Practice Makes Perfect/富士山(吉田・河口湖口)
富士山・剣ヶ峯(標高3,776M)

富士スバルライン5合目(5:15出発)
落石防御柵と山小屋群
ここから見える天辺がこのルートの頂上だ
7合目トモエ館。登山道はすべての山小屋の前を横切っている。
山小屋は休憩ポイントには違いないが、大勢でたむろして他の登山者の通行の妨げにならないよう注意しよう
7合目からは熔岩の岩場になり歩きにくくなる
大きな段差を登ると非常に疲れるので、足の置き場をよく選んで登ろう
8合目付近(7:15)。吉田口ルートのすぐ脇が大斜面となっており、猛烈アイスバーンでさえなければ山スキーに適していそう
下からアドバルーンのような大きな雲の塊がにゅ〜んと昇ってきた 八合目付近から本八合目の城塞を見上げる
このあたりで標高3,000Mを超え、未知の領域となる。高山病に注意しながらゆっくりと登る
振り返れば大分登ってきた 上に見える城塞が吉田口ルートの頂上だ
道が狭く混雑してくると、自然『立ち休憩』になる
水は腰にセットして手早く補給する
到着(8:40)。初めての富士登山だが、無休憩で3時間25分で踏破した。神社や山小屋の集落がある 石積みの山小屋群
吉田口頂上の集落、通称『富士山銀座』
剣ヶ峯と虎岩
熔岩が庇のように張り出している伊豆岳
成就岳付近は火星の風景を連想させる
御殿場口・富士宮口山頂に建つ浅間大社奥宮には富士山頂郵便局が開設されている
もうじき剣ヶ峰

剣ヶ峯と富士山測候所。左からの登りは傾斜がきつい。
火口に向かって滑るならこのあたりだが、まわり中から庇のように張り出して今にも崩れそうな断崖が、底知れぬ恐怖を誘うだろう
剣ヶ峯への最後の難所。斜度がきつく滑りやすい
富士山測候所。かつてこの上にレーダードームが乗っていた
測候所跡で炭酸ガス濃度の測定をしている人がいた
剣ヶ峯山頂から見た火口の縁は一周ほとんど断崖だ。
反対側に富士山銀座が見える。右の出っ張りは伊豆岳
剣ヶ峯下に残っていた雪
剣ヶ峯を後にお鉢巡りを続ける
大沢崩れ。ここで本日はじめての休憩をとった
お鉢巡りもあと少しで終了
下山道のブルドーザー道。土が軟らかく、歩くと土埃が立つ。
下りの足への負担は想像以上に重く、急ぐと血マメを潰すこと
になる。延々と続く地獄への道にも思えてくる。何か下りを楽しむ秘訣はあるのだろうか。今後の課題となった

富士山、無休憩登頂記(吉田・河口湖口)

2007年7月26日(木曜日)

 登山は特に趣味ではないが、昔からほのかな憧れはあった。乗鞍岳などで何度か山スキーをするうち、一度は富士山を滑ってみたいと思うようになった。
 乗鞍岳とは違い、富士山は山梨・静岡両県共に山スキーの禁止を呼びかけているようだ。富士山は強風が吹くことで知られ、特に上部では猛烈なアイスバーンが形成され、転倒したら最後、どこかに激突するまで止まらない危険が高い。
 特に私の場合、富士山自体に一度も登ったことがなく、それでいきなり山スキーを強行するのはあまりに山を嘗(な)めすぎだろうと考え、山開き後に夏山登山に挑戦することにした。

 登山靴は昔買って数回しか履いていないキャラバンがある。ズボンはずっとタンスの肥やし状態だった歩荷ズボンを引っ張り出した。これはずいぶんゆったりとしている。
 山スキーの経験からいって、上着は撥水性半袖シャツ一枚で充分だろう。天候が悪化した場合に備えて薄手のジャケット、ウィンドブレーカー、合羽をリュックに詰める。リュックは胸と腹でホールドできるストラップ付きのものだ。それと、靴の中に小石が入るのを防ぐため、登山専門店でショートスパッツを購入した。
 500mlのスポーツドリンク3本、ゼリー食品3個、激辛ビーフジャーキー、蜂蜜、ブドウ糖チョコレートを当面の食料とし、他に地図、携帯酸素ボンベ、日焼け止めクリーム、懐中電灯、薬品類を収納する。
 四つある登山ルートから選定したのは、自宅のある秩父から一番近い吉田・河口湖口である。富士スバルライン5合目をスタート地点とする。ガイドブックによるこのルートの所要時間は登り6時間、下り3時間35分、火口のお鉢巡りに1時間半掛かるとある。計画は単独日帰り登山なので、出発時間を未明2時半とし、22時に帰宅する予定だ。
 生憎、出発前日が出張仕事となってしまい、帰宅したのが22時、寝たのが23時だった。2時に起きて2時半に出発する。途中、埼玉と山梨の県境の雁坂峠で雨になったが、下に降りると乾いていて、河口湖大橋からは薄っすらと山影を確認することが出来たのでひとまず安心した。
 別に欲は言わない。関東ではまだ梅雨明けしていないし、雨風さえなければよしとしておく。景色は二の次で、自分がどれだけ登れるのか確認するのが今日の目的である。

 富士スバルラインは一年中通れるらしいが、通行料金が往復二千円も掛かる。山の反対側の富士山スカイラインは無料だが、裏側まで回る時間がもったいないうえ、時間短縮に東富士五湖道路を使えば、やはり往復でそれくらい掛かってしまう。
 スバルラインは登山者の集中する夏季にあっては環境保護を目的としたマイカー規制が布かれるため、一般車は入れなくなるが、規制前のこの日は5合目の駐車場まで入れた。朝5時でガラガラだった。車内で朝食用のゼリー3個を注入し、5時15分、少し肌寒いが半袖シャツで出発した。

 平日でもあり時間が半端なのか人影はまばらだ。早朝とはいえこの時季もうだいぶ陽は高くなっており、前方の山中湖の湖面に反射する朝日がキラキラと眩しい。富士登山は『金剛杖』を突いて登るのが習わしらしいが、杖は使わず徒手空拳だ。とりあえず6時間を目標とし、山頂到着予定時刻を11時15分に設定した。
 しかし内心、重たいスキー板を担いで雪の最大傾斜線を登る山スキーに比べたら、ほとんど空身同然で登山道を登るなどという行為は楽勝だろうと多寡をくくっていた。

 しばらく森の中を歩き、やがて6合目の安全指導センターまで出ると、突如視界が開け、これから登る吉田口登山道の全貌があらわになる。鉄柵で造られた落石防御壁と、城塞のような山小屋群という、あまりにも人工的な構造体が九十九折に頂上まで続いている。これだけの施設があれば途中で倒れても誰かが面倒見てくれそうで安心感はある。指導センターの人が差し出した登山ルートのチラシを手に九十九折区間に突入する。
 ちなみにこのルートはずっと携帯電話が使えた(山頂のお鉢巡りでは一部圏外もあったが)。
 しばらくは路面も平滑で歩きやすいが、既に右足小指で肉刺(まめ)が潰れたような感覚があった。息も少しあがってきた。構わず登り続けていると、やがてリミッターがひとつ外れたかのように俄かに体力が戻り、体が楽になった。
 7合目からは、それまでの道路の様相と異なり、デコボコした階段状の熔岩地帯になる。階段の一段飛ばしの様に、登る段差が大きいとひどく体力を消耗するので、段差の少ないラインを選びながらジグザグに歩いた。
 登山道は必ず山小屋の前を横切っていて、ベンチが置かれている。ここで休むのは無料のようだが、小屋内での休憩は有料のようだ。トイレも有料で、自然保護の協力費とかで、このあたりで100円、山頂では200円となっている。
 団体客がここで休むと、通過したい登山者にとっては邪魔である。ちなみにこのルートは登りと下りが別の道になっているので、ここにいるのは全員が登り組だろう。途中の山小屋や道の広い場所で休憩している団体客200人くらいを追い抜いた。
 体力に任せて速く登ると高山病に罹(かか)る危険がある。ゆっくりと時間を掛けて登ることを心掛けたが、別に疲れもしないので途中休憩はしなかった。標高3,026メートルの乗鞍岳では特に発症しなかったので、3,000メートルラインから注意してゆっくり登った。
 8合目を過ぎると道幅が狭くなり、足場も悪いので急に渋滞してきた。この区間は前を行く人を抜かすのは難しい。前が詰まっているようなら立ったままの休憩になる。腰にぶら下げたスポーツドリンクを手早く飲み、ブドウ糖チョコレートを数粒口に放り込む。ちなみに私は後ろから明らかに速い人が来た場合は、広い場所で立ち止まって道を譲った。速い人は数人いた。

 結局座っての休憩はないまま、このルートのゴール地点である浅間神社奥宮に到着した。時刻は8時40分、登り所要時間は目標の6時間を大きく上回る3時間25分だった。高山病もなく予定よりだいぶ早く登れた。やはり一年を通じてスポーツをしているだけのことはあったということだろう。初めての富士登山だったが予想通りの楽勝だった。
 尤(もっと)も、シーズンの週末などは大変な混雑をするようなので、とても自分の予定通りにはいかなそうである。7合目から上は道幅が狭く、前を歩く人を抜かすのは難しくなってくるし、頂上に着いた人は立ち止まるので、後ろから登って来る人は自然と詰まる。上に行くにしたがって渋滞しやすいのだ。
 また、前を行く人を抜かすのは自分のペースが乱れて疲れるので無理に抜かないほうがいい。後ろから足音で徐々にプレッシャーを掛け、道を譲ってくれたら挨拶して抜かすのがいいだろう。
 この日は幸運にも天気が好く、風もない穏やかな富士山日和だったが、多くの人はウィンドブレーカーなどを着込んでいた。私は終始半袖シャツのままだった。体温が上がるとそれだけでも体力を消耗することはスキーで学んでいる。春スキーなど雪の上でも半袖で過ごせるのだ。
 尤も、肌を晒さないのは紫外線対策かもしれない。山の紫外線は予想以上に強く、その時は平気でも、後で体が火照って寝られないというのはよくあることだ。帽子なども強風時は飛ばされそうだが、紫外線対策としては必需品である。

 この浅間神社奥宮の周りにはたくさんの山小屋があり、ハイシーズンにはずいぶん混雑するらしい。通称『富士山銀座』と呼ばれている。山小屋は食堂も兼ね、ラーメンやカレー等も提供している。店頭には数台のワゴンが並び、登山バッヂや旭日旗など様々な土産物が売られている。その横には一本400円の缶飲料の自販機まで置かれ、ここだけ見れば古き昭和の鄙びた観光地と変わらない俗っぽさがある。折角なので登頂証明なる木片に今日の日付を刻印してもらった。これが700円した。
 何だかんだで結局20分の道草となり、銀座を出発したのが9時になった。次の目的地である最高峰・剣ヶ峯を目指して、火口を一周する『お鉢めぐり』に出発する。
 どちら周りでも構わないのだが、とりあえず時計周りで行くことにした。
 小高い場所に何か絞首刑台のようなのが立っているので登ってみたり、山の上に杭が立っているのでよじ登ってみたり、ここは火星かと思わせるような真っ赤な丘陵を抜けたりしながら、剣ヶ峯直下にたどり着いた。
 最後の試練は見上げるような急斜面である。足許がズルズル滑る坂をよじ登り、山頂に到着したのが9時35分だった。駐車場を出発してから4時間20分で登頂した。

 剣ヶ峯には富士山測候所があり、展望台に登ることもできる。測候所は平成16年(2004年)に常駐観測を終了して機械観測になったはずだが、この日は展望台で何か測定している人がいた。訊くと炭酸ガスを測っているのだという。これは機械化できなかったらしい。
 山頂には既に50人ほどの人がごった返していた。のんびり座って休憩するスペースもない。後から続々と登ってくるので、入れ替わりに退散した。
 富士山の火口は一周ほぼ断崖で、この剣ヶ峯直下のみスキーで滑れそうなスロープである。斜度は申し分ない。
 お鉢めぐりを続行し、大沢崩れの上でこの日初めての座り休憩をした。リュックを下ろし、ゼリーを3個注入し、激辛ビーフジャーキー、蜂蜜、ブドウ糖チョコレートと補給してゆく。
 山頂には何故か蝿や小さな蜂が多い。こんなところに何か食べ物があるのだろうか。小さな蜂は下からずっと体にまとわりついている。私の黄色いシャツがたいそう気に入ったようだ。

 瞼(まぶた)がどんよりと重かった。どうやら高山病に罹ったらしい。高山病は慣れるか山を降りるかの二択しかないが、幸いこれ以上には悪化しなかったので、取り敢えず初体験を歓んだ。
 お鉢めぐりを含んでの山頂滞在時間は1時間50分となった。まだ10時半だがこれで下山することにする。登りを予定より大幅に早く登ったことを考えると、帰りも2時間もあれば降りられるだろうと多寡をくくったのがそもそもの間違いだった。とんだ陥穽(かんせい)が待ち受けていた。
 帰りは登ってきたのとは別の道を降りる。ブルドーザー道である。文字通りブルドーザーが荷揚げするための道で、時折道幅一杯のブルドーザーが、バケットに物資を満載してゴトゴト登ってくる。ゴツゴツした熔岩帯の登りとは違い、下りは比較的勾配のきつい砂の道で、靴がズブズブ潜るので登りには適さないが、下りでは膝へのショックが軽減されていいのだろう。ただ乾燥時には土埃が舞い上がり、混雑時には鼻の穴が真っ黒になること請け合いである。
 最初のうちは調子よく降りていたが、思った以上に足に負担が掛かることがわかってきた。真っ直ぐに歩いていると重力加速度により知らず知らずにスピードが上がってくる。このままでは脚の回転が追い付かずに転倒することは必至なので、小さくジグザグに制動を掛けながら降りるが、時すでに遅く靴の中では異変が起こり始めていた。爪先に予想以上の荷重がかかったため、指先がマメだらけになったようだ。
 爪先への負担を減らすため、上体を半身にして足を横向きにし、左右交互にカニ歩きのように降りる。靴の中が痛い。マメが潰れているようだ。しばらくは苦痛に顔をゆがめたが、やがて無視できるようになった。
 ブルドーザーのキャタピラの跡があれば、そこを歩くのが良い。ギザギザに盛り上がった土がずれることで足への負担を軽減できる。カーブを曲がるときは、最短距離だからと言ってカーブの内側を突いてはいけない。内側は斜度が急で爪先への負担が大きい。斜度が緩やかな外側を大回りで歩いたほうが幾分楽だ。

 ここでひとつの疑問がわく。この下りというのは一体何なのだろうか。
 登りはいい。山に登りに来たのである。頂上という目標もあれば、登ったときの達成感もある。登った者のみが見られる景色も感動をもって迎えてくれる。
 ところが下りはというと、降りないと帰れないから仕方なく降りるということに尽きるのである。つまり楽しくない。苦痛でさえある。
 山登りは降りてきてはじめて山登りである、と言われればそれまでだが、下りには何の楽しみもなく、足への負担は下りにこそ大きく、足が損傷してくればもはや苦行以外の何物でもない。今までの達成感も満足感も、この苦痛で一切台無しになってしまいかねないのだ。
 おまけにこの頃から、今まで下界に大人しく滞留していた雲が一斉に立ち昇って来た。
 すぐに視界が奪われ、九十九折に下っている道が一体どこまで続いているのか皆目判らなくなった。さながら超高層ビルの避難階段を降りるような無限とも思える左右交互の単調な折り返しに、このまま延々と地獄まで続いているのではないかとか、もう足裏の皮すべてがズル剥け骨まで出ているのではないかとか、次第に苦悩の色が濃くなってくる。この下りを楽しんでこそ本物の山屋と言えるのかもしれないが、もういい加減ワープさせて欲しかった。

 明日のご来光を見るためなのか、お昼頃から登る人が多いようで、上り下りが一緒になる6合目から下は団体客でごった返していた。あたりはすっかりガスに巻かれているが、このあたりは馬糞が多く、さながら地雷原を行くようである。金を払えば馬の背に乗せてもらえる観光サービスを行っているためで、その馬糞が道にそのまま、あちこちに落ちている。たしか富士山は小石一つ持ち帰れない特別保護地区とかのはずだが、このおびただしいウンコはいいのだろうか。外国人観光客も多い日本の誇る富士山のはずだが、これも古くから続いてきた富士講文化のひとつということだろうか。

 5合目に着いたのが12時40分。2時間10分で降りた。
 駐車場は満車になっていた。クルマに戻って靴を脱ぐと、両足とも靴下が血まみれだった。靴下をベリベリ剥がすと血マメが潰れていた。
 この頃には雨がポツポツと降り始め、河口湖に下りる頃には土砂降りとなった。

 まったくの余談だが、朝出発時に5合目駐車場のトイレで小便を済ませ、再び5合目に戻ってくるまで、7時間半小便をしなかった。別に無理に我慢していたわけではなく、無理に口に飲食物を入れなかった結果に過ぎない。登山もスポーツとして捉えているので、時間的にも本格的な食事は下山後と考えていただけのことで、シェイプアップを意識するなら多少の空腹感を大事にすることである。結局私はこのまま夕飯まで何も食べなかった。

 スキーは滑り降りることに充実感を求め、リフトを使うため事実上登りはない。登山は登るのはいいが、下りが面白くない。この登りの達成感と下りの充実感の両方の醍醐味を味わえるのが山スキーである。自治体が禁止を呼びかけているのが、ちょっと寂しい。
 帰宅したのが16時半。多少のダメージは負ったものの、予定よりもだいぶ早く、日帰り単独富士登山をやりとげた。

●登山データ
2007年7月26日(木曜日)
スバルライン5合目(標高2,304M)→富士山頂剣ヶ峰(標高3,776M)、標高差1,472M

スバルライン5合目(5時15分出発)→浅間神社奥宮(8時40分到着)、所要時間:3時間25分
富士山銀座立ち寄り(20分/9時00分出発)→大日岳→伊豆岳→剣ヶ峰山頂(9時35分到着)、駐車場出発からの所要時間:4時間20分
お鉢巡りと昼食休憩(8時40分〜10時30分)、山頂滞在時間:1時間50分
浅間神社奥宮(10時30分下山開始)→5合目(12時40分到着)、下り所要時間:2時間10分
全行程:7時間25分

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