Practice Makes Perfect/尾瀬岩鞍
基礎スキーヤー垂涎のステータスバーン、尾瀬岩鞍リーゼンコース(最大斜度27度)

激闘の岩鞍

 私が初めてスキーをしたのは、1993年2月4日、尾瀬岩鞍だった。
 それ以前から会社の同僚にしつこく誘われていたのだが、何を好き好んで冬の寒い中、雪深い山になんか行かなきゃならねぇんだと断っていたのを、彼のあまりに熱心な勧誘に、しょうがねぇなあ、じゃあ行ってみるかということになり、用具一式を彼から借りて上司と三人でスキーに行くことになったのである。
 尾瀬岩鞍は平日でも駐車料金を1,000円取るという今では稀少なスキー場だが(2003シーズン現在、2007シーズンには平日無料)、当時はどこも駐車場は平日でも有料だった。ここは料金所が長い坂道を登った途中にあり、料金所渋滞が始まると坂道でストップした装備の悪いクルマは発進できなくなるばかりか、タイヤを空転させて後ろに下がってくる始末だった。そのためここでは車間を取って、料金を払う時もクルマを停止させないようにするのがコツらしかった。

 駐車場からゲレンデまでが遠かった。今はシャトルバスがあるが、当時はどうだったのか記憶にない。とにかく足首の曲がらないスキーブーツで長い距離を歩かされ、それだけでかなりのスタミナを消耗してしまった。
 バインディングの取り扱いとカニ歩きを教わり、何度か少し登って滑り、それじゃあ一日券を買おうということになった。
 そのうちに、もうリフトにも一人で乗り降りできるし、初めてにしてはうまいもんだなどとおだてられ、同僚と上司は上部コースへ行ってしまい、私はそのままファミリーゲレンデでひたすらプルーク制動の練習をすることになった。私もこれ以上足手まといになりたくなかったし、ああだこうだと一向に要領の得ない人のアドバイスを聞くよりも、一人で試行錯誤しながら納得の得られる練習をしたほうが良いと考えていた。

ぶなの木コース(最大斜度23度)
 調子に乗って隣のロマンスコースにも行ってみた。このコースもその名が示す通り緩いものなのだが、当時の私にとってはかなりスピードの出るコースで、ターンなどもちろんできず、ただひたすらプルークでまっすぐ滑った。何本か滑るうちに腿はがくがくしてきて、徐々にエッジを抑えきれなくなり、やがて暴走の領域に入った。修学旅行の子供たちが目に付くようになると、それはまるでレースゲームの周回遅れのザコキャラのように私の行く手をチョロチョロと妨害した。ゲームなら何度かぶつかってもOKだが、現実世界ではそうも行くまい。必死に避けながら滑りきった体は疲労限界に達し嘔吐寸前にまで追い込まれたが、この荒療治の甲斐あってか、ターンのコツもつかみかけていた。体で覚えるとはこういうことだと思った。
 非常に苦しかったが、なぜか不思議と、これは悪くない、いや、楽しいとさえ感じていた。薄ら笑いすら浮かべていたことだろう。あまりスポーツが好きではない私が楽しいと感じたのが自分でも意外なことだった。

 降りてきた二人とゲレンデの食堂に行くと、同じ会社のグループが2組、15人ほどいて一緒に食事をした。年若い顔見知りに現状の実力は見せたくなかったが、俺がこの中で一番へたくそなんだろうなと思いながらの食事だった。後にDVDで見た『私をスキーに連れてって』では、遠くのスキー場で偶然会社の同僚に会うというシーンがあったが、あれは当時ではあながち嘘でもなかったのだ。

 午後はまた三人になり、まずロマンスコースで滑りを見てもらい、せっかく一日券を買ったのだからミルキーウェイに行こうと、ゴンドラに乗ることになった。やはり高額な一日券を買わせてしまった手前、元くらい取らせないと心苦しいという忖度(そんたく)が働いたのだろうか。とりあえず下をいっぱい滑ったし、あとはお得感のあるゴンドラに一度乗せて、ロングコースを一発やっておけば、とりあえずイベント的に収まりがつくだろうとの計らいだったようだ。

 ゴンドラは急峻な山肌に沿ってぐんぐん高度を上げて行き、不安感もそれに比例して上昇した。
 山頂駅を降りてコースを見下ろすと、この計画はどうやら諸刃の剣だったことがわかった。コースに出れば後戻りはできず、これに懲りてもう二度とやらないと云い出すかもしれない。そこは人が多く、雪が荒れていた。午前中の様相とは違っていたのである。
 コブになっていた。

 このコースは全長2.8キロのロングコースで、緩斜面と途中3箇所くらいの急な落ち込みからなっている。この落ち込みが私には急すぎた。ロマンスコースで完全会得したはずのメソッドがまるで通用しない。午前中の屈辱と苦悩の末やっとつかんだ成果は一体何だったのか。また振り出しに戻された気分だった。一向にターンできないままコース端まで追いやられ、このままではコース外に滑落してしまうので、残された手段はコケて滑りを中断するしかなかった。
 斜滑降してはコケるのを繰り返しながら急な部分を処理したが、倒れるたびに悲壮感が漂った。緩斜面では先に降りて待っている同僚達に追いつくため、せっかく覚えたプルークボーゲンを昇華させることも忘れ、渾身の力で直滑降をした。途中で足がばらけて股裂きになり、顔面からゲレンデに叩きつけられた。

 何もかもが新しい感覚だった今日の出来事。スキーでのディープインパクトが帰りの車中でも体全体に作用していた。不思議なことに足全体に滑走感覚が残留電荷のように残っていて、クルマの挙動に同調して足裏にかかっている重力がふわ〜んと抜けたり、ぐっと戻ったりした。
 ニューロンが新たなカテゴリーのネットワークを構築している副作用なのか。勝手に痙攣している筋肉の辻褄合わせのために脳が記憶を反芻している幻覚なのか。それはわからない。しかし、これだけのことをしたのである。休む間もなくフル回転して興奮冷めやらぬ脳みそが、何らかのコマンドを矢継ぎ早に発していたとしても、そう不思議ではあるまい。
 ふわ〜ん、ぐっとくる度に妙に可笑しくて悦に入り、思わずくすくすと嗤(わら)った。
左から、エキスパートコース(最大斜度40度)、リーゼンコース、国体男子コース(最大斜度29度)と、猛烈コブ斜面が立ち並ぶ


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