまったく発汗していない。右手は縦溝という変則スタイルだが、ホールドは両手とも決まった。一気に体を持ち上げる。
「やめろーっ!!」
 ギャラリーの一人が絶叫した瞬間には頂上に立っていた。
 古代、神と対話をしたシャーマンの気分とはこんなものだろうか。私はぐるりと体をまわして、山頂の群衆を睥睨(へいげい)した。

 ふと不安になった。はたしてここから降りられるだろうか。
 この不安はすぐに払拭された。上から岩を観察すると、先達が掘ったふたつのホールド穴がすぐに見つかったからである。穴の深さは1センチほどだが、ここに両手の指先を掛ければ充分な確保が得られるだろう。無論両手の指先だけで自らの全体重を支えられることが絶対条件である。この穴は下の岩棚にも施されていた。

 下で子供の声がした。やめろという声も聞こえる。どうやら触発された子がいるらしい。私は降りることにした。
 降りると子供が三人いた。私は、登るのは構わないが降りられなくなるぞと脅かした。いくらホールド穴があるとはいえ、指先だけで懸垂できなければ登攀は無理であり、それができたとしても、降りるときには15メートルの断崖に命綱も着けずに身を躍らせねばならないのである。これは登るより度胸がいることであり、それができなければ登ったきり降りられなくなってしまう。その子もそれで諦めた。
 まだ9時半だが、広場まで降りてそこで軽めの食事をした。これから下山して瑞牆山をやらねばならない。雲がはらわれ、富士山が姿を現した。しばらくはそれを眺めていた。

 新たな挑戦者が現れた。今度は子供ではなくふたりの青年だった。最初から空身で掛かるつもりのようだ。私は黙って見ていた。
 ふたりはルートファインディングに腐心しているらしく、五丈石を一周した後、私のたどったルートに取り付いた。その初動作で無理だとわかった。だが声は掛けなかった。途中で諦めることは見えていた。
 すでに登攀路の秘密を知った以上、もう一度登ることは簡単だったが、衆目の前でいい格好を見せようとは思わなかった。そういう奢りが僅かでもあれば、おそらく死ぬだろうという予感があった。ふたりが諦めたのを見届けて下山した。

 石が積み重なった稜線の上をピョンピョン飛びながら下山する。これはコブ斜面を滑るのに似ている。石の尖った頭をピンポイントで踏み、石一個をワンタッチで処理する。尖った先端を足裏の芯で捉えれば滑らないので結構スピードが出せる。全体重を掛けていい石と、踏んだ瞬間に体重のほとんどを吸収しなければならない石があるのも面白い。尖った個所のないのっぺりと傾斜した石はそれと垂直方向からベタ踏みし、実際にはグリップが得られていないのにも拘らず、見掛け上グリップしているかの如くそれを支点に体を運び、次の石でリカバリーする。傾斜が長い場合は故意に体もろとも足を滑らせる。これらの動作は脚力とバランス能力が要求される芸だが、インラインスケートまでこなすスキーヤーだったら許容の範疇と言っていい。

 下山時の稜線には見慣れない鳥が何羽かいた。ホシガラスである。カラスとはいっても、鳴き声は下界のカラスとはだいぶ違って可愛らしい。乗鞍で見た雷鳥、八ヶ岳で見たイワヒバリなど、高山でしかお目にかかれない動植物に接するのも楽しみのひとつである。
 夏休みとあってか途中何度か子供グループの渋滞に遭ったものの、山頂から1時間50分で富士見平小屋まで降りた。渋滞個所以外はほとんど駆けるように降りたのだが、これが後災いする。

 富士見平小屋からは第2ラウンド、瑞牆山への登りである。私に限って心霊現象を見ることはないだろうが、ここで休むことなく登山路に取り付いた。登山路といっても少し登ったところでいきなり下りになる。天鳥川というのが流れていて、一旦そこまで降りなければならない。
 河原では中高年登山者の団体が休憩していた。河原からは瑞墻山の基部である。ここから登りとなるが、いきなり眼前を塞ぐ大岩に圧倒される。
 直径10メートルほどの巨大怪獣の卵が雷に打たれて真っ二つに割れたような形の桃太郎岩である。岩が丸いため、転がって来はしないかと大量の突っかい棒がかってあるのが面白い。
 この先登山路は巨石巨岩の急登となるのだが、多くの巨石巨岩の根元は長年の雨に洗われたかのように土がなく、今にも転がり出しそうな様相で恐怖を誘う。そうした不安は誰もが持つのだろか、そうした岩のほとんどに突っかい棒がかってある様は、ダリのシュールな絵画を見るようでもあり、一種の芸術性を醸し出している。

 この登りは意外にも急で結構応える。金峰山は大した急登もなく楽勝だったが、ここに来て俄かに足が前に出なくなった。
 こうなると無用の苦悩が発生する。やはり金峰だけでやめておけばよかったとか、この岩が転がってきたら回避できるのかとか、これをまともに受け止めたら体は押し潰されて液化するだろうとか、そこの岩の間隙に飛び込んで上から蓋をされたらどうしようとか、そんな苦悩が絶え間なく襲ってくる。
 その背景には、二日前(2008年8月19日)に起こった白馬大雪渓での大崩落死亡事故があった。実際にそういうことはありえるのである。目の前にあるこの岩が、たった今転がり出すことはあり得ないという保障はどこにもない。
 寝不足も効いていたのかも知れない。とにかく疲れていた。非常に辛かった。だがこの程度のプランをクリアできないようでは、当面の目標である穂高・槍の一泊二日縦走など口にするのもおこがましい。意地でも登らねばならないと思いながらも、一向にペースが上がらないことに苛立った。
 既に12時を過ぎていた。9時半に金峰山頂で軽く食べたが、どうやらそのエネルギーも尽きたようだ。食べるのは山頂でと思っていたが、このペースを考えると効率的とは言い難い。時間柄多くの下山者とすれ違ったが、そのうちの一人に訊くと、お昼時なので山頂は人でいっぱいだと云う。
 リュックを放り投げ、そこに座り込んで昼食にした。目の前に瑞牆山のシンボル、大ヤスリ岩の怒張した岩塔が黒光りしていた。

 少しの休憩と食料補給により、僅かに体力が回復した。頂上まではもうひと踏ん張りである。
 巨岩の鞍部を回りこんで稜線の反対側に出ると山頂直下の岩場である。ここにはロープが架かっているのだが、なんとロープ待ちの大渋滞が起こっていた。ロープにぶら下がったきり、どうにもならない人がいて、下で50人くらい順番を待っている。これは山頂を目前にしながら、あと2時間くらい掛かりそうだった。ロープなしで登ろうか、どうしたものか、近くにいた男性に、
「こりゃあ、大変ですね」
 と声を掛けると、彼は申し訳なさそうに、彼らが全員同じパーティーであることや、登るのではなく、降りるところだということを教えてくれた。つまり、ほとんどの人は降りきっていて、あと僅かな人が残っているだけだという。
 良かった…
 彼らが去った後、ロープをつかんで山頂に登ると、そこにいたのは若い男性ひとりきりだった。
「いや〜っ、さっきまで大勢いましたよ」
 彼は食事を採りながら笑いかけてきた。
 私は山頂をひとまわり写真を撮ってから、彼のそばに行って残りの食料を食べた。目の前に見えていた金峰山に雲が懸かりはじめていた。既に富士山は見えなくなっている。
 彼は明日金峰をやると云って、やがて下山して行った。
 私一人になった。

 頂上直下にある大ヤスリ岩には一般登山者は登れない。高さおよそ30メートル、一辺が5メートルほどの四角いビルディングのような垂直岩塔である。見ていても登る気にもなれないし、それを悔しいとも思わない。明らかに自分の能力の限界を超えた存在だった。
 今日は関東・北陸と大荒れの天気とのことだったが、この場所がここまで好天に恵まれたのも何かの幸運だったのだろう。そろそろ崩れるかもしれないと思い、25分の休憩で下山に移った。
 休憩で体力は戻っていた。例によって岩の尖った先端をピンポイントで狙い、岩から岩へ飛び移ってゆく。ちなみに今日はストックを持ってきていない。膝の故障を克服した以上、ストックに頼らないほうがいいのではないかという検証である。ストックを持たないメリットは掌を使えるということにある。樹をつかみ、根をつかみ、岩をつかんで登り、駆け下りる。高速下山にはこれはだいぶ有効と思われた。
 肉刺(マメ)はひとつもできなかった。足の皮膚もだいぶ山に適応できるようになったのかもしれない。
 途中で例の大パーティーを抜き去り、山頂で話をした男性を追い越し、大駐車場前のゲートをかわして、山頂から1時間10分で降りきった。
 15時ちょうどの帰着で、全行程は地図上参考タイム10時間45分に対して、8時間50分だった。

 今回の問題点は、金峰を往復してから瑞牆に取り掛かった時に発生した疲労の深刻さである。似たような症状は武甲山縦走の時、四つ目の山である武川岳での登りでも表れた。リミッター解除状態『ゾーン』に入れば疲労は無効とされていたのが、このふたつのケースでは途中でその効力が切れ、登山続行に支障をきたすのではないかというくらいに追い込まれた。
 しかし武甲山の場合は、多分に精神的な要因かと思われたが、今回の瑞牆は明らかに筋疲労の症状を表していた。原因は金峰からの下山の仕方とその速度によるものと云わざるを得ない。石を飛びながら駆け下りるようにして降りてきたことが、筋肉への衝撃となり、やがて疲労となって表れたと考えるのが妥当だろう。いくら脳みそをだましたところで、筋力が物理的限界に達すれば、やはり続行は無理なのである。根本的に解決するには筋力そのものを鍛えるしかない。
 今の筋力で行くならば、区間タイムにこだわらず、行程全体を通したペース配分を考えねばならないという点が反省となった。

 昨年燕岳で出遭った猿田彦青年の言葉を思い出す。リミッター解除の話題が出たときである。
「そこから更にもう一段階体力を上げる方法があります。しかし効果があるのは一回きりです」
 私はその言葉を反芻した。その一回を使うのは穂高・槍一泊二日縦走の一日目、大キレットになるだろうと、何となく予感した。
瑞牆山巨岩群の親玉、大ヤスリ岩
瑞牆山山頂
山頂東側の岩稜
弘法岩

●登山データ
2008年8月21日(木曜日)
瑞牆山荘前駐車場(標高1,520M)→金峰山(標高2,595M)、標高差1,075M

瑞牆山荘前駐車場(6時10分出発)→富士見平小屋(6時40分)→金峰山山頂(9時15分到着)、登り所要時間:3時間05分
山頂休憩:40分
金峰山山頂(9時55分下山開始)→富士見平小屋(11時45分)、所要時間:1時間50分
富士見平小屋(11時45分出発)→途中昼食休憩(10分)→瑞牆山山頂(13時25分到着)、登り所要時間:1時間40分
山頂休憩:25分
瑞牆山山頂(13時50分下山開始)→瑞牆山荘前駐車場(15時00分到着)、瑞牆山からの下り所要時間:1時間10分
全行程:8時間50分

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