●ケガの記録

鎖骨骨折 《2006年2月24日》

膝靭帯損傷 《1998年2月16日》

金瘡(きんそう)流血

インラインスケートでの転倒ダメージ

グラススキーでの転倒ダメージ

鎖骨骨折 《2006年2月24日》

 急なコブ斜面の終わったところに幅3メートルほどのまっ平らな連絡コースが横切っていた。その先には中斜面への落ち込みがある。注意を促すためにスローダウンの旗が立っていたが、ひどい濃霧のため斜度の変化は視覚では捉えにくかった。
 私はコブを滑り降りたところで休憩し、その後、背すじを伸ばして両腕をだらりと垂れた無造作な格好で2メートルほど滑った。突然まっ平らな連絡コースに体を潰されてバランスを崩し、次の瞬間そのまま中斜面の空中へと投げ出されていた。
 まさに一瞬の出来事で、身構える間もなく硬いゲレンデに肩から叩き付けられた。

 しばらくは息もできない。後頭部も打ったようで、頭痛がする。板が両方とも外れていたが、片方が見当たらない。うつろな足取りで連絡コースまで上がってみると、飛び降り自殺でもしたかのように、ちゃんとそこに置いてあった。
 右肩の痛みがひどいことに気付く。板を履いてコースの端に寝転がり、手袋を外して触診してみる。右肩の鎖骨が出っ張っていた。寝転がったまま肩を動かしてみると、動くことは動くがひどく痛い。骨折なのか脱臼なのか判断しかねたが、これは医者に行かざるを得ないと思い、何とかクルマまで自力で滑って戻った。

 急なコブ斜面では気構えもあるため、転倒してもケガにまでつながることは少ないが、この時はまったくの無防備・無警戒だったことが、ダメージを大きくする要因となった。技術云々と関係のない、油断が招いたまったく馬鹿げた事故である。怪我をする時は得てしてこういうものかもしれないと思った。

 帰宅して地元の医者まで我慢できると踏んでいたが、着替えと用具の片付けが済む頃には、痛みは苦痛に変わっていた。これは不味いと思った。
 スキー場のパトロール小屋まで行き、事情を説明して最寄の接骨院を教えて欲しいと頼んだ。詰めていた隊員は電話で確認してくれたのち、事故報告書を書いてくれた。後で傷害保険の申請に使ってくださいと説明してくれた。

 教えてもらった診療所は、スキー場からクルマで5分程のところにある公民館のようなところだった。この一室に冬季のみの臨時診療所が開設しており、スキーブーツを履いたのやら、スノーボーダーやらが、付き添いも含めて5人ほど来ていた。私は一人だったので、無論ここにも自力でクルマを運転して来ている。

 レントゲンを撮ってもらう。
 折れてますね、と云う医者の言葉が妙に新鮮に聞こえた。遂に俺も骨折を経験したかという不思議な感慨があり、すぐに、これで今シーズンのスキーは終了したかという、悄然(しょうぜん)とした気持ちになった。

 鎖骨固定帯(クラビクル・ブレース)を装着してもらうと、折れた鎖骨は元の位置に収まり、嘘のように楽になった。
 家に帰ったらすぐに地元の整形外科に行きなさいと、紹介状とレントゲン写真と痛み止めの薬を出してくれた。
 保険証がないため、実費で2万いくらになりますといわれたが、持ち合わせがなかったので、後で請求書を送ってもらうことにして診療所を後にした。翌日、保険証をファックスして請求額は7千いくらになった。

 帰宅して地元の整形外科に行ってみると、これは手術は要らないと云う。骨格模型を使って説明を受け、腕を肩より上げると鎖骨がひねられるので、それ以上は上げないよう注意を受ける。6週間頑張ってくださいと、三角巾が追加されて見た目にも重症患者になってしまった。

クラビクルブレース
 利き腕が使えないのは不便である。
 痛みのため、手が洗えない、鼻がかめない、箸が使えない、歯が磨けないといった不都合が起こった。とにかく右手を顔の高さまで上げられず、左手一本の生活を余儀なくされる。
 鎖骨ベルトを下着の上から装着しているため、風呂が特に不便である。何とか頭髪と下半身のみ洗えるが、上半身はどうにもならない。3日目には我慢ならずに、ベルトを外して入浴し、後は素肌にベルトを着けた。これならタオルで上半身を拭くことができたが、やはり脇の下が気持ち悪い。
 5日目には両腕を後に伸ばし、帯抜けを習得。洗髪を済ませるとこれを外して浴槽に肩まで浸かった。久しぶりなので実に気持ち良かった。

 寝る時は敷布団の下に座布団やらを丸めてあてがい、上半身を少し起こした状態で眠る。こうしておけば寝返りが打てない。最初の夜は明け方まで眠れなかったが、2日目からは普通に寝付けるようになった。仕事には事故の翌日から普通に行ったが、三角巾を着けているので周囲からは色々言われた。

 ところで、ベルトでぎゅうぎゅうに締め上げているとはいえ、歩くだけでも折れた個所は結構動くのである。これははたして、どのような理屈でいつ着くのであろうか。素人にはイメージできないが、医者が着くと言うのだから信じるしかない。
 ところが6日目になると、これが突如着いたという感覚があった。

 一週間が経ち右手の自由度が増す。食事や歯磨きなど、日常生活にはあまり支障がなくなった。経過を診せに医者に行き、レントゲンを撮ってもらうと順調だという。肌に直に着けているとベルトが汗臭くなるので、再び肌着の上から着ける。更に増し締めしても帯抜けと再装着はできたので、入浴に不便はなく、毎日肩まで浸かってマッサージをした。

 10日もすると、これはシーズン中にゲレンデに戻れるのではないかと思うようになった。
 16日目からは、ベルトを脱衣所で脱ぎ捨てて、健常時のように入浴した。

 21日目に医者が、ベルトを外しますかと言う。但しスキーの許可はまだ下りない。
 家に帰って早速外すと、開放感と不安感が交錯した。
 肩をゆっくりと回してみると可動域に問題はなく、骨は無事にくっついたようである。
 ところが、ここでひとつの問題点が浮かび上がった。
 薄々は気付いていたことだが、3週間ベルトで締め上げ、三角巾で腕を吊っていたことにより、肩周りの肉がごっそり削げ落ちていたのである。補助具がなくなったため、だらりと下げた腕がやたらと重く、2時間も歩くと右肩全体がきしむように痛んだ。腕の重みで肩が抜け落ちそうである。
 しかし、まさかこれまでの辛抱を水泡に帰す事態が待ち受けえていようとは、この時知る由もなかった。

 愕然とした。
 4週間が経って撮った写真は、接合部がずれてしまっていたのである。再びベルトを締め、三角巾で吊った。先週これらの補助具が取れたことで油断があったのと、溜まった仕事を処理しようとの焦りがこれまでのすべてを台無しにしてしまった。とにかくこれではスキーどころではない。ここでちゃんと治しておかなければ、偽関節になってしまう。


 紆余曲折(うよきょくせつ)あったが、骨折から53日後の4月18日、何とか同シーズン中にゲレンデ復帰を果たし、75日後の5月10日にはコブ斜面への復帰も果たすことができた。
 しかし体力は著しく低下しており、鎖骨ベルトを装着しているとはいえ、骨癒合の強度不足もあるため、さすがに無理は利かない。雪の感触を楽しむ程度に2〜3時間で終了し、後は温泉療養をした。
 医者から運動の許可が下りたのは、骨折後3ヶ月が経過した6月になってからである。無論スキーシーズンは終わっている。

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膝靭帯損傷 《1998年2月16日》

 スキー板が竹とんぼのようにぐるぐると回っていた。
 体がゲレンデを5回転ほどしてやっと停止したが、板はリリースしていなかった。
 しばらくそのまま動かず、体のダメージを確かめる。左膝が痛い。それもかなり痛い。この痛さは靭帯か骨折かもしれない。他にはダメージのないことを確かめて、とりあえずコース端にまで行かなければならない。高速道路で寝るようなまねはしたくなかった。
 膝を曲げると激痛が走るが、何とか端までたどり着き、板を外して突き立て、安静に寝転がる。激痛で呼吸するのもつらく、しばらくそうしていた。

 私がスキーを始めたのはカービングスキーが市場に出回る以前で、いわゆる非カービング板を3台乗り継いだ。1997年に多くのメーカーから一斉にカービングスキーが販売されたのを機に、そのうちのひとつを購入した。シーズン前からはじめたインラインスケートの影響もあって、内足に乗りまくり、山周りでの強烈な遠心力に酔いしれていた。

 平日のゲレンデは実にすいていて、好きに飛ばすことができた。その日も切替から一気に内足に乗り込み、ターンを思い切り横へ引っ張る滑りに没頭していた。
 次の瞬間、誰もいないはずの空間に突如他のスキーヤーが飛び込んできた。しかし曲げた内足に荷重がかかりきっているこの状態では、このままではぶつかると判っていても、もはやラインの変更は不可能だった。
 次の瞬間私は激しく自爆していた。ゲレンデを5回転くらいしてやっと停止した。
 幸い彼との接触はなかった。彼は立ち止まってこちらに声をかけている。俺は大丈夫だからと彼には行ってもらった。しかし大丈夫ではなかった。

 呼吸が楽になり痛みも治まってきたので、触診してみる。折れてはいないようだし、靭帯も断裂しているわけではなさそうだ。断裂していればこの程度の痛みのはずはないだろう。
 とりあえず板を履いて下山する。痛みこそあるものの滑れないことはない。1日券を買ってまだ1時間しか滑っていないし、とりあえずお昼まで滑ることにする。特に滑走には支障がなかった。

 レストハウスに着き、板を外すと状況は一変した。歩けなくなっている。歩こうとするとひどい激痛である。仕方なく左膝を曲げないようにして歩く。椅子に座るのがまた大変で、とにかく膝を曲げると痛い。

 食事が済む頃には痛みも和らいでいて、これならまだ行けるかと午後も滑ることにする。
 滑走中はほとんど痛みもなく滑りにも支障がない。しかし駐車場まで歩くことを考えて15時で終了。案の定歩くのはひどく辛かった。何とかクルマにたどり着いたが、着替えがまた辛い。膝を曲げ伸ばす行為がたまらない。何とかズボンを履き替え、クルマに乗り込むのに左足を両腕で抱えてよいしょと放り込む。クルマがオートマチック車で良かった。ケガをしたのが右足だったらおそらく帰れなかっただろう。

 3時間走って家に着いたら左膝がそのまま固まっていた。激痛のあまり降りるのに数分を要する。とにかく曲げ伸ばしにいちいち呼吸停止するほどの激痛が伴う。風呂で揉み解し、シップを貼って寝る。寝返りは激痛を伴い、上を向いたまま寝る。よく眠れない。

 次ぐ日は仕事で、家でも会社でも膝を曲げないように歩く。階段はカニ歩きだ。医者には行かず、そういう時に限ってスキーの誘いがかかり、2週間に1回のペースで承諾する。膝にはシップを貼って気休めのサポーターをする。不思議にスキーには差し障りがないが、常に抑えた滑りで決して攻めない。このような滑りに徹したこの期間はスキーが上達したかもしれないな、と感じたのはまったく皮肉な話だった。

 仕事は続け、月に2度ほどスキーに行き、医者には行かないという生活が3ヶ月続いた。
 痛みが引いたにも係わらず足を引きずっていたことに気付き、そろそろ普通に歩こうとしたら、うまく歩けない。普通に歩くということを体が忘れている。脳の中でニューロンのネットワークが切れてしまっていた。
 普通に歩くとはどういうことなのか、今まで考えたこともないが、まず正常な右足の動きを見て、動かす関節の順序を頭で解析する。それを基に左足を動かす。実にぎこちなく、傍から見たら間抜けな光景だ。

 ハード(足)が正常でも、ソフト(運動神経)に不具合があればうまく動かない。
 考えながら体を動かし、消失してしまった運動神経のネットワークを、脳の中で再構築する作業がリハビリであると、このとき理解した。
 普通に歩けるようになるのに数日を要した。普通でいられることのありがたさを噛みしめた。

 その後この件に関して後遺症は出ていない。

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金瘡(きんそう)流血 《1998年2月10日》

 朝一時間くらい滑って転倒する。ダメージを調べたらズボンの左脛が切れている。転倒の際、右スキーのエッジで切ったらしい。痛みは少しあるが大したことはないのでそのままお昼まで滑る。

 お昼にレストハウスのトイレに行き、用を足してキビスを返したら、床に血痕が続いているのに気がついた。
 まさか、と思いよく見ると、元々赤いブーツに血が流れている。ズボンの裾をめくってみたら、予想を超えて出血しており、傷口の血液が綿のような結晶になって盛り上がっていた。しかも色は蛍光色のように明るい。
 このような現象は初めて見たが、とにかくその物質をティッシュで拭き取る。脛に7cmくらいの傷口がぱっくりと開いている。持っていたバンソウコウとハンカチで止血する。
 これで滑っていては傷口が塞がらないが、昼食料金がパックに含まれていたため、とりあえず食事をしてから帰宅の途につく。医者には行かなかったが、今回の転倒は更なる負傷への序章に過ぎなかった。

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インラインスケートでの転倒ダメージ

 インラインスケートの転倒方法として、How to 本などにはまず両膝のプロテクターを着き、続いて両手を開いてリストガードを着き、そのままヘッドスライディングのように前方にリストガードをグラインドさせ、最後に両肘のプロテクターを着けとか紹介されている。
 実際にはそんなことをしている余裕はない。

 まず最初は尻餅をつく。尻餅をつくと頭の重みで首にダメージを受け、軽い鞭打ち症になる。軽い脳震盪を起こし、吐き気を催すこともある。
両手を突いた時に肩から肘関節、手首から指までを痛める。爪が剥がれる場合もある。
 次からは、転倒する際に体にひねりを加え横向きに転倒するようになる。これは腰骨側部を痛める。剥離骨折くらいするかもしれない。
 何しろ相手はアスファルト舗装なので、転倒すれば擦り傷・出血は間違いない。

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グラススキーでの転倒ダメージ

 グラススキーは外足荷重で滑ろうとすると、わずかに荷重された内スキーがシザースしてしまい、たちまち股裂き状態になる。もうこれ以上開きませんというところで前方に顔面から叩きつけられるそのザマは、大昔の拷問のイラストをイメージさせる。両手をついてショックを和らげるしかないが、芝生の上とは言え結構痛い。
 しかしアスファルト転倒に比べれば程度は軽く、グラインドしても衣服が緑に染まるだけで出血にまで到ることは少ない。

 両スキー同士が接触するとエレメント(キャタピラ)の回転がロックしてしまい急ブレーキがかかる。一度バランスを崩すとグラススキーは逆エッジがかかったようにまったく滑走しなくなり、慣性のついた体のバランスを立て直すため、両ストックを補助にピョンピョンとスキップする姿は、およそグラススキーというイメージではないが、コブ斜面でのリカバリーシーンにオーバーラップするようになれば、これはこれで練習になる。

 スキーで転倒したときに、バインディングのヒールピースが尻に刺さることがあるが、グラススキーでこのシチュエーションが起こった場合、腿裏の肉がエレメントとバインディングの間に挟まれる。これは悶絶もので筆舌に尽くしがたい。

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