Practice Makes Perfect/乗鞍岳・山スキー

6月下旬の梅雨の晴れ間、乗鞍岳(標高3,026m)の雪渓にて

乗鞍岳・山スキー

 1993年6月23日、カラ梅雨の晴れ間を頼って乗鞍岳に山スキーに行くことになり、仕事が終わってから21時に同僚の運転するクルマで出発した。当時、上信道は佐久インターまでしか開通していなかったので、佐久から国道254号線で松本に抜け、国道158号線をひたすら上った。
 この時期、乗鞍に上がれる道は高額料金を取る乗鞍スカイラインしかないのだが、当時は安房トンネルも建設中だったので、安房峠で平湯温泉を目指すしかなかった。上高地の入り口を過ぎると道は途端に九十九折(つづらおり)になり、およそ観光雑誌で作り上げられた、爽やかな信州というイメージとは一変した異様な光景になった。
 ガードレールが爽やかでなかった。あちこち破壊されている。その傷が実に異様で、暴走車がぶつかったとかいう質のものではなく、ホオジロザメが喰いちぎったというか、ヒグマが引きちぎったというか、とにかくガードレールに大穴が開いていたり、激しく喰いちぎられているのだ。これは一体何なのか? まさかヒバゴン!? ヒバゴンってどこにいるんだっけ?
 現実的に考えよう。ではこれは落石だろうか。ガードレールそのものを吹き飛ばすことなく、ダーティー・ハリーが44マグナム弾で打ち抜いたかのように直径20センチの穴が開いている。これは拳大の石が時速200キロでここにブチ当たったと考えれば説明がつくのだろうか。今現在その危険はないのだろうか。私は暇だったので、助手席で呪文のようにそんな分析を続けていた。
 荒涼とした風景はしばらく続き、他にクルマは1台もいない。街路灯はなく深い木々に覆われた道は非常に暗く、深いカーブのためヘッドライトはちぎれたガードレール以外は照らし出さない。カーブの先が一体どうなっているのか良くわからず、緊張状態が長く続いた末、突如ヘッドライトに白いお化けが浮かび上がった。両手を前にだらりと垂れて大きな目でこちらを見ている。全身が霊魂の塊のように丸く、足はない。
 看板だった。オバQチックだ。痴漢に注意とか書いてある。文面以上の狙いがあるのかどうか、なかなかこれはシュールだった。この看板を過ぎるとすぐに平湯温泉に到着し、恐怖のドライブは終了するのだが、差し詰めクライマックスの演出といったところだろうか。同僚はちょっと休憩させてくれとクルマを停めた。

 乗鞍スカイラインの料金所の手前に夜中の2時に到着。料金所が開くまで時間があるので、すぐ下の広い駐車場で仮眠する。ご来光を見るため4時頃には開くらしい。
 そのまま駐車場で払暁(ふつぎょう)を迎えた。料金所で往復料金を支払いクルマを進めると、やがて景色は森林限界を超え、徐々に残雪が増えてくる。濃紺の空がすぐそこにあり、雲は下界の現象であるかのごとく眼下に見下ろせた。
 乗鞍のピークが見えるところまで上がってくると一気に視界が広がり、残雪とハイマツのコントラストが目にも鮮やかだ。この美しさをもたらしているのは、想像を絶する高山の厳しい自然環境であるが、我々も気圧の低いリフトなしの厳しい環境に身を投じることで、すでにシーズンを終えている軟弱な者達よりも、強さと美しさのレベルが上がることはすでに想像に難くなかった。
 標高2,700メートルの畳平駐車場に到着。乗鞍岳の稜線から安房峠に掛けては長野と岐阜の県境になっていて、平湯温泉と乗鞍スカイライン、そして終点の畳平は岐阜県になる。ここから歩いて行く乗鞍大雪渓は長野県側だが、長野側からのアクセス路となる乗鞍エコーラインは未だ冬期閉鎖中となっている。尤(もっと)も後10日もすればこちらも開く予定なので、そうすれば高額料金を支払うこともなかったのだが、もう二度と来ないかもしれないし、観光だと思えば有料道路の景色を見ておくのも悪くない。
 とりあえず畳平で朝食のインスタントラーメンを作ることにする。同僚はコンロを取り出し、その辺の雪を鍋に入れている。ここは気圧が低いから100℃にならないうちに水は沸騰し、ラーメンは生ゆでになるであろうなどと騒いだ割には普通の食感だった。

 腹ごしらえが終わるとリュックにスキーをくくりつけて、いよいよ大雪渓へのトレッキング開始である。まずは駐車場から雪のない登山道を登るため、トレッキングシューズを履き、スキーブーツはリュックにくくりつけた板のバインディングにセットする。これはロバート・A・ハインラインの『宇宙の戦士』に登場するパワードスーツを彷彿させるシルエットで、見た目が非常に格好良く、登山を前にして俄かにアドレナリンが放出されたが、歩き始めるとすぐにその効果はなくなった。
 右手に不消ヶ池(きえずがいけ)、コロナ観測所と見て、やがて垂涎の大スロープが眼前に広がって来る。たまらず、もうこの辺でいいんじゃないと妥協してスキーを装着して滑ることにした。
 雪質はスプーンカットと言われる小さなクレーターの集合体で、ひどい振動を受ける。何しろこの年スキーを始めたばかりの初心者であり、滑走日数10日目のことである。如何せん技量の足りない私はこれにいきなりこけてしまい、せっかくの登坂の苦労が水泡に帰したばかりか、遠足に来ていた小学生たちをひどく楽しませる余興にまで成り下がった。

 除雪作業中でアスファルト路面の出ている乗鞍エコーラインまで滑れば終わりである。一本滑り終えると板を担いで今滑ったところを登るのだが、これが大変で、20分もあれば登れるだろうと見積もったところを一時間かかった。
 2本目を滑ってしまうと再度登る気力はすでになく、安易にもエコーラインを跨いだ反対側の斜面を滑ることにした。私はこの日のために昭文社エアリアマップ『乗鞍高原』を持参していたが、一応このルートは春スキーのツアーコースになっていて、雪さえあればこの下の乗鞍高原温泉スキー場まで滑れることになっている。また乗鞍エコーラインがコースに重なるように九十九折で通っているので、車道を登って帰れば何とかなるだろうと多寡をくくっていた。
 とりあえず降りてみようぜ、という無責任な発想で滑り出したが、雪を踏み抜いて川に落ちるまでのカウントダウンが私の頭上で明滅していることなど知る由もなかった。
 3分ほどして雪を踏み抜いて川に落ちた。幸運なことに川といっても落差も水深もなく、板に少し傷ができて足が濡れた程度だった。気も済んだし帰るか、と道路を登り始めた。結局この日は計2本ちょっと滑って終了。天候にも恵まれひどく日焼けした。翌日会社で、梅雨の最中の日焼けの原因を追究されるほどだった。

 平湯温泉まで降りると、神の湯という日帰り温泉があったので入っていくことにした。料金所の小屋と脱衣所の小屋、あとは男女別の露天風呂があるだけだ。後に知ったことだが、ここは平湯温泉発祥の地として温泉ファンに人気があるらしい。一面山の中の野趣あふれる露天風呂で、お湯も山の中から注がれていた。当時温泉にまったく興味のなかった私は浴感を忘れてしまったが、白骨温泉や乗鞍温泉と山を一にするところなので侮れない。いつか再訪したいと思うが、神の湯は冬は営業していないので、また山スキーと組み合わせるか、冬に朴ノ木平スキー場と平湯の他の施設に行くかは思案のしどころとなっている。

 同僚がそっと寄ってきて、あの二人おかしい、とつぶやいた。男湯に先客は二人いたのだが、彼らのことである。私はメガネをはずすとよく見えないのだが、それでもよく見ると湯煙の向こうで二人は肩を寄せ合って相手の胸に手を当てているようだ。
 ホモだった。
 出ようぜ…、同僚はすっかりおびえきっていたので出ることにした。すると何故かホモも後を追って出てきた。そそくさと着替えて逃げるようにクルマを出した後も、ホモはずっと駐車場で抱き合っていた。
 平湯温泉を発つ頃はまだ陽が高く、お化けの看板を見つけると、あれだよ、と指差して笑った。昨夜とは違ってお化けは愛嬌たっぷりだった。

 高額有料道路の乗鞍スカイラインはその後2002年に償却したが、マイカーが増えて環境が悪化することを懸念して、もともと無料だった乗鞍エコーラインも含めて、2003年より通年マイカー乗り入れ禁止となった。現在ではバスで行くしかない。

スキー目次
Home
乗鞍岳・剣ヶ峯滑降 Copyright © 1996- Chishima Osamu. All Rights Reserved.