Practice Makes Perfect/武甲山〜二子山縦走
小持山から見た武甲山(標高1,304M) 焼山から見た武甲山。かつて1,336Mあった頂上部分が消失している

生川登山口の駐車場
武甲山御嶽神社一の鳥居を護る狼
登山届
武甲山御嶽神社表参道の標柱
不動の滝
大杉の広場
武甲山御嶽神社
武甲山・第一展望台(仮の山頂)

第一展望台から掘削現場と秩父市街を俯瞰

第二展望台から武川岳を臨む
シラジクボへの下りから大持山と小持山
シラジクボ
小持山山頂(標高1,273M)
大持山へ向かう
大持山と手前にある無名峰
大持山山頂
大持山山頂(標高1,294M)
大持山分岐から妻坂峠へは猛烈な急降下だ
妻坂峠。ここから生川に戻れるが…
武川岳山頂(標高1,052M)
蔦岩山から武川岳を振り返る
蔦岩山山頂(標高1,004M)
尾根の名栗側には林道が入っている

焼山山頂(標高850M)から武甲山を振り返る
焼山から縦走終焉の地、二子山を臨む
二子山・雄岳山頂(標高882.7M)
二子山・雌岳山頂
二子山から芦ヶ久保駅へ下る沢コース
兵の沢
西武線のガードをくぐれば芦ヶ久保駅だ
芦ヶ久保道の駅
武甲山の裏側に置いたクルマを取りに戻る
石灰プラントが林立している
出発の地、生川登山口一の鳥居に到着

武甲山〜二子山縦走

2008年7月14日(月曜日)

 秩父盆地を囲む山々の中で最も代表的なのが武甲山(ぶこうざん)である。
 秩父市内のどの学校歌にも、その名が出てくるほど秩父市民にとって親しみのある山だが、元号が平成に変わった頃から俄かに掘削作業が加速した観があり、急速にその山容を変えつつある。武甲山は石灰岩の塊であり、秩父セメントや秩父鉄道をはじめ、多くの秩父の産業を発展させてきたが、太平洋セメント(旧秩父セメント)第一プラントの閉鎖など、バブル崩壊後の地方の景気低迷期に入ってから、急激にその掘削速度が上がったのはどういうわけだろう。

 武甲山のもともとの標高は1,336メートルで、秩父市街から見て左端にその山頂があった。私も高校生の頃、遠足でここに登ったことがあるが、その時の印象は、普通の運動靴では滑って登るのが困難なほどの急坂で、皆ひどく難儀したこと、山頂直下に掘られた大きな穴に、おびただしい量の空き缶が捨てられていたことが思い出される。
 その後まもなく、この正面の登山道は登山禁止となり、掘削作業によって頂上もろとも消滅した。標高は41メートル下がり1,295メートルとなった。

 武甲山は山狗(やまいぬ)を祀っているらしいが、昭和の末期に山腹の掘削痕が山狗の形になり、山狗の祟りだなどと実(まこと)しやかに騒がれたこともあった。しかしその後いよいよ掘削は加速し、現在のピラミッドのような山頂を残す形で秩父市街側の山腹を削りだした。この結果、上部の山の厚みが半分になってしまった。
 平成14年(2002年)になって測量し直したところ、武甲山の標高は1,304メートルであると国土地理院が発表し、それまでより9メートル高くなった。平成20年の今日までこの数字を維持している。

 とりあえず登山趣味を始めた以上、地元の武甲山にもあらためて登らねばなるまいと思い立った。ただ、これだけではすぐに終わってしまうので、武甲山から大持山(おおもちやま)、武川岳(たけかわだけ)を経て、二子山(ふたごやま)までの縦走を計画した。ちなみに二子山という山は秩父にふたつあり、無論今回は武甲山の隣にある方を指す。

 朝、家から武甲山が充分に見えることを確認してから出掛けたのだが、山に近づくと雨がポツポツ降ってきた。生川(おぼっかわ)の石灰プラント区域を抜け、一の鳥居をくぐった先の駐車場にクルマを置く。雨は降っているが合羽を着るほどでもなく、また空も明るいので、そのうちにあがるだろうと判断して登山を決行した。
 6時30分出発。少し歩くと釣り堀があり、その上の林道との交叉路に登山届が設置されている。
 登山道は勾配もきつくなく、ハイキングコースの様相と言っていい。出発から1時間で大杉の広場に達した。この頃には雨もやみ、少し日差しも出てきたので、ひとまず眉を開いた。
 しばらく登るとコース分岐があり、左は階段コース、右は一般コースとある。膝に不安があるため一般コースを選択する。すぐに山頂神社を経て第一展望台に到着した。時刻は8時10分。出発してからの行程は1時間40分だった。

 山頂直下が掘削現場であるため、第一展望台の前は柵が二重に巡らされており、第二展望台に至っては展望のよさそうな手前で立入り禁止になっていた。
 第一展望台も実は頂上ではなく、1,304メートルの最高地点は立ち入り禁止の鉄柵の中にある。もともとの山頂は既に消滅しているということは前述したが、現在の山頂すら一般登山者は踏むことも見ることも許されないという、ひどく珍妙な山になってしまっていた。
 とはいえ、第一展望台からの秩父盆地の展望はやはり格別で、第二展望台から眺める武川岳もなかなかいい。秩父盆地の端から、いきなり山が隆起している様子が興味深い。これから向かう縦走路もよくわかる。

 武甲山を後にして、次は大持山へ向かう。
 大持山は秩父市街からだと武甲山の裏側にあたるため、その山容を見た人はおろか、名前すら知らない人も多いだろう。多くの秩父市民にとって、武甲山の裏側というのは、まったく何のイメージも浮かばない未知の世界と言っていい。
 大持山へ行くには、山頂からシラジクボという鞍部まで下らなければならないが、今まで登ってきた登山道とは一変し、あまり歩く人もいないのか、ほとんど藪化した急傾斜な道である。しかもカヤが生い茂っているので、半袖だとうっかりすると皮膚が切れて血だらけになる惧れがある。私は半袖だったのでここは慎重に下った。

 シラジクボから道は普通に戻る。まずは小持山(こもちやま)目掛けて登る。登ったらまた下り、展望の利く無名峰をひとつ登って下り、また登り上げて大持山へたどり着く。武甲山からの所要時間は1時間35分だった。
 このあたりの展望は特に開けてもいないが、唯一、武甲山の南面を見ることができるという一点で、それなりに新鮮ではある。城塞のように厳つく構える北面とは、これが同じ山かと見紛うような穏やかな三角錐をなしている。

 大持山を少し下ると少し開けた分岐点に出る。まっすぐ行くと鳥首峠を経て蕨山に通じており、その界隈のいちいち山名を同定する気にもなれない低山の山並みが続いている。この分岐点を左に折れ妻坂峠へ下る。
 この下りは猛烈な急降下である。しかも日光の差し込まない鬱蒼とした急斜面で土が湿って滑りやすく、ストックがないと辛いところだろう。この区間がしばらく続く。
 妻坂峠は大持山と武川岳の鞍部であり、ここから30分でクルマを置いた生川登山口に降りられる。ここまで既に4時間半歩いている。普通ならここで降りて終了すべきところだろう。登山口備え付けの届出用紙の選択欄にも、このルートまでしか載っていない。

 日差しも出て気温もずいぶん上がってきた。頭に巻いたタオルは既に汗でびしょ濡れである。ここでやめたいという衝動に駆られる。やめちまえという囁きが聞こえる。
 しかし、今回の縦走計画としては、ここでようやく半分であり、ここからが今日のテーマの本題である。やめたいと思う気持ちを無視し、強制的に行動を捻じ曲げ、それが心身に及ぼす影響、及びそれがどれくらい持続できるものかを検証する。気持ちとしてはもうやめたいが、無理やり武川岳の登りに取り付いた。

 大持山からの下りは猛烈な急降下だったが、武川岳の登りも、しょっぱなから猛烈な急登で気持ちが挫けそうになる。疲労無効状態『ゾーン』はすっかり解除され、集中力はまったく消失していた。悲愴といっていい。コンピューターならフリーズするだろう。
 何度も引き返そうという思いがよぎり、体はそれに反して僅かずつではあるが登り続けている。そんな異常な状態のまま何とか急登区間を抜け、武川岳山頂に立った時は、もうあの急坂には引き返したくないという思いだけがあった。
 山頂にはベンチがあった。頽(くずお)れるように座って昼食にした。

 武川岳というのも馴染みの薄い山だが、秩父市街から見ると武甲山と二子山の中間にある横長の山である。お尻のようなディテールで子供でも知っている二子山とは対照的に存在感がない。
 武川岳の山頂はちょっとした公園のように広くて明るいが展望はない。このルート全般というか、雲取も甲武信(こぶし)もそうであったが、秩父の山というのは鬱蒼とした森林を歩くというのがすべてであり、展望を期待するものではないということが、どうやらわかってきた。このことが縦走というモチベーションに対し精神的コンフリクト(機能衝突)を起こせしめていることは、もはや疑いようもない。

 武川岳山頂にも十字路がある。地図を取り出して今後のルートを再確認する。
 今回の縦走は、まず最初に武甲山山頂で左折し、次の大持山分岐を左折、更にここ武川岳十字路を左折し、最後の二子山に至るルートである。つまり左回りのコの字型に歩いているわけで、その中心にクルマを置いた駐車場が位置している。
 この武川岳山頂の標高が1,052メートルで、これより先は850メートルの焼山、883メートルの二子山へと続いており、数字だけ見れば、もうこれ以上高い場所はなく、後は下ればいいだけである。そう単純に受け止めることで少し気が楽になった。

 武川岳を脱し下り道に入る。
 これで秩父市街から見た武甲山の裏側の探索は終了した。奥秩父の谷底の深い急峻な山間部と比べると穏やかな丘陵部というに近いが、荒川を基軸に集落を形成している奥秩父に対し、そうした基軸を持たないという意味で、人の生活圏がなく、自然がそのまま残されている区域でもある。

 武川岳からの数値的下りは、まったくの下りっぱなしではなく、いくつかの小ピークがあり、下っては登り、登っては下るということを何度も繰り返さねばならない。しかしこの頃には『ゾーン』もリブートし、無感動のまま蔦岩山とか無名峰とかを黙々と越えて行くことが出来るようになってきた。振り返ると武川岳が見え、その背後にちょこんと頭が飛び出している伊豆ヶ岳が見える。

 さて、ここに来てひとつの重大な懸念がある。
 どうやってクルマに戻るか、である。
 尾根筋を左回りのコの字型に歩いている現在、クルマは左手下の、つまりコの字の中心にある。長い距離を歩いている割にクルマからはあまり離れていない。この先の焼山山頂から左に降りられるルートが地図上には描かれており、実はこれをあてにしているのだが、地図表記では一般登山道ではないグレーの破線となっているのが気掛かりだった。
 最も順当なはずの妻坂峠に戻るルートは、今まで降りてきた武川岳の下りを逆に登り返さねばならず、その先の急降下を思うと、もはや精神が耐えられそうもなかった。この時点でこの計画自体、最初から破綻していたのではないかと薄々気付き始めた。

 焼山に到着したのが12時55分。武川岳からの所要時間は1時間05分だった。
 焼山は武川岳と二子山の間にある取るに足らない小さなトンガリに過ぎないが、ここは間近で武甲山の東面を見ることができるという点で、今回の退屈な縦走ルートにあって諦めていた登山の達成感をようやく得られる好展望所である。
 今朝方、武甲山の第二展望台から武川岳を眺めたが、ようやくその反対側に到達したという感慨があり、更に今まで全然見えなかった二子山を間近に見ることができ、ようやくこの過酷な縦走が終焉に近付いていることを実感できた。

 少しの休憩の後、例の下山ルートを探すがよくわからない。一面藪にしか見えない。すぐ下に石灰プラントと、青い水をたたえたプールのような物が意外と間近に見えているので、ここを強引に降りて行けば何とかなりそうな気もするが、勾配はかなり急で、足許がずり落ちそうに見える。
 この急勾配は二子山に続く縦走路も同様で、かなりの急降下なため、焼山から生川へ下山するために、またここを登るのかと思うと、どうにも不条理にしか思えない。このことが、この選択を含めて妻坂峠まで戻ることの現実感のなさを更に増長させた。

 10分ほど歩くと左に派生している尾根に踏痕があることに気付く。地図には無いルートで標識も立っていないが、地図で地形を確認すると何とか行けそうな気はする。これが行ければかなり魅力的である。これを降りることにしようか。
 少し調査をしたが、やはり確信のないまま踏み込むのは躊躇われたので、予定通り正規のルートで二子山を目指すことにした。
 ここから二子山まで何度かアップダウンを繰り返さねばならず、最後の急登に至っては、またも心が砕けそうになってくる。
 二子山・雄岳に到着したのが焼山から45分後だった。焼山山頂にあった標識の参考タイムをなんと5分オーバーした。少々の道草はあったものの、最後の急登で精神的要因によるペースダウンに陥ったことが響いた。そろそろ精神的にかなりまいってきている。
 二子山・雌岳へは10分の距離である。二子山は秩父市街からよく見えるお尻のような山だが、期待したような展望はまったくなく、地味すぎる縦走終焉の地だった。

 あとはクルマに戻るのみである。
 地図によると、二子のお尻の割れ目にグレーの破線ルートが描かれている。それも途中で確認したが、ルートというより土砂の崩落痕のような急斜面で、これは果たして降りられるものかどうか、尻込みするようなものだった。
 意は決した。もう登ったり下ったりはまっぴら御免である。意に反してそれをすれば心が毀(こわ)れるかもしれない。1.5リットルあったスポーツドリンクも既に尽きようとしている状態で、不明瞭なルートに入る危険を冒すべきではないという今更ながらの常識論を以って自身を納得させた。芦ヶ久保駅に下ろう。

 芦ヶ久保駅からクルマを置いた登山口まで2時間ほど車道を歩くことになるが、もう山道を引き返したくないというところまで追い込まれていた。芦ヶ久保への下山ルートは尾根コースと沢コースがあるが、迷わず沢コースを選択した。
 しばらく下ると沢の源流点に出た。土の中から清水がちょろちょろと湧き出ている。空のペットボトルに掬って見ると、雨が降ったためか水は少し濁っていた。水道法における飲料水の水質基準から言えばアウトだが、喉が渇いていたのと山への対応能力の検証のため一口だけ飲んでみた。これがのち災いする。

 芦ヶ久保駅に着いたのが15時20分。下山所要時間は1時間10分で、雌岳の標識に書かれていた通りのタイムだった。
 鉄道の駅のすぐ下には道の駅がある。道の駅には割と多くの人たちがいて、間の抜けた熊避けベルの音色を奏でながら近付く私を奇異の視線で迎えてくれた。まるで山篭りの修行から下りてきた大山倍達(ますたつ)になったような気分だった。頭から滝のような汗を流し、山の水に当たった腹痛に耐え、精神的に灰に近付いていた私は、もしかするとこの時死相が浮かんでいたのかもしれない。取り敢えずトイレに駆け込んだ。

 国道歩きは路面が灼けているためひどく暑い。後で知ったことだが、この日の秩父の最高気温は34℃だったという。
 しばらく歩くと遠雷が鳴り出した。これは少し急がねばならない。地図には芦ヶ久保駅から生川登山口へのコースタイムが書かれていないが、そういう馬鹿なルートを歩く人がいないということだろう。概ね2時間半というところだろうか。
 札所8番の前を通り、石灰プラント脇を抜ける。以降、この石灰プラントが林道入り口までずっと続くのだが、どうやら辺りに生石灰の粉塵が舞っているのか、このあたりを歩いていると眼球の水分と反応して発熱し痛くなってくる。
 いよいよ雷鳴が近くなり、空もだいぶ暗くなってきた。まだクルマまでずいぶんあるが、更に歩調を早める。登山道ではマメはできなかったのだが、この車道歩きで一気に足裏の皮膚がずれた。
 クルマにたどり着いたのが17時10分。芦ヶ久保駅から1時間40分掛かった。到着と同時に滝のような猛烈な土砂降りとなった。

 本日の全行程は10時間40分である。
 前回の甲武信ヶ岳、前々回の雲取山では、後半左膝の故障によって著しいペースダウンを強いられた中での10時間だったが、今回は後半伸び悩んだものの、ほぼペースを維持しての10時間だった。あれだけ悩まされた左膝の故障は遂に克服した。
 このことも今回のテーマだったわけだが、それにはサポートギアに頼るより他に無い。前回から導入したダブルストックのみでは不十分であり、今回はワコールのスポーツタイツCW-Xと、アシックスのスポーツサポーター・エルゴノミクスを試した。
 エルゴノミクスの効果は絶大で、嘘のように痛みは出なかった。逆に正常な右膝が少し痛んだが、右膝にもサポーターを装着すれば更にキャパシティは上がるだろうことも想像できた。
 CW-Xは筋肉痛・筋肉疲労がまったくでなかった点でその効果を実証した。おそらく筋肉がつることも防止できるだろう。懸念された暑さや汗も気にならなかった。
 今回は膝の故障もなく、筋肉疲労もなく、10時間40分全般をほぼペースを維持して歩けたわけで、今年になって抱えていた槍・穂高縦走に向けての体力面での課題は、これでほぼ克服した感がある。
 一方で、精神的限界がこのあたりにあることも露呈した。
 体力が残っていても気力が伴わなければ、それ以上の続行は集中力がなくなり滑落など遭難の危険性が増すことになる。そういうことはありえなさそうだが、実際こうして山を歩いてみると、一泊二日の行程で一日10時間ずつペースを維持して歩くというのは、これを克服しない限り無理だろう。ただ槍・穂高は精神の昂揚が期待できる山岳風景を有することが救いであり、そういう状況では危険な個所で精神力が先に萎えるということは、おそらくは起こらないだろうと想像される。

 クルマに乗り込むと突然頭が熱くなり、こめかみには血管が浮き出し、脳内出血するのではないかという熱中症の症状が表れた。少しまずいかな、と束の間思った。
 しかしクルマに着いた途端、滝のような土砂降りになったため悠長にもしていられない。別の危急が迫っていた。あたり一面たちまち泥流と化し、樹木の枝はクルマの屋根をこするほどに重く垂れ下がっている。着替えるより何より、ワイパーを全開にし、アクセルを踏んだ。この狭い林道が土砂崩落しないうちに脱出しなければならない。
武甲山〜二子山縦走ルートの全容

●登山データ
2008年7月14日(月曜日)
生川登山口駐車場(標高520M)→武甲山(標高1,304M)、標高差784M

生川登山口駐車場(6時30分出発)→武甲山山頂(8時10分到着)、所要時間:1時間40分
武甲山(休憩:20分/8時30分出発)→シラジクボ(8時50分)→小持山(9時25分)→大持山(10時05分到着)、所要時間:1時間35分
大持山(休憩:15分/10時20分出発)→妻坂峠(11時05分)→武川岳(11時40分到着)、所要時間:1時間20分
武川岳(休憩:10分/11時50分出発)→蔦岩山(12時10分)→焼山(12時55分到着)、所要時間:1時間05分
焼山(休憩:10分/13時05分出発)→二子山・雄岳(13時50分)→二子山・雌岳(14時00分到着)、所要時間:55分
二子山・雌岳(休憩:10分/14時10分出発)→芦ヶ久保駅(15時20分到着)、所要時間1時間10分
芦ヶ久保駅(休憩:10分/15時30分出発)→生川登山口駐車場(17時10分到着)、所要時間:1時間40分
全行程:10時間40分

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