Practice Makes Perfect/妙義山(白雲山〜金洞山/表妙義縦走)
悪魔城のような妙義山。中央の低い岩尾根が突き当たった断崖絶壁が鷹戻しで、今回はこれを登る

妙義神社から白雲山へ出発
大の字を過ぎると上級コースへ突入
第一関門の奥の院、30mの鎖登り
ノコギリの歯のようにいくつもあるピーク。その度に鎖での登り降りを強いられる 玉石、天狗岳、相馬岳と、前半の白雲山ステージだけでもかなりの鎖場がある 大のぞき下の30メートルの鎖

見晴しからの白雲山北稜の展望
縦走路から眺める金鶏山
すぐ下を巻く車道への落石事故防止のため入山禁止
稜線歩きも天狗岳まで来ると突如行き止まりとなる。
相馬岳との間を隔てる大きな谷にしばし呆然
天狗岳と相馬岳の間の谷底がタルワキ沢のコルだ。これ以上耐えられないと思ったらここから下山できる

白雲山のピークのひとつ天狗岳。てっぺんは縦走路
妙義最高峰の相馬岳山頂(標高1,104m)
金洞山へ行くには最大の難関鷹戻しが待ち受ける
鷹戻しを登りきった鎖のトラバースから相馬岳を振り返る
金洞山のピークのひとつ星穴岳
石門群(日暮らしの景)を眼下に眺める
白雲山、金洞山とは独立した観のある金鶏山
中之岳山頂から裏妙義を臨む
乗り越えてきた東岳を振り返る
眼前の西岳は割愛

妙義山(白雲山〜金洞山/表妙義縦走)

2007年11月21日(水曜日)

 富士山でのスキーの下見から始めた山登りだが、すっかり夏から秋にかけての趣味に定着した感がある。とすれば目標を掲げねばなるまい。
 当面の目標は、北アルプス槍・穂高岳の日帰り縦走である。
 これが可能なのかどうか模索中であるが、今のところどうひっくり返しても不可能という答えしか出て来ない。
 問題を克服するには、地図に出ている参考タイムを半分に短縮するスピードと、前夜不眠の状態で12時間を歩き続ける体力、更には困難な岩場への対応力といった『縮地』ともいえる境地に達する必要がある。
 今後これらを検証していくことになるが、今回岩場の対応力を上げるために、群馬県の妙義山(みょうぎさん)の稜線縦走に挑戦した。登攀(とうはん)用具なしの徒手空拳、単独登山である。

 妙義山はノコギリの歯のような形状の、白雲山(はくうんさん)・金鶏山(きんけいざん)・金洞山(こんどうさん)がT字型にくっついた三山の総称である。そのうち横一線に並んだ白雲山と金洞山の稜線が今回の縦走ルートになる。この二山の中央に直角に接する金鶏山は、下を走る観光道路への落石防止のため入山禁止となっている。
 白雲山と金洞山のどちらから登ってもよいのだが、最大の難所となる50メートルの断崖『鷹戻し』が登り方向になるよう白雲山からアプローチする。
 白雲山の登山口には妙義神社、金洞山の登山口には中ノ岳神社があり、それぞれ大駐車場を備えているが、この間を結ぶ路線バスはなく、帰りは車道を歩くか、中腹のハイキングコースを戻るかになる。地図上参考タイムでは、岩場の稜線縦走に9時間、帰りの車道歩きに1時間の計10時間となっており、いかにも岩場の困難さが強調された数字だが、それが誇張でないことは、前回の二子山での経験から想像に難くない。
 今回の要諦は、その滞空時間の長さに、どこまで精神が耐えられるかということになるだろう。とりあえず目標タイムを半分の5時間に設定して、白雲山側の妙義神社を8時にスタートした。

 最初なかなかペースが上がらず苦しんだが、最初の難関である奥の院の30メートルの直立した断崖に垂れ下がった鎖を見た瞬間、リミッターが外れてくれた。30メートルと言えば6階建てのビルくらいだろうか。その視覚的衝撃によって、疲労無効モードに切り替わった。
 ここを一気に駆け上がると、左に金鶏山、右に裏妙義と、切り立った稜線両側の展望が一気に開ける『見晴し』である。
 ノコギリの歯の形状ということは、小さなピークがいくつもいくつもあり、いちいち鎖で登っては鎖で降りるということを繰り返さねばならない。
 一見ひとつの山のように見える白雲山だが、実際に歩いてみると三つの山が前後に折り重なっており、例えばそのひとつである天狗岳のピークまで来ると、突如行き止まりとなり、次のピークの相馬岳が、実は連続した稜線上にないことが分かる。
 相馬岳に行くには、断崖を大きく迂回するように降りなければならず、回り込みながら延々と降りている時など、道を間違えて裏妙義へ下っているんじゃないかという錯覚に囚われる。そのためルート探索に迷いを生じ、行ったり来たりした挙句、時間を無駄に費やしてしまった。

 ちなみに、この稜線コースは危険な上級コースというだけあって、例えば、下部のハイキングコースの石門巡りには当然整備されているような鎖でも、それと同等レベルの岩場にあっては一切施されていない。
 この程度の岩場の斜度と高低差は実際大したことがなく、つまり登攀技術的に大したことはなく、ただそれが、岩場から転げ落ちた場合、すぐ下の登山道で止まらなければ、遥か崖下まで墜落して、到底助からないという状況にあるだけのことである。
 鎖が着けられているのは、30メートルとか50メートルとかの直立した断崖か、もしくはオーバーハングした断崖をトラバースする場合に限られていて、これが次から次へと波状攻撃的に現れる。
 ひとつひとつは大したことなくても、その連続攻撃によって徐々に膂力(りょりょく)は奪われ、やがて精神が蝕まれてゆく。

 強風吹きすさぶ切り立った稜線ルートと断崖のピーク、斜度のある登山道の登り下りの繰り返しは、適当な休憩ポイントすらなかなか見出せない。
 白雲山ステージの小ピークである玉石、大のぞき、天狗岳を乗越え乗越えして、妙義山の最高峰にあたる相馬岳(標高1,104M)のピークでこの日はじめて10分間休憩した。
 ここを下れば白雲山ステージは終了し、茨(バラ)尾根を経て後半の金洞山ステージに突入する。

 この下り、斜度が急な上に浮石が多い。足許がずるっと滑るので、小石ひとつも落とさずに降りきるのは不可能に近く、一旦落とせば真っ直ぐ急な登山道を弾丸の様に吹っ飛んで行き、沢底に叩きつけられるまで止らない。それを見ているだけでも肝が冷え、神経が磨り減る。まさに薄氷を踏むような緊張を強いられる。
 そういう状況にもはや耐えられない場合、タルワキ沢と堀切(ホッキリ)分岐という二本の脱出ルートが用意されている。ホッキリ分岐は地図上ではお勧めではなさそうだが、この日私が通りかかった際、ここから4人登ってきた。三人組と単独者である。この人たちは鷹戻しのアタックのみが目的らしいが、だいぶへばっている様子なので、挨拶のみして一足先に鷹戻しに急いだ。

 鷹戻し。
 あまりの断崖に鷹すら越えられず引き返すということだろうか。金洞山入り口に構える本日最大の難関である。
 死亡事故多発、登攀装備のない一般登山者は引き返せという警告看板が途中二箇所出ていた。
 50メートルの直立に近い断崖を、梯子と鎖で登り続けなければならず、途中で握力が尽きれば数百メートル墜落して死ぬ。しかも登山届を出した富岡市とは反対側の安中(あんなか)市に落ちる可能性が高い。
 50メートルといえば10階建てのビルに相当する。10階建てビルの外壁を、命綱もなしに鎖につかまってよじ登るというのは、普通に考えれば警察に連行される行為である。しかも前半の白雲山ステージで腕はかなり疲労している。神速モードに入ることで脚力と心肺機能は疲労先送り状態となっているが、腕の疲れというのはどうやら対象外のようだ。
 何しろ上部の到達地点がどこなのか、余りに高すぎて見えない。途中休憩できるポイントがあるのかどうかもわからない。

 鎖に取り付き、一気に登りはじめる。さすがにこれは一息では登れず、40メートルほどで握力が失くなってきた。まだ先はずいぶん残っている気がする。
 足場のいいところで一旦休憩するが、両手を同時には離せないので、片手ずつぷらぷら休ませる。
 それでも最後の10メートルは、途中で握力が尽きるかもしれない不安の中を登らねばならず、ともすれば気持ちが崩れかけ、弱気が顔をもたげてくる。はじめて、ひょっとすると山で死ぬかもしれないという恐怖に襲われた。

 もし、途中で上から降りてくる人に出逢ったらどうするのか。記憶が断片的だが、たしか鎖が二本平行に架かっている個所があったような気がする。そこですれ違うのだろう。
 渾身の力を振り絞って鎖を登りきると、すぐに横方向に張られた鎖に持ち替えて、断崖を右にトラバースする。鎖がなくなったところで、どうやら鷹戻しは終わったようだ。
 しかし安心するのも束の間、鎖で登ったら鎖で降りるのがここの掟である。これだけ凄まじい登りだったのだから、下りも相当なものだろうと覚悟していたが、その予想をはるかに超えるものだった。
 そこは行き止まりの断崖で、鎖がなかったのである。

 死の結界。
 そこは正確には行き止まりではなく、降りる鎖もちゃんと取り付けられていた。但し、50センチの岩の裂け目を隔てた向こう側の崖下3メートルにである。
 鎖の先は垂直に落ち込んでいて、下がどうなっているのかは見えない。崖下にある木のてっぺんが目の高さにあるところから推測して、崖の高さは20メートルほどだろうか。
 50センチの岩の裂け目を飛び越えてから、20メートルの断崖を鎖なしで3メートル降りるか、裂け目の中を3メートル降りてから横移動して鎖を手繰るかしなければならない。
 これは何かの間違いだろう。いくら上級コースと言ってもモノには限度というものがある。これはきっとその辺りに迂回路があるに違いないと探したが、この行為は結局徒労に終わった。

 この岩の裂け目を専門用語でルンゼというらしい。そんなことはどうでもいいが、問題は鎖が岩の裂け目を飛び越えた向こう側の崖下3メートルにあることであり、鎖の先はおそらく20メートルの垂直断崖ということである。
 下の見えない垂直断崖に向かって命綱なしのフリーで3メートル降りなければならない。滑り落ちたらそれこそお終いである。
 他に選択肢はない。いつまで考えていても埒があかないので、岩の裂け目の中を3メートル降りることにした。
 裂け目の中は狭く囲まれてるので、丸っきり吹きっ晒しの岩を降りるよりも多少の安心感はある。両手両足を突っ張って慎重にホールドを確保して降りるが、この状況は間違っても家族には見せられない。
 鎖のそばまで降り、右手を伸ばして鎖をつかもうとした。その瞬間、新たな問題が発覚した。

 この鎖、今までの倍くらい太く、重い。おまけに断崖に20メートル垂れ下がったその自重のため、鎖が岩に食い込んだように重く、鎖と岩の間に指が入らない。つまり、鎖がつかめなかった。鎖はつかめるという先入観がある。体が断崖絶壁の縁にあるこの状態で、この先入観が打ち砕かれる衝撃は、死刑宣告されたも同然だった。
 裂け目の中も滑り落ちれば高さは20メートルある。慎重に左手と両足の確保を整えつつ、伸ばした右手の指先に渾身の力を込めて、鎖と岩の間に指をこじ入れる。しかし鎖が太すぎて指が回りきらず、握力が充分に伝わらない。しかもその先で落ち込んでいる断崖が、垂直を通り越したオーバーハングだという事実を、ここではじめて知らされるのである。

 鎖は岩肌に接することなく、空中に真っ直ぐに垂れ下がっていた。鎖に全体重が掛かってしまうため、強度の高い太い鎖が着けられていたのだが、ここまでの激闘によって握力の残量は尽きかけている。この状態でここを降りるのは、もはや一か八かの賭けといっていい。手の小さな女性では無理なのではないか。
 渾身の気力を振り絞り、無事に降りきったときには口辺に薄ら笑いが浮かんでいた。
 しかしそれも束の間、降りた先も鎖だった。つまりこの鎖は二段構えで、ようやく半分降りたに過ぎなかった。インターバルを得たことで鷹戻しよりは幾分マシとはいえ、二段目もほぼ垂直降下で、やはり下が見えなかった。

 山頂には祠があった。傍らの木に金洞山山頂という札がぶら下がっている。地図を確かめるとどうやら中之岳のようだ。金洞山も白雲山同様ノコギリの歯状の幾つかの小ピークから成り、いつの間にか東岳を越えてここまで来たらしい。すぐ目の前には同じく金洞山の一郭の西岳があり、その後ろに星穴岳がある。このふたつは予定に入っていない。岩肌が脆く滑落死亡事故が多いとの理由で、鎖が撤去されルート自体消滅している。
 腹が減っていたので山頂の岩陰で強風を避けながら10分間の昼食休憩をし、下山することにした。

 紅葉もすでに終盤だが、いまだハイカーの喧騒が残る石門広場に降りてきたのが13時25分だった。
 このあたりは四つの石門と、大砲岩や、ゆるぎ岩などの奇岩を間近に見ることのできるハイキングコースのハイライト部である。広場にあるテーブルを囲んだおばちゃん達が私を見て、半袖で若いわね〜と声をあげた。私は薄く笑い、広場を横切ってゆっくりと第四石門に近付いた。その先の大砲岩まで行こうとして、最初の鎖場を登ったところで足が止まった。体力はまだ充分残っていたが、すでに気力が尽きていた。死の淵から生還した虚脱感に、集中力はすっかり失われていた。このあと予定していた第一・第二石門の鎖場も取りやめ、ショートカットで車道まで降りた。

 13時40分。登山開始から5時間40分も経っていた。ここまで4時間30分の予定だったが、既に1時間10分もオーバーしていた。このタイムと今の状態を鑑みると、槍・穂高日帰り縦走は到底不可能という検証結果になってしまった。原因としては、神速モードに入るのに時間がかかり過ぎた事と、何箇所かでルート探索に迷い、行ったり来たりして時間を無駄に費やしたことが挙げられる。このような岩場には、ホームセンターに売っている細いトラロープの10メートルでも持っていれば、精神的にずいぶん楽だろうなとも思った。

 まだここから車道を歩いて戻らねばならない。方向は逆だが中之岳神社の駐車場まで歩き、先程までいた金洞山の全容を見上げ、写真に収めてから、もと来た道を歩きはじめた。
 それにしても恐ろしい山だった。はじめて山を恐ろしいと思った。達成感も無かった。常に緊張を強いられ、そこから開放された鈍い安堵感だけが薄らぼんやり残るという不思議な山だった。
 少し歩くと、後ろから走ってきたクルマが私の横にスーッと止まった。
「乗っていきませんか」
 と窓の中から声をかけてくる。まるで出来すぎた映画のラストシーンのようだった。この人は山中のホッキリ分岐で出会った単独登山のおじさんだった。私のことを覚えてくれていたようだ。断る理由も見つからないので、好意に甘えることにした。
 このおじさんは私の後から鷹戻しに登り、例の三人パーティーをしばらく待っていたが、遂に来なかったよ、という話をしてくれた。
梯子と鎖で50mの断崖を一気に登る。
死亡事故多発の最大の難関、鷹戻し
鷹戻しはとにかく長い。ホールドのいい場所で握力の回復を図らないとマジで落ちる ルンゼの鎖の取り付け部までの3メートルはフリーで降りねばならない。最大の危機だ
やっと3メートル降りたと思ったら、この鎖は太くて重くてつかみにくい。
オーバーハングしているので強度優先だ
途中で見た変わった岩
またも下の見えない垂直降下の鎖に辟易。
両腕は疲れ集中力も途切れかけている

妙義山稜線縦走ルートの全容

●登山データ
2007年11月21日(水曜日)
道の駅駐車場(標高429M)→相馬岳山頂(標高1,104M)、標高差675M

道の駅駐車場(8時00分出発)→妙義神社(8時10分)→見晴らし(9時10分)→天狗岳(9時55分)→タルワキ沢のコル(10時15分)→相馬岳(10時30分/休憩:10分/10時40分出発)→鷹戻し(11時45分)→中之岳(12時50分/昼食休憩:10分/13時00分下山開始)→第4石門前広場(13時25分)→中之岳神社(13時40分到着)
登山開始〜下山までの所要時間:5時間40分
※中之岳神社〜道の駅駐車場まで親切な人にクルマに乗せてもらう

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