Practice Makes Perfect/奥只見丸山
4月上旬の奥只見丸山スキー場
奥只見丸山
かもしかEコースから奥只見ダムを臨む
スキー場のコースからはこんな景色が目の前
とにかく長いトンネルで一向に出口が見えない。照明は薄暗く、時折バタバタと水が落ちてくる素掘りの天井には圧迫感があった。ついついアクセルを踏む足に力が入る。早く出たい。
このトンネルは奥只見ダムの建設用に造られたものだそうだが、日本一の貯水量を誇る人造湖である奥只見湖には夏には遊覧船が浮かび、巨大岩魚を求めて多くの釣り客がやってくる。この巨大岩魚はダムの売店で見られるらしいが、我々がスキーに行った時はまだ閉まっていた。
雪が多くて除雪しきれないとのことで、冬はまったくの閉ざされた世界、冬は営業していないというとんでもないスキー場である。
途中数箇所トンネルから出られるが、出口の先がいきなり圧雪路のカーブになっている箇所があるので要注意だ。正気を失ってトンネルで時速100キロも出そうものなら、もはや助からないと思って良い。春にノーマルタイヤに履き替えてしまった場合は尚更である。
駐車場にいるクルマはほとんどが地元長岡ナンバーで関東圏のものは少ない。深い冬眠から目覚めたばかりの4月、かぐらや丸沼、天神平など、関東近郊でもなお数箇所のスキー場がフル営業しているので、なかなかここまではやって来ない。
奥只見湖は未だ雪と氷に閉ざされていて、さすがにここまで来ると周りも見覚えのない山ばかりで、スキー場の施設とダム関係の施設以外に人の気配を感じさせるものはなく、日常生活とはかけ離れた空間である。
リフトは普通のスキー場で見られるごくまともな形状のものである。このリフトは深い雪の中から掘り起こしたもので、リフトの支柱程もある両側の雪の壁は冬の間積もった豪雪そのものだ。そのためリフトを降りるとコースに出るまで5メートルほどハイクアップを強いられる。
ゲレンデは最上部と最下部、あとは一部の迂回コースを除いてほぼすべてがコブのハードバーンで、滑っているのはうまい人ばかりだ。この頃にわかにモーグルブームとなり、ワールドカップではエドガー・グロスピロンとジャン・リュック・ブラッサールの竜虎相打つ時代だったが、この日も白人女性を含む一行が、コース脇に作ったジャンプ台にロシニョールのバナーを掲げて写真撮影をしていた。
用具もデモモデルと並んでモーグルモデルが出始め、ダイナスター・アソート・スペリオール(現ディナスター)やK2マンバなどが人気を博していた。私も足前は伴わなかったが、プレシジョンのモーグル入門用の板を使っていた。このブランドは現在ではなくなってしまったが、ハンドメイドの板でマニアの間では“インディアン・モーグル”の愛称で親しまれていた。そんなマニアがここにもちゃんといるもので、コブの入り口でコースの様子を伺っているフリをしている私の背後で、あの板はインディアン・モーグルだとかウンチクを傾ける声が聞こえてくる。頼む、俺に係わらないでさっさと行ってください。そう思ったが、同僚はお構いなしに行ってしまうので、私も解説者の前でつたない滑りを披露するしかなかった。
最上部のゲレンデは一転してなだらかな高原状になっており、まばらに生えたブナのシルエットが真っ白な雪原によく映えるすばらしい景観を作っていた。すぐ下に巨大な変電所があるにも係わらず、この最上部はディーゼルエンジンでリフトを回していて、辺りに排気ガスの臭気が立ち込めている。
そこから少し登り勾配のゲレンデ歩くと一番奥には九十九折(つづらおり)のロングコースがあり、森をくぐってベースまで降りられる。同僚とどちらが速いか勝負しようという話になり、一斉にスタートしてコースなりに滑って行く。時には板同士が接触し、時には肩がぶつかる。今で言うウィンターXゲームのスキークロスであり、他の人にとっては迷惑この上ない行為だった。
山頂の山小屋に行き、階段の手すりにスキーを立てかけて昼食をとった。天気が好かったのでここからパノラマを楽しめるが、周りをぐるっと見渡しても名前を知ってる山はひとつもなく、遠くへ来たなと実感できる。
それから1ヶ月たった5月、会社の上司と再び奥只見を訪れるチャンスがやってきた。
雪は驚くほどなくなり、一番下のコースは幅が一割程度になっていた。山頂に上がって驚いたのは、あの山小屋が2階建てだったことである。食事をするためにスキーを立てかけたあの階段の手すりは、実は2階部分だった。
空間のすべてを埋め尽くすかのような豪雪も、目覚めとともに急速に融けてしまう。シーズンが終了するのは結局のところ、かぐらスキー場よりも早い。
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